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伯父さんはどうしているのだろう『男はつらいよ 寅次郎ハイビスカスの花 特別篇』(1997年・松竹・山田洋次)

文・佐藤利明(娯楽映画研究家) イラスト・近藤こうじ

2024年1月27日(土)BSテレ東「土曜は寅さん!」で第49作『男はつらいよ 寅次郎ハイビスカスの花 特別編』放映! 拙著「みんなの寅さん from1969」(アルファベータブックス)よりご紹介します。

 平成八(一九九六)年八月四日、ぼくは葛飾柴又にいました。前の日に、原稿を書くため、届いたばかりの第四十八作『寅次郎紅の花』のサンプルビデオを観たこともあるのですが、真夏の陽射しが照りつける、暑い日、どうしても柴又に行きたくて、金町の方から江戸川土手を、帝釈天題経寺の方に向かっていました。

 昼すぎでしたが、土手から題経寺の方をみると、ポッカリと浮かんだ丸い雲が、題経寺の上にひろがり、ギラギラとした陽射しが遮られ、和らいだのです。題経寺の上だけ丸い雲、不思議なことがあるもんだなぁと思いました。

 後から知ることになるのですが、その日、渥美清さんが六十八歳の生涯を閉じたのです。

 それから一年、山田洋次監督は「男はつらいよ」から「一番好きな作品」を選んで、映像もクリアに、サウンドもドルビーサラウンドにリニューアルした特別篇を作ることとなります。それが『男はつらいよ 寅次郎ハイビスカスの花 特別篇』でした。当時、ジョージ・ルーカスが「スターウォーズ エピソードⅠ」の公開に先駆けて『スターウォーズ エピソードⅣ 新たなる希望 特別編』を製作。スティーブン・スピルバーグが、巨匠デヴィッド・リーンと『アラビアのロレンス 完全版』を製作したり、世界の映画界では、過去の名作をデジタル修復してリニューアル、オリジナルに間に合わなかった若い世代にも、新作としてプレゼンテーションするのが風潮となっていました。

 「男はつらいよ」の新作はもう観ることができない。ならば、とびきりの一本を選んで新装開店しよう、という発想で『ハイビスカスの花 特別篇』が作られたのです。

 その前に、二度ほど「男はつらいよ」が甦ったことがあります。平成八年九月十二日、山田洋次監督、倍賞千恵子さん、佐藤蛾次郎さん、前田吟さん、三崎千恵子さん、下條正己さん、太宰久雄さんらが柴又に集まり、とある作品の撮影が行われました。「東京のゴミはつらいよ」と題されたキャンペーンのポスター撮りでした。寅さんは旅の空、柴又のくるまやでは相変わらずの日常が続いている、そんな雰囲気のヴィジュアルが展開されたのです。

 この年の年末に、山田洋次監督が西田敏行さん主演で撮った『虹をつかむ男』(一九九六年)のラスト、四国は徳島で小さな映画館を営む主人公・白銀活男(しろがねかつお)が車を運転しながら「男はつらいよ」主題歌を口ずさんでいると、旅先の寅さんが佇んでいる。そんなヴィジュアルがありました。CG合成であるのですが、寅さんが元気に旅を続けている、それが嬉しくて、そのショットを観るために映画館に二度ほど足を運びました。

 やがて平成九(一九九七)年、『寅次郎ハイビスカスの花 特別篇』が製作されました。「東京のゴミはつらいよ」では車一家、『虹をつかむ男』で寅さん、そして『特別篇』では旅先の満男が寅さんを回想する姿が描かれました。「男はつらいよ」の人々の日常が続いている、それがこの三つの作品のなかで描かれているのです。

 『特別篇』の冒頭、セールスマンとなった満男が出張先の、JR東海道線国府津駅のホームのベンチで、ビールを飲んで一息ついているところに、満男の「伯父さんはどうしているのだろう?」とナレーションが流れます。満男がふと後ろの下りホームを見やると、東海道線が入ってきます。

 その窓越しに、なんと寅さんが立っているのです。満男に気づいたのか、いつものように「ヨッ!」と右手を挙げます。ここにも旅先の寅さんが登場します。これは満男の幻想なのか、現実なのか、そんなことは構わないのです。寅さんがそこに佇んでいる、その一瞬がスクリーンに収められているのです。

 そこから、電車に乗った満男が、寅さんのこと、寅さんとリリーのことを回想します。第十一作『寅次郎忘れな草』の網走での二人の渡り鳥の出会い、第十五作『寅次郎相合い傘』での再会、リリーのためにリサイタルを開いてあげたいという寅さんのアリア、そして別れ。まるで写真アルバムのように、画面の四隅が丸くぼかしてあるのは、『虹をつかむ男』でも引用されていた、木下惠介監督の名作『野菊の如き君なりき』(一九五五年)の手法です。

 この冒頭の寅さんとリリーの名場面は、山田監督の思いが込められた素晴らしいダイジェストです。そこからリニューアルされた『ハイビスカスの花』が始まるのです。

 この作品のために、山本直純さんの音楽がすべて新録音されています。しかもシリーズで初めてのステレオ、ドルビーサラウンドです。東京ニューフィルハーモニック管弦楽団の演奏が、素晴らしいのです。おなじみの「リリーのテーマ」「寅さんのテーマ」「柴又のテーマ」はもちろん、特別篇のために書き下ろされた「寅とリリーのテーマ」は、二人が寄り添い、ともに生きていることを示唆してくれるような音楽です。

 二〇一一年に、プロデュースさせて頂いたCD「男はつらいよ 続・寅次郎音楽旅〜みんなの寅さん」のディスク2には、この『寅次郎ハイビスカスの花 特別篇』の音楽をふんだんに収録させて頂きました。シリーズ終了後、もう一度、寅さんのために音楽を作ろう、という山本直純さん、山田洋次監督の思いがサウンドに込められています。

 『寅次郎ハイビスカスの花』で、「リリー、オレと所帯を持つか」とやっとの思いで告白したものの、結局うまくいかなかった寅さんが、リリーを柴又駅で見送るときに「幸せになれよ!」とかけた言葉。それからしばらくして、群馬県吾妻郡六合村荷付場のバス停でのリリーとの再会の幸福な幸福なラストシーン。そこに流れる新しい音楽。続いて、出張から帰ってきた満男が、帝釈天参道のくるまやに立ち寄るショット。店員の三平ちゃん(北村雅康)と加代ちゃん(鈴木三恵子)が、満男を出迎えます。変わらない日常がさりげなく描かれます。三平ちゃんが満男に「ご苦労さま」と声をかけます。ここでも「ご苦労さま」なのです。

 やがて参道を家路につく満男を捉えたキャメラが、参道の上空に上がっていきます。備後屋(露木幸次)と挨拶を交わす満男。カラスの鳴き声、そして源ちゃんが撞いているであろう鐘の音が聞こえてきます。キャメラが帝釈天の山門、二天門を捉えたあたりで、ワンフレーズ「男はつらいよ」のモチーフが流れるのです。

 冒頭と最後の新撮影部分は、いわば額縁なのですが、このシーンは、山田洋次監督渾身の名場面です。「男はつらいよ」シリーズへのファンの思いを受け止めた暖かいまなざしにあふれた、素晴らしいラストとなっています。

 この一連の音楽を、どうしてもCDに入れたくて『続・寅次郎音楽旅』を企画しました。「満男の帰宅〜伯父さんはどうしているのだろう」とタイトルを付けさせて頂いたこの曲は、昭和四十四(一九六九)年から二十六年間、四十八作続いた「男はつらいよ」という大河ドラマの、クラシック音楽でいうところのコーダー(終曲)ともいうべき曲なのです。

 「伯父さんはどうしているのだろう。」満男でなくても、ファンであるわれわれはいつも「寅さんはどうしているのだろう」という思いになることがあります。その答えは、渥美清さんと山田洋次監督、多くのスタッフ、キャストが二十六年間に渡って作り続けてくれた「男はつらいよ」全四十八作のなかにあります。映画を観れば、いつも、いつでも、どこでも、寅さんやさくら、博、満男、おいちゃん、おばちゃん、御前様、タコ社長、源ちゃんに会うことができるのです。

 また「寅さんはどうしているのだろう」という熱い想いは、山田洋次監督の書き下し小説「けっこう毛だらけ(悪童 小説 寅次郎の告白)」や、文化放送「みんなの寅さん」のようなかたちに結実して、次の世代へと語り継がれてゆくのです。寅さんは、今でも、旅の空で、変わらず、元気にやっているのだと、ぼくはいつも思っています。

この続きは「みんなの寅さん from1969」(アルファベータブックス)でお楽しみください。




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