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映画『ジャイビーム!(仮)』 改めて、はじめましてのご挨拶(後編) Film 'Jai Bhim!'

映画『ジャイビーム!(仮)』撮影のヤス君よりご挨拶、最終回。挨拶し終わる前に、インドロケが終わり、これから編集に入ります!


前編はこちらから。


これより後編。

初めてのナグプール(インドの中央部)で、家族4人住み込み生活が始まりました。僕たち一家が転がり込んだのは、佐々井上人が住むインドラ寺から歩いて10分くらいのインド僧が住むゲストハウスです。佐々井上人のご厚意で、2階の一室を僕たち家族のために2週間も使わせていただけることととなりました。


インドラ寺(正式名称インドラ・ブッダ・ビハール)では、年中休みなく365日、毎朝6時と夕方6時にお坊さんがお経を読んでお努めをされています。数年くらい前までは佐々井上人も毎日お努めをされていたらしいのですが、体調を崩されたので、現在はお弟子のお坊さんたちが数人で、ブッダが教えを説いたとされるパーリー語でお経を読まれています。


特筆すべきは、近所の仏教徒の皆さんが毎日朝は2‐30人、夕は5‐60人参加して、共にお経を読んでいることです。リードする方がマイクでお経を読むのですが、一通り壇上のお坊さんが読み終えると、次は近所の人たちにマイクが回され、本堂の中になんとも言えない不思議な共鳴が湧き起こります。

参加される方は女性の方が多いのですが、その声が時間と共にどんどん盛り上がってゆき、なんだか洞窟の中でお母さんの子守を聞いているような感覚にトリップしてゆきます。

そして最後に、現在のインド仏教を約60年前に復興させたアンベードカル博士を称える歌が歌われ、なんだか不思議な感覚に酔いしれた気分になる頃、お坊さんたちの「ジャイビーム!」のコール&レスポンスで終了します。


お努めが終わった後は、参加した仏教徒の方々は井戸端会議的にいそしんでいます。お坊さんたちは、佐々井上人への朝の挨拶と活動予定の確認のため、3階のバンテージの部屋に向かいます。

そこで飛び交うのが「バンテージ」という言葉です。主には佐々井秀嶺上人が、ここインドで人々から呼ばれている敬称なのですが、日本語に訳すと「お上人様」みたいな感じです。

「お坊さん」が「バンテー」
「~さん」が「ジー」
「バンテー・ジー」が「バンテージ」に聞こえるのでみんな「バンテージ・バンテージ」と親しみを込めて呼んでいます。


僕たち家族も、朝夕と、お努めに出ることができた日は、お坊さんたちの後からひょこひょこついてゆき、バンテージに挨拶と予定を聞いて、同行できそうな場所なら、バンテージの車の後部座席に家族4人乗り込み、活動についてゆくというような毎日を過ごしました。


そんな中、土地勘もない僕たちの2週間のナグプール生活の心の支えになったのが、中編でご紹介した「竜亀さん」の存在でした。竜亀さんには、本当にここでのバックグラウンドや、生活のわからないことをたくさん教えていただきました。


そんな竜亀さんが最初に教えてくれたのが、バンテージへのあいさつの仕方です。バンテージに会った時は、基本手をついて3回お礼をします。客観的に見れば人物崇拝のようなイメージを持たれることもあると思いますが、
それは仏教において大切なブッダ(悟った人)・ダンマ(その教え)・サンガ(それを伝える存在)の3つへの敬意を、人個人ではなく、人を通して、「その奥」にあるものに対して敬意を表する意味があるのだと教えてくれました。


お寺に同じように住み込みのお坊さんは、竜亀さん以外は基本、インド人僧侶ばかりなので、竜亀さんには頼りっぱなしでした。こちらで2年程住みながらヒンドゥー語を学び、インド人たちとうまくコミュニケーションを取っている竜亀さんがいたお陰で、インド人たちとも仲良くコミュニケーションが取ることができましたし、現地の感覚やバンテージのお話なども色々と教えていただきました。


なので、ゲストハウスでは一家問題なく過ごせたのですが、食べるものに関しては、インド人と日本人では味覚が相当に違うようで、僕たちが作って「どうぞ」と差し出しても、こんなの食べれない(味が薄すぎる?スパイスが効いてないため?)と拒否され、インド人用と日本人用の食事は自然と別々になりました。


現地で友達になったインド人からも「こんど日本食を作ってくれ」と言われ、最高にうまい親子丼を御馳走したことがあったのですが、親子丼を食べているときは、いつも笑顔が出てこず、結局終止こわばった顔でたいそうな時間をかけてがんばって食べておりました。


彼らが作る食事をこっそりつまみ食いしたのですが、やはり一口で脳天突き破る辛さで、よくチャイを作ってくれ飲ませてもらいましたが、日本の約2・5倍くらいの甘さでした。


竜亀さんの話はまだ続きます。
実は、このインド旅の資金は現金3万円をインドのルピーに替え、あとはカードでキャッシングしてその都度引き出すつもりでした。ナグプール行きを決め、ナグプールで1週間ほど滞在した頃、そろそろお金もなくなってきたので、ATMに行き嫁さんのカードでお金を引き出そうとしました。

すると「unavailable 利用できません」の表示。英語表記が間違っているのか、何度やったでも「アンナベーラボー」の表示。数日かけて、ナグプール周辺のATMや銀行を回りましたが、結局どこも同じでした。

ナグプールではゲストハウスに滞在しながら、バンテージや竜亀さんのお世話になっていたので、お金をほとんど使わずに済みましたが、ナグプールから帰る電車代や、残りの旅路に必要なお金が残っていません。

意を決して、初対面の竜亀さんに相談してみると、「お金貸してあげるよ」と神の声が返ってきたのです。そのお姿には、後光がさしていました。数か月後に一旦日本に帰国するから、日本の銀行口座に振り込んで返す、という約束でなんとか急場をしのげることになりました。

あの時、ナグプール行きを決めていなかったら、竜亀さんにお金を借りれていなかったら、僕たちはインドの大地へ上陸早々にお金が尽き、2週間以上の月日を家族4人無銭で、どう過ごすことができたのでしょう。まぁそれはそれで、新たな展開があったのかもしれませんが、とにかく、命拾いをしました。



ナグプールが「龍宮」の意味を持つ地名だということは述べましたが、
龍宮城といえば浦島太郎のお話によれば、「亀」がそこまで連れて行ってくれます。

そういえば、尾道に来てから、僕は2度道路に飛び出して来た「亀」を助けたことがあります。もしかしたらその亀さんたちが、「竜亀」さんを通じて僕たちをこのインドの龍宮城へ導いてくれたのか?なんてこともちょっぴり思ってしまいました。


さてさて、そんなこんなで道に逸れてしまいましたが、この旅は僕たちにとって大きな船出となることになります。日本とはまったく違う環境、日本人がほとんどいない中での生活。このインドの地で、並みいるインド人を束ね、行動するある日本人の姿。それは本や映像の中でしか見たことのない、脳内理解ではなく、肌で触れ感じる本当に世界。現地でしか感じることができないものでした。

その旅の中で見たものは聞いたこと、感じたことは、またおいおい書いていこうと思います。


この旅の最後に、僕たちはバンテージにお別れの挨拶をしにお部屋へ伺いました。結局はお世話になるばかりで、さほど何もすることができず、バンテージとも深いお話もできすにいましたが、僕はこの時、恐れ多くも口をついたように「僕たちにもお名前をいただけますか?」と聞いてしまっていました。(妻は後から「よう言うたな~」とあきれていましたが…)


すると、バンテージは僕たちの、住む「尾道」の住所を眺めて

「尾道だからお前は【龍道】」
「奥さんは、お前をインドに導いた存在だから【龍宮】だ」

なんと、あっさり即興で「龍道」「龍宮」というお名前を頂くこととなりました。

この時はまだ、次いつバンテージに会えるかどうかも全く予想もしておりませんでした。半年後、バンテージが日本に帰国した時に、尾道と大阪の2か所で講演会で企画し、うちにも泊っていただき、その後、バンテージの活動への随身員として福島県へ同行し、テレビで共にワールドカップ観戦、そして今回のインドロケ・映画制作という不思議な繋がりが、いただいた名前の如く【道】が【宮】に繋がるように続くことなど思ってもみませんでした。


そんなヤスくんの近所に住む僕は、彼を通して世界を見てみたくなったのです。

共同監督としてヤスくんと2人で作り始めた映画『ジャイビーム!(仮)』。いよいよ編集に入ります!



映画『ジャイビーム!(仮)』最新情報はこちら。


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