野村芳太郎監督と天才俳優・渥美清

佐藤利明(娯楽映画研究家)

  渥美清主演の「泣いてたまるか」は、66年から68年にかけてTBS系列で放映されたペーソスあふれる人気ドラマ。後のフジテレビ「男はつらいよ」(68〜69年)と共に、演技者としての渥美の可能性を引き出し、27年 48作続くことになる映画『男はつらいよ』の車寅次郎の原型を作ったとされる名作シリーズである。
 その第一話は、昭和41(1966)年4月放映の「ラッパの善さん」。渥美が扮した善さんはタクシー会社勤務。お人好しだが意地っ張り。酔うと軍隊ラッパをアパートの庭で吹き出す。そのラッパについての悲しいエピソードを思い出すと自然と涙が溢れ出す。その特技を活かして会社の事故処理係をしている男。演出はTBSの中川晴之助。脚本を担当したのが野村芳太郎監督だった。悲しい戦争体験と好人物。ラッパの善さんは、『拝啓天皇陛下様』の山田正助や『続 拝啓天皇陛下様』の山口善助の分身のような男。


 野村芳太郎監督は、名匠で松竹蒲田撮影所所長もつとめていた野村芳亭監督の子息として幼少時代から映画界に親しみ、昭和16(1941)年、22歳で大船撮影所に助監督として入所。映画以外の「仕事につくことなど考えなかった」という野村監督が応召されたのは昭和17(1947)年。ビルマ戦線へ補充将校として送られ、地獄の「インパール作戦」に参加、生還したのは敗戦後の昭和21(1946)年。松竹に復職して以来映画の世界を歩み続け、その確かな手腕で時代劇、メロドラマ、音楽映画とプログラムピクチャー全盛の松竹黄金期を支えてきた。
 特に『張り込み』(58年)に始まるサスペンス映画は、キャメラマン川又昂との名コンビによるドキュメンタリー的な映像、犯罪者の内面をえぐり出す心理描写で野村の独壇場となった。
 そのいっぽうで得意としたのが喜劇。『森繁伴淳の糞尿譚』(57年)のエネルギッシュなパワーは、後の重喜劇と呼ばれるジャンルの嚆矢となった。山田洋次、森崎東といった作家を育てた功も大きい。野村映画の魅力は、緻密な画面構成と丁寧なカットの積み重ねによるゆたかな映像表現。『砂の器』(74年)のクライマックスの感動は、そこから生まれている。


 その野村監督と渥美が初めて顔を会わせたのが、昭和38年の『拝啓天皇陛下様』。渥美は「丈夫で長持ち」をキャッチフレーズに、テレビ時代のコメディアンとしてNHK「夢であいましょう」「若い季節」で人気が上昇、昭和37(1962)年フジテレビの「大番」のギューちゃん役でトップタレントとなった。映画界はその人気に目をつけ、同年秋、初主演作『あいつばかりが何故もてる』(酒井欣也)が作られている。小津安二郎の遺作『秋刀魚の味』の併映作ということからも、松竹の渥美への期待が伺える。
 映画界は、テレビから参入組の植木等の『ニッポン無責任時代』(62年東宝・古澤憲吾)に始まる「無責任ブーム」が起っており、その対抗馬としてマスコミは渥美清に熱い視線を送っていた。主演第一作は典型的なプログラムピクチャーということもあって、あまり話題には上らなかった。


 しかし続く『拝啓天皇陛下様』は、野村監督との幸福な出会いが幸いして、後の渥美と松竹喜劇の方向性を決定づけた。山田正助のペーソスと凄み。無類のお人好しの中に潜む暴力性。そして陸軍という組織と日本が歩んだ戦争という時代。野村演出は、渥美が持つもうひとつの顔を巧みに引き出し、時代を超える名作となった。
 続く『続 拝啓天皇陛下様』では、棟田博原作のイメージを継承しつつ、新たな主人公・善助を創造。「軍隊こそ最高」と信じている無垢な主人公が体験する昭和という時代を、時にはノスタルジックに、時にはアイロニカルに描いている。第一作と第二作の微妙な温度差は、『続〜』の脚本に参加した山田洋次の資質によるところも大きい。
 「拝啓シリーズ」と冠がつけられ、第三作『拝啓総理大臣様』(64年)が作られた。渥美は時代に取り残された売れない漫才師。かつての相棒・長門裕之が「拝啓総理大臣様」というネタで流行しているのとは正反対。古いスタイルにこだわる渥美は幼なじみの混血児・壺井文子とコンビを組んでドサ周りをしているが、コンビ解消した長門に乞われるままにテレビに出る。しかし渥美は初のテレビ出演に緊張して舞台は台無しになってしまう・・・ という芸人が歩む戦後という時代を描いた喜劇。全二作同様「時代に取り残された好人物」を変わりゆく世相と共に丁寧に描いている。
 粗野なお人好しが主人公の喜劇は、ハナ肇主演、山田洋次監督『馬鹿まるだし』(64年)へと続いていくが、もともと藤原審爾の原作「庭にひともと白木蓮」の映画化は野村監督に托されたものと聞けば、納得できる。


 やがて渥美は、「泣いてたまるか」、そして『喜劇・急行列車』(66年東映・瀬川昌治)に始まる「列車シリーズ」を経て、テレビ「男はつらいよ」に出演、本格的映画俳優への新たな時代を踏み出すことになる。その間、野村は渥美のため「泣いてたまるか」の「ラッパの善さん」(66年)と「まごころさん」(68年)、そしてNTV「夫婦百景」(66年)の「幽霊女房」の脚本を書いている。
 橋幸夫主演の『男なら振りむくな』(67年)の助演はあったものの、野村作品の主演としては久々の『白昼堂々』(68年)は、廃鉱の住人たちがスリ集団だったという群像劇。川又昂によるビジュアルと、渥美の魅力的なキャラクター造形、そして野村監督の緻密な演出で、深い印象を残す喜劇となった。
 続く『でっかいでっかい野郎』は、「男はつらいよ」放映終了ひと月後に公開された重喜劇。山田洋次の『馬鹿まるだし』などに通底する「無法松の一生」のエッセンスを最大限に活かしている。粗野な渥美とインテリ長門裕之のコンビは、そのまま『拝啓〜』の山正と棟さんを彷彿とさせる。また『続〜』の久我美子と善助も「無法松」的な関係だった。

 その後、「寅さんブーム」のなか野村監督は宍戸錠と森田健作主演、山田脚本の下町喜劇『東京ド真ン中』(74年)を演出、渥美は頑固職人を演じている。『砂の器』(74年)では映画館支配人に扮し、そこで上映されているのが、父・芳亭の『利根の朝霧』(34年)と同じタイトル。こんなところに松竹映画、そして野村親子の歴史が刻まれている。そして『八つ墓村』(77年)では渥美が金田一耕助を演じるという意外なキャスティングを成功させ、野村の真骨頂であるミステリーに渥美が新境地を拓いた。

 戦前から連綿と続く松竹スタイルを作り上げて来た野村監督と、希有な才能を持つ渥美清によるバラエティ豊かな喜劇映画たち。「寅さん」前夜に作られたもうひとつの世界を見渡せば、映画監督・野村芳太郎と、喜劇俳優・渥美清が生み出した松竹喜劇の新しい流れを感じることが出来る筈である。


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