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No.17

「もし彼女の行為を否定的に見ようとするなら、与えるのではなく浪費しあるいは要求しているともいえるだろう。ときとして「星」は、内なる子供の未解決になったままの神経症に取り憑かれながら、過去へと自分のエネルギーを浪費し続けている状態を表していることもある。この場合、人は自分が愛されることもなく、侵害され、見捨てられてきたと常に感じながらーましてや与えようと考えることもなくー満たされることのない吸血鬼のような存在になることで、途絶えることなく性的エネルギーや感情的エネルギーを要求し続けることになるだろう。」
「タロットの宇宙」の17番の星から抜粋

一階のすさみんとマンションアイの新しくはなったが可愛くなくなった入口の階段下で、いつものように話していて気づいた。ホドロフスキー師匠の教えを守りたいが先に立ち過ぎて、私の中で「タロットでお金を稼ぐこと」が詐欺師か悪魔と同じになっていて、そのせいで周りの人をただただ困惑させていたのだと知った。

今年の正月早々、ホドロフスキーの教えに習って無料にした。あきらかに私じゃないだろう人が何人かまじって来てしまい、彼女たちの態度に傷つくこともあって、ルールや制限がないとこうなるのかと思った。それからは私の十八番、行動を伴った迷走が始まる。In Dreams を持ってきたり、Toshie’s Roomを作ったりしたけれど、私以外の人は理解できないでいたらしい。シンプルにする時がきたのだと思った。人を繋ぎ止めたい欲に負けないように、私に同じ話を聞いてもらいたいだけの人には正直な気持ちを伝えて断ろう。タロットの哲学が必要な人たちに届くことを信頼しよう。小さな勇気を出せば大丈夫。私が自分の場所から人に与えられるものをもっともっとシンプルにしていこう。

FLOWER magazineをタロット目的ではなく好んで買ってくれる人たちなら、安心できるものがお互いにあるはず。それは花では絶対にないし、フェミニズムでもアートでもない。でも言葉にするとそういう感じのもの。私が安心できる最低のラインと、お客さんの中で安心して予約できる最低のラインが重なるものが今のところFLOWER magazine だと思う。この決断の後で、新しい作品を作ることへの情熱に火がついたのも嬉しい。

偶然だったけど、先週末にNetflixでOSHOと呼ばれたカルト集団の教祖とその信者で構成された「ワイルド・ワイルド・カントリー」を見て、ホドロフスキーが何度も言っていたことがより深く腑に落ちた。人の心はいつの時代も常に孤独で、カリスマの甘い言葉に洗脳されたい人だらけだし、宗教もセックスも、ドラッグと同じに見えた。登場人物の誰にも共感できなかったけど、側近の女たちに逃げられた後の教祖様がペラペラ過ぎて、ざまあみろだった。カリスマ男にひざまづき、自分が持っている全てを与える女たち。終わってみれば与えていたのか奪っていたのか、誰にもわからない。

お金を取ってリーディングしていた時の私は、ギリギリのところにいたかもしれない。あっちに行かずに済んだことにほっとしてる。私は私の直感やセンスを結局のところ信頼している。OSHOタロットではなく、ホドロフスキーのタロットを選んだ私を、心からかっこいいと思ってる。
当たり前だが、ホドロフスキーもいろいろ考えての言葉だったと思う時の嬉しい気持ちを信じてる。お金には苦労した人だし、教祖になろうと思えばなれた人だ。デビット・リンチやニキ・ド・サンファルも同じく。芸術の神様を信じる心には、欲に溺れてあっちの世界に行ってしまうのを止める力があると思う。目に見えないものがあるなら、私はそういうのだけでいい。

今朝、アスクルから梱包資材が届いた。最近はアスクルを使ってなかったのだけど、プチプチはヤマトさんが先に来て、その数分後にアスクルの配達員さんが残りのOPP袋を持ってきた。一緒に注文したのになぜ?

この2年でまた老眼が進み、メガネがあってもよく見えない。レンズを変えてもどんどん悪くなるだけ?発送業務はピリピリするので気が重いけど、終わった後の達成感が好きだし、得意なことのひとつだった。肉体的には難しくなっていくのだから気を引き締めて丁寧にやっていきたい。

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