裁判官の裁判

損害賠償請求事件
昭和五三年(オ)第六九号
同五七年三月一二日最高裁第二小法廷判決
【上告人】 控訴人 原告 竹田昌宣 代理人 後藤三郎 外一名
【被上告人】 被控訴人 被告 国


       主   文

本件上告を棄却する。
上告費用は上告人の負担とする。


       理   由

 上告代理人後藤三郎、同大西裕子の上告理由について
 裁判官がした争訟の裁判に上訴等の訴訟法上の救済方法によつて是正されるべき瑕疵が存在したとしても、これによつて当然に国家賠償法一条一項の規定にいう違法な行為があつたものとして国の損害賠償責任の問題が生ずるわけのものではなく、右責任が肯定されるためには、当該裁判官が違法又は不当な目的をもつて裁判をしたなど、裁判官がその付与された権限の趣旨に明らかに背いてこれを行使したものと認めうるような特別の事情があることを必要とすると解するのが相当である。所論引用の当裁判所昭和三九年(オ)第一三九〇号同四三年三月一五日第二小法廷判決・裁判集民事九〇号六五五頁の趣旨とするところも結局右と同旨に帰するのであつて、判例抵触を生ずるものではない。したがつて,本件において仮に前訴判決に所論のような法令の解釈・適用の誤りがあつたとしても、それが上訴による是正の原因となるのは格別、それだけでは未だ右特別の事情がある場合にあたるものとすることはできない。それゆえ、上告人の本訴請求は理由がないとした原審の判断は、結論において正当として是認することができる。論旨は、採用することができない。
 よつて、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。 
(裁判長裁判官 栗本一夫 裁判官 木下忠良 裁判官 塩野宜慶 裁判官 宮崎梧一 裁判官 大橋進)

上告代理人後藤三郎、同大西裕子の上告理由
第一点、原判決は、判決に理由を附さなかつた違法があるから、破棄さるべきである。すなわち、
一、原判決は、判決理由として、本件のような事件の第一審判決(前訴判決)が、控訴期間の徒過により確定した場合には、再審によつて取消されない限り、前訴判決の担当裁判官の判決行為自体の違法の主張をなしえず、裁判所も、右違法の判断をなしえないと判示して控訴を棄却した。
二、しかしながら、右は判決に理由を付したことにはならない。何故ならば、本件の請求原因は前訴判決の効力、判断それ自体を争うものではなく、前訴判決における担当裁判官の不法行為により、控訴人が損害を蒙つたかどうかの点であるから、原判決は須らく、担当裁判官の行為の違法性、有責性並びに損害との因果関係等、不法行為の成否について判断をなすべきである。
三、しかるに、原判決は、本件訴訟の請求の原因について何等の判断を示さず、単に別訴をもつて前訴判決を取消し得ないという判断を示したのみであるから、右は民事訴訟法第三九五条第一項第六号の判決に理由を附さなかつた違法があるといわねばならない。
第二点 原判決は、判決に影響を及ぼすこと明らかな法令の違背があるから、破棄さるべきである。すなわち、一、原判決は、国家賠償法第一条第一項の解釈並びに適用を誤り、本件控訴を棄却したものである。原判決は、国家賠償法第一条第一項について解釈をなし、自ら「制約説」であるというが、その見解が前訴判決に対し、如何なる場合にも上訴、再審を経ない限り、国家賠償法の適用はないというのであれば、それは実質上「適用否定説」と同一に帰し、原判決引用の最高裁判所の判例にも違反する。
二、原判決が、若し「制約説」を採るならば、単に上訴、再審を経ていないという一事のみにとゞまらず、何がゆえに上訴、再審を経なかつたのかを検討すべきである。
上告人が前訴判決において、上訴を経なかつたのは(再審は法律上不可能である)、前訴判決の担当裁判官の不法行為のために外ならない。すなわち、上告人は担当裁判官の違法な判示のために上訴の権利すら奪われてしまつたといつてよい。
三、民事訴訟法は、法律に素人である者が、当事者として自ら訴訟を遂行することを認めている。かつ裁判所は、法律の解釈適用につき有権的判断を下す専門的国家機関である。
その裁判所が前訴判決において、法律上商人間の留置権について被担保債権と留置物との関連性が必要であると判示したのであるから、法律に素人である上告人がそれを信じ、やむなく上訴を断念したのは責められるべきでない。
この場合の担当裁判官の過失は、職業裁判官としてありうるような ケアレス ミステイク とは考えられず、既に常識化した法規定の不適用であり、然も、またそれだけに素人として判決で法律がそうなつていると述べられれば、疑う余地のないものである。
従つて、原判決がたとえ「制約説」に立つたとしても、裁判官の違法行為の質並びに程度によつては、国家賠償法の適用を避けることはできないであろう。
四、ところで、原判決が「制約説」をとる理由については、上告人としては全く理解し難いものである。すなわち、
(一) 原判決のいう「裁判の本質に由来する制約」なるものが、一体何を指しているのか、全く明らかでない。もしその「制約」の根拠が憲法第七六条第三項という「裁判官の独立の原則」から導かれるというのであれば、それは明らかに同条同項の解釈を誤つたものである。なぜなら同条は裁判官がいかなる圧力にも屈せず、「良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される。」として裁判官の独立を保障することによつて、公正な裁判を受ける国民の権利を擁護するところにその眼目があるのであつて、
決して、いかなる場合にも裁判官が無答責であることまで宣明した規定ではないのである。また現実においても、前訴における裁判官の職務行為の違法性が後訴で確定されたとしても、前訴における担当裁判官の職務行為の独立性を、さかのぼつて害するという事態は考えられない。何故ならば、三審制の採用が裁判官の独立の原則を害しないことをみても明らかである。
(二) 次に原判決の理由(二)及び(五)についてであるが、国家賠償を求める後訴においては、前訴裁判の適否を前提として、損害賠償請求権の存否を判断するものであるから、前訴裁判は前提事項となるにすぎないし、また後訴は前訴裁判の効力そのものを争訟の対象とするものではないから、後訴の結果いかんによつて前訴の確定力がなくなるわけではないから、裁判の法的安定性を害する結果を招くということはないし、前訴と後訴では、そもそも訴訟物が異なるのであるから、既判力の抵触ということもありえない。これは前訴の相手方がたまたま国であつた場合も同じことである。
(三) 原判決が「制約説」を採る理由(三)についてであるが、三審制度再審制度の趣旨を誤解しているといわねばならない。本来、この制度を設けている立法趣旨は、可能な限り真実発見、誤判の防止の実をあげ、究極的に国民の正当な権利保護を全うする点にあるから、この制度の存在自体を盾にとつて、裁判所が裁判官の違法な職務行為の結果、惹起された被害の救済を、いかなる場合でも一律に拒否することは却つて、その立法趣旨に相反する結果を招く。三審制度の存在により、あたかも「王は悪を為しえない」と同様の「裁判官は悪を為しえない」的な結果を招くことは、是認されてはならないと信ずる。
五、裁判官の職務行為に対し、国家賠償法が適用されるか否か、またいかに適用されるかは、憲法第一七条に由来する同法の立法趣旨によつて決せられるべきである。国家賠償法は、広く公権力の行使にあたる公務員の不法行為から、国民の権利を守り、その受たる損害を賠償させることを目的として立法されたものであり、同法は公務員の中の裁判官を何ら対象から除外していないのであるから、裁判官による職務の行使を違法として、同法にもとづく国家賠償請求の訴があつたときは、受訴裁判所は、たとえその審判の対象が裁判官の行つた裁判であつたとしても、受訴裁判所としての自由な独立の立場から、右裁判の違法性の有無をあらゆる事実を踏まえて判断し、もしそれが違法であると判断したときは、その損害の賠償にまで進んでいくのでなければ、広く公権力の違法な行使から国民の権利を守るという同法の立法趣旨は十分果しえないといわねばならない。以上述べたとおり、原判決は国家賠償法第一条第一項の解釈、適用を誤つたものであり、右は判決に影響を及ぼすこと明らかであるから、破棄を免れないものである。
六、なお付言すれば、原判決のように、裁判所が自らの違法行為は棚に上げて、何ら反省することなく、逆に被害者たる上告人に対し、「再審の訴の提起もしないで……担当裁判官の判決行為自体の違法のみを主張している。」とあたかも叱責とさえ受けとられるような判示は、果して公正な裁判を受ける権利を有する国民を納得させうるであろうか。日本の裁判所の良心は、本件のような小さな個人的事件においてもなお、正義のとりでとして示していたゞきたいのである。

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