京都しみじみ
3月11日、ワタクシは4年間住んだ京都のマンションとお別れをした。3月9日に引っ越し業者が来て荷物を一掃し、11日に電力会社や大家との立ち会いを済ませ、最寄りの郵便局で転居届けを出したのであった。
思い返せば大学受験を終え、京都に物件探しをしに来たのがちょうど4年ほど前で、そこからたくさんの思い出を京都という地で積み重ね、気づけば自分の故郷をも超える大好きな地域となっていた。
ワタクシが京都に移り住む前、京都という土地を訪れたのは2回ほど。1回目は小学生の修学旅行で、2回目は大学のオープンキャンパスである。たったの2回では、京都は金閣寺や清水寺がある観光地というイメージしか抱いていなかった。
しかし今なら旅行雑誌やテレビ、インスタといった断片的な側面だけでない、真の京都の魅力を語れるまでになった。そして京都は4年間では到底理解できない(ましては旅行ではなおさら)深い魅力が存在していることも肌で感じることができた。
京都は食に関しては真っ先にイメージされるのは和食である。昔ながらのお茶屋の街並みが残る祇園や様々な趣深い神社、寺院がいくつもある京都をイメージすれば無理もないことである。しかし実は全国で一番パンの消費量が多く、レベルの高いパン屋がゴロゴロしているということ、京都人の心を鷲掴みする洋食や中華の名店がたくさんあること、日本有数のラーメン街が存在しているということ、東京にも負けないほどのカフェ大国であること、まだまだたくさんあるがこう言ったことはやはり住んでみないとわからないことであった。
例えば、個人的に麻婆豆腐で右に出る店は無くフカヒレスープがとにかく絶品であった隠れ家中華の「美齢」、もつラーメンという変化球ながら何度も食べたくなるラーメン屋「すがり」、繊細な焼き鳥が食べられる「人見」、比叡山に登った後や清水寺ライトアップのアルバイト後などに食べ思い出が詰まった天津飯の名店「マルシン飯店」、京都では珍しく駐車場があり両親が来た時によく訪れた北山のハンバーグ屋「東洋亭」、少し考えるだけでもこれだけある。どれも本当によく通った店でヒジョーに懐かしいばかりである。
そして3時寝、12時起きを繰り返し、大学なんて行ってどうすんだというスタンスを貫いた怠惰な私にとって、欠かすことができないのは今は無きカフェ「ほんやら堂」であった。起床してすぐパジャマのまま毎日のように店へ向かい、日替わり定食を頼む。お肉とサラダ、味噌汁にご飯かパンを選択し、食後にコーヒーが付く。マスター一人で切り盛りされていて、お客さんもほとんどが常連である。起きてから目をこすりながら半目で店の扉を開けると70%の確率でお決まりの友人がいた。その友人もワタクシと同じで非常に怠惰な生活を送っていて、待ち合わせすることもなく毎日のように店で遭遇した。
少々量が多かったが、食後のコーヒーを飲めば、講義に出なかった小さな罪悪感を同時に洗い流してくれた。食べ終われば、遭遇した友人の家に転がり込んだり、コンビニへお菓子を買いに行ったり、その当時は何でもない日常が今となっては一番の思い出へと変貌した。
もちろん時間を存分に使って京都のすみずみまで観光もした。北は貴船や鞍馬、西は仁和寺や嵐山界隈、東はもちろん南禅寺や大文字山、南は宇治や伏見などありとあらゆるところに訪れた。当然お気に入りのスポットもできたし、訪れる度に色んな顔を見せてくれるお庭や木々に何度も感動した。
紅葉時の「真如堂」や「北野天満宮」、住まないとなかなか見ることができない雪の「金閣寺」、出町柳から神宮丸太町区間の「鴨川」、ランニングするときのコースにしていた「二条城」、昭和初期の匂いがプンプンする「船岡温泉」などは当然脳裏に刻み込まれているし、龍馬暗殺地にあるかっぱ寿司や、薩長同盟締結地にあるカフェ「フランジパニ」など幕末好きのワタクシが興奮するお店など、思い出となる地は山ほどである。
そして京都中を巡ることによる京都の土地勘やスポットの知識がついたことは、日本人として本当に貴重な経験となった。
今まで京都という土地について述べてきたが、こうした素晴らしい時を過ごすことができたのは当然京都で時間を共にした友人たちの存在が大きいのかもしれない。毎日のようにこたつに入ってゲームをしたり、レストランでご飯を食べたり、授業を受けたり、そうした記憶が京都という地への思いをより大きくしているに違いない。今後歳を重ねても、京都で共に時間を過ごした友人と京都で美味しいご飯を食べながら思い出話に花を咲かせるのが一番の幸せなのかもしれないとさえ思っている。
それはさておき、世界中を旅行してきて色んな都市をこの目で見てきたが、やはり日本人であるワタクシが京都以上に住みたいと思える都市はなかなかなかった。
メイン住居として、またはセカンドハウスとして、定宿を決めたショートトリップを繰り返す形として、どんな風かは分からないが、今後も京都という地とは関係を続けていきたいと誓う。
2019年3月14日
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