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『兵隊やくざ 強奪』(1968年10月5日・大映京都・田中徳三)

 昭和40(1965)年3月13日に公開された『兵隊やくざ』(大映東京・増村保造)を第1作に、低迷する邦画界で人気シリーズとなった勝新太郎と田村高廣のシリーズも、『兵隊やくざ 強奪』(1968年10月5日・大映京都・田中徳三)で第8作目、大映では最後の作品となった。昭和18年から始まった物語も前作『兵隊やくざ 殴り込み』(1967年9月15日)で敗戦を迎え、シリーズ終焉を思わせた。それから一年、敗戦後の騒然とする中国大陸で、元一等兵・大宮貴三郎(勝新太郎)と元上等兵・有田(田村高廣)に立ちはだかる新たな事件を描いていく。「敗戦後の混乱」を描こうという発想は、このシリーズの人気と同時に、多くの人々の共通認識として「戦争体験」「戦後の混乱」の記憶が色濃かったから、でもある。

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 脚本は第2作『続・兵隊やくざ』(1965年・田中徳三)から第5作『兵隊やくざ 大脱走』(1966年・田中徳三)まで手がけてきたベテラン舟橋和郎と「座頭市」「大魔神」シリーズなどの吉田哲郎が執筆。音楽はお馴染み鏑木創。監督は「悪名」シリーズのメイン監督で「兵隊やくざ」は本作で6作目となる田中徳三。大宮と有田コンビの息のあったところは、シリーズものならではの味。特に今回の前半は、大陸を彷徨う有田と大宮の二人芝居が中心に展開される。今までは、軍隊を舞台にした「群像劇」でもあったのだは、今回は、二人で力を合わせて、荒涼たる大地でサバイバルをしていく様が描かれる。

 ヒロイン・揚秋蘭には、松竹の美人女優・佐藤友美。八路軍のスパイとして、敗戦を信じていない関東軍の独立部隊に捕まり、処刑寸前のところを、大宮と有田に命を救われるが、その正体は・・・という謎めいたキャラクター。今までは慰安所の娼婦や、慰問団の芸人などが色を添える形だったが、今回はドラマの要、ある意味ボスキャラを担っている。大宮が「いい女だなぁ」としみじみ呟くが、この時代、佐藤友美に男性ファンが抱いていた感情でもある。

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 人民解放軍の軍資金・10万ドルを強奪して、それを内地に持ち帰ろうとする元関東軍・松川大尉に夏八木勲。学生時代に文学座、卒業後に俳優座養成所に入所。同期には「俳優座花の15期生」と呼ばれる栗原小巻、高橋長英、前田吟、村井國夫、小野武彦らがいる。卒業後は、東映と契約、五社英雄監督『牙狼之介』(1966年)に主演。ワイルドで繊細な演技で立て続けに映画出演していた。そこで本作に抜擢。中国人マフィアに化けて暗躍しながら、解放軍に追われている身。「戦争映画」から解放された本作は、10万ドルの金貨を巡る男たちの欲望渦巻くクライム・アクションにシフトされている。

 松川大尉は敗戦のどさくさで、10万ドルの金貨のありかをめぐって、自分たちの部隊を虐殺し全滅させる。その残党たちが、第三勢力として登場するが、そのリーダー・権藤兵長には、文学座の江守徹。シニカルでクールなキャラクターは、のちに江守が得意とする役どころだが、勝新太郎、田村高廣を相手に印象的な演技を見せてくれる。60年代後半には、こうした新劇の若手の新たな才能が、プログラムピクチャーを豊かにしてくれ、それがテレビドラマの時代へとシフトしていく。

 また、大宮と有田が、慰安所の廃墟に捨てられていた赤ん坊を助けて、三人でサバイバルを展開していく。赤ちゃんを連れたヒーローということでは、シリーズ第8作『座頭市血笑旅』(1964年・三隅研次)が記憶に残るが、本作も大宮の子煩悩ぶり、赤ちゃんに託した思いは、大宮と有田の「明日への希望」の象徴となっていくのもいい。浪曲師くずれの大宮が、子守唄がわりに浪曲で「赤城の子守唄」をひとくさり唸るのも楽しい。それが有田にもうつって、有田も「泣くなよしよしねんねしな〜」と唄う。その幸福感に、戦争が終わった解放感を感じる。そのシーンの後に、有田は解放軍に捕らえられてしまうのだが。

 敗戦直後の満州。前作『兵隊やくざ 殴り込み』のラストで、私服を肥していた上官たちをボコボコにして、自由への一歩を踏み出した大宮と有田。いきなりゲリラに襲撃されるが、機転を利かして、五人の元日本兵・権藤兵長(江守徹)、田辺上等兵(千波丈太郎)らを助けることに成功。しかし彼らは上官・松川大尉(夏八木勲)が奪った解放軍の軍資金10万ドルの金貨を狙うワルたちだった。それを知る由もない大宮と有田は、やがて敗戦を信じていない関東軍の生き残り、加藤中尉(須賀不二男)率いる加藤中隊と遭遇。無理矢理隊に組み入られそうになる。

 リベラルな有田は「すでに戦争は終わっている」「自分たちは兵隊じゃない」「あなたに命令される謂れがない」と毅然とした態度をする。軍国主義の亡霊に取り憑かれた加藤中尉は、終戦の詔勅を「真の御聖断ではない」と、有田と大宮を倉庫に監禁。そこへ権藤兵長たち五人の元兵隊が、食糧を盗みにやってくるも、盗むだけ盗んで、大宮たちの縄を解かない。怒り心頭の大宮と有田は、ネズミが荒縄をかじってくれて脱出に成功する。

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 加藤部隊では、解放軍のスパイ・揚秋蘭(佐藤友美)が、支那服に身を包んだ松川大尉から訊問しているが彼女は口を割らない。そこで加藤大尉の指揮の下、銃殺刑ということに愛なる。見てみぬふりができない大宮は、その場に飛び出して、揚秋蘭を助け出す。機関銃を奪った大宮は、兵隊たちに「引き金を引いてみろ、皆殺しだぞ!」と凄んで銃撃。そのまま有田と、揚秋蘭を連れて逃走。

 辿り着いたのは、かつての慰安所の廃墟。娼婦の着物の残り香を嗅いで大興奮する無邪気な大宮。揚秋蘭の美しさに「いい女だなぁ」としみじみ。で無言の彼女に「シーシーか?」と外へ連れてトイレをさせるが、そのまま揚秋蘭は姿を消してしまう。代わりに中庭にいたのは男の赤ん坊だった。元気に泣いている赤ん坊を抱き上げる大宮。しかし有田はその場に置いていけと命じる。それでも大宮は中国人であろうと日本人であろうと「人間の子でしょう?」と見て見ぬふりはできない。それでも心を鬼にして、赤ん坊を置いて出て行こうとするが、その鳴き声に、有田も「連れてこい」と、赤ん坊を連れての三人旅となる。結局赤ん坊はおしめの端切れから日本人の子であることがわかる。

 ここからしばらくのシークエンスが楽しい。大宮が「泣くなよしよしねんねしな」と浪花節で子守唄を歌い、有田もつられて歌ったり。大宮は「内地に帰っていつまでも三人で暮らしましょう」と幸福な顔をしている。しかし幸せは長くは続かない。赤ん坊のミルクのために、大宮が農家からヤギを徴発。ヤギをパイパイと呼ぶのがおかしい。子煩悩な大宮の微笑ましさ。しかし、有田は赤ん坊を残して行方不明となる。

 有田は「10万ドルの金貨の在処」を探している解放軍に捕らえられ拷問を受ける。長年の脱走の繰り返して身につけた知恵で、有田は人民服を奪って満人に化けて逃走に成功するも、大宮と離れ離れに。その頃、加藤部隊は何者かによって全滅、しかし松川大尉の遺体だけが見つからなかった。権藤兵長たちは、松川大尉が加藤中尉たちを殺して、10万ドルの金貨を独り占めにしようとしていると踏んで、その在処を探していた。その時に、赤ん坊づれの大宮と再会。「てめえ、よくも俺たちを助けなかったな」と怒り心頭の大宮は、ヤギと赤ん坊をその場に置いて、権藤兵長たちをボコボコに殴る蹴る。いつもの「制裁」である。そこにゲリラが来襲。彼らは10万ドル金貨を奪取に必死なのだ。

 そのどさくさでヤギがどこかへ行ってしまい、慌てて探す大宮。その頃、ヤギはちょうど有田が大宮を探しているところに迷ってくる。ここで二人は、まだ再会することができない。ヤギをうまく使って、観客の焦燥感を高めてくれる。

 五人組をボコボコにしている大宮の姿を遠巻きに見ていた、マフィアの手先・郭(平田守)が、大宮に「酒の女のあるところ」へ案内して、自分たちの望みを聞いて欲しいと持ちかける。大宮は二つ返事でそれを引き受ける。欲望に忠実な男なのだ。郭のボスは、賭場を仕切っているマフィアのボス(実は松川大尉)から、賭場で勝ち続ける三人の中国人を追い出して欲しいと頼まれ、用心棒となる。で、その三人のイカサマを見破り、三人を叩き出す。このあたり「悪名」「座頭市」のキャラも入り乱れて、もはや「兵隊やくざ」でなくなってるのがおかしい。物語も「陸軍中野学校」シリーズっぽいし(笑)

 しかしそのイカサマ三人組は、実は解放軍の兵士で、10万ドル金貨の在処を知る松川大尉を探りにきていたことが判明する。大宮は解放軍に捕らえられ、金貨の在処を厳しく追求される。その拷問の厳しさに、さしもの大宮も「一巻の終わり」と覚悟した時に、解放軍の女リーダーに窮地を助けられる。なんとリーダーは揚秋蘭だったのである。事情を聞いた大宮は、松川の汚いやり口に激怒「俺は日本男児だよ」と、日本人の恥である松川成敗と金貨奪取の協力を買って出る。ここからがアクション映画としてもクライマックス。松川は10万ドルの在処を知る郭を殺し、大宮の色仕掛けに協力した側近の王朱令(小林直美)も銃殺して、金貨を独り占めしようとする。そこへ大宮が現れて、壮絶なバトルが展開される。

 こうしたシーンは、前作『殴り込み』同様、勝新太郎の見せ場として展開、有田は不在のままである。ヒーロー映画としてはこれでいい。その後、大宮は、揚秋蘭に「約束の10万ドルだ。俺は嘘つかない。日本男児だ」と金貨を渡し、役得として揚秋蘭とラブシーンとなる。佐藤友美に唇を突き出す勝新の表情が可愛らしい。

 大宮の活躍のおかげで解放軍は、日本人の引き揚げに全面協力、難民を載せたトラックが次々と出発。赤ん坊を抱いた大宮は「上等兵殿!」と探すがその姿はない。最後のトラックが出発した後、遥か彼方からひとりの男が歩いてくる。有田である。感激の再会をする大宮と有田。赤ん坊も一緒である。大宮のセリフがいい。「内地帰って、三人で隅田川のポンポン蒸気、乗らなきゃなあ」。幸福感に満ちたラストシーンである。

 これで「兵隊やくざ」全8作は本当の大団円を迎える。昭和18年から20年にかけての足掛け3年間の中国戦線での有田と大宮の「自由への脱走」は、繰り返し楽しむことができる。同時に、フィクションとしてカリカチュアされているが、当時の日本軍がどうだったのか、また昭和40年代の観客が、戦時中をどう捉えていたのかを、遅れてきたぼくらも体感できる。しかし「大宮と有田の戦争」は、これから四年後、大映倒産後、勝プロダクション=東宝提携の第9作『新兵隊やくざ 火線』(1972年・東宝・増村保造)で再び繰り広げらることになる。


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