明治時代に明らかになった、驚異の英語教育法とは!?
ペリー来航と、日米和親条約の締結(1854年)による鎖国の終わり
こんばんは、合同会社ほしのやのゼンイツです。
今日も、自分の好きな『英語✖️歴史』について、お話いたします!昨日は、江戸からペリー来航までの日本の英語教育について書きましたので、今日はその続きからです!
ペリー来航により、いよいよ日本が開国を迫られ、これによって西洋からの情報が急速に増え、特にそれまで貿易の主な相手であったオランダの蘭学から、アメリカ、イギリスの英学が主流となった。
この時、福澤諭吉も、『これからは英語の時代だ』とすぐに気づき、蘭学を捨てて英学に力を入れるようになったそうです。
福澤諭吉の予見した通り、明治政府は新しい日本国の基盤を西洋に求めるようになり、多くのお雇い外国人を日本に招き入れるようになりました。
(今日もこちらを参考にしております)
英語の学習と、宗教の関係
明治初期、日本政府はイギリスやアメリカを師と仰ぎ、知識を吸収しようとしました。
そのため、高等教育の担い手も、英米人を中心とする外国人教師たちとなりました。
つまり、今で言う大学の教授は軒並み外国人で揃えた、というイメージですね。
当然、当時の日本では限られた人しか高等教育を受けることは出来ませんでしたが、それにしても、高等教育を受ける物たちは、『英語で学ぶ』ことが求められました。外国人の話す英語を聞いて、数学や文学など様々な講義を『英語で受けていた』、という事です。今の日本人より、おそらく当時の高等教育を受けた日本人の方が、英語が話せたのかも知れませんね。
また、この明治初期から英語学校が多く建てられ、多くの日本人が英語を学ぶようになりました。
しかし、これらの学校で英語を教える外国人教師たちは、そのほとんどが、キリスト教の宣教師たちでもありました。
そのため、日本は英米の文化や言語を学ぶと同時に、キリスト教も広く普及する流れが生まれました。
面白いですよね。今では考えられないですよね。
外国語を学ぶついでに、その国の宗教もろとも吸収するとは。鎖国が終わり、何もかもが新しかった時代と、現代のインターネットで何でも分かってしまう時代で、人間の新しい知識に対する反応の仕方が全く異なることがよく分かりますね。
現代の、『話せるようにならない日本の英語教育』が誕生
明治初期は、文部省が正式に『英学本位制』を採用する程の大々的な欧米化、欧化政策が進められたが、これは10年ほどで終わりを迎えます。
明治5年に制定された『学制』が軌道に乗り、教育制度が整っていくにつれて、高等教育の担い手が、『宣教師かつお雇い外国人教師』から、『日本人の英語教師』へと変わりました。
そうなってくると、各地に建てられた英語学校も、外国人教師がいないのではあまり存在意義もなくなってしまい、廃止されていきます。
また、宗教的な要素も含めた急激な欧化主義への反発が起こり、国粋主義的な考え(日本が世界で最高の国だ!という考え)が高まりました。
さらに、明治10年に起きた西南戦争により国はお金がなくなり、お雇い外国人を解雇して、更に外国人から直接学ぶ機会は減りました。
そしてこれまで授業は外国人による英語での授業が主流だったものが、『教育の国語主義化』という、日本語での授業となりました。この時、日本の英語教育は、発音無視の、訳読中心の学習法に変わりました。
私たちに馴染みの深い、英文を単語を調べて日本語訳したり、難しい文法用語を使っての英文法学習が始まりました。
これまでの、明治初期の『英語で学ぶ』から、『英語を学ぶ』に変わってしまった時代でした。
そして、日英同盟の締結(明治35年)、日露戦争への勝利(明治36年)により、日本人は国際社会に関心を持つようになり、同盟国のイギリスの言語で有る英語を学習する熱が、国民の間で熱狂的なものとなりました。
岡倉由三郎の語った、驚きの英語学習法とは!?
夏目漱石は、英文学に触れ、英語を読み漁る事で英語が堪能になったとのことですが、彼と同時期に英語学者として活躍した人物に、岡倉由三郎という方がいます。
彼は、明治初期から押し寄せる西洋文化の中、日本の美術の素晴らしさを世間に広めた人物である『岡倉天心』の実の弟です。
彼は、明治を代表する英語教育の専門家でありますが、彼が当時の英語教育では英語が話せるようにならない現状を打破すべく、日本人が英語を話せるようになるにはどうしたら良いか、と問われ、以下のように答えています。
『英語を使って様々な学科を学んでいた時代とは異なり、今は英語は英語の授業の時間以外は学び得る機会がほとんど無くなった。』『これを補うには、自宅自修を多くやらせるほか、名案が無い。』
どーーーーーーん。
とにかく、たくさん勉強しろ、という事ですね。笑
面白いですね。答えは、とっくの昔から出ていた、という事ですね。笑
初めから、話せるようになることを目的とした英語教育の指導要領にはなっていない、それは昔から変わっていない、という事ですね。
時間的な制約があるから仕方ないのですが、少なくとも、『学校教育だけでは話せるようにはならない』という事を、世間の誰もが知っている状況にすれば、『話せるようになりたい人は今のうちからもっと頑張ろうね』という発想にも繋がりそうなものですが。。。!
まぁでもその事実は、教えて貰わないことを嘆くのではなく、自分で情報をとりに行かなくてはなりませんよね。勝手に勘違いしてたのはわたしの方ですよね。失礼しました。笑
突っ込みどころ満載の日本の英語教育。
わたしは、そんな矛盾に悩まされて同じところをぐるぐると回る日本とゆう国が、人間味があってとっても大好きです(´∀`*)笑
明日は、大正時代以降の英語の歴史を紐解きます。
今日も、最後までお読み頂き有難うございました!
素敵な夜をお過ごし下さい☆
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