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 「釣りバカ日誌」が二十周年を迎える。プログラムピクチャー不毛の時代に、国民的という称号を頂きつつ、「合体」や「ハダカ踊り」を毎度のお楽しみに、よくぞ続いて来た! 1988(昭和63)年の年末、『男はつらいよ 寅次郎サラダ記念日』(山田洋次)の併映作として『釣りバカ日誌』(栗山富夫)が封切られたときは、これほど長寿シリーズになるとは予想もつかなかった。成功したのは、なんといっても西田敏行と三國連太郎という組み合わせの妙。スタート時、まさか三國がスーさんを演じるとは、誰も思わなかっただろう。このイレギュラー感覚がいつしか定番となり、寅さん終焉後も、さまざまな後続企画が立ち上がり消えて行くなかで、『釣りバカ日誌』は、西田にとっても三國にとっても代表作となっていった。

 社長とヒラ社員の秘密の関係。日本人がもっとも好む物語のパターンだが、同時に「釣りバカ」は、1960年代に東宝のスクリーンを賑わした二大プログラムピクチャーの要素で構成されている。森繁久彌の「社長」シリーズと、植木等の「クレージー映画」である。スーさん宅の朝の光景で滑り出す物語は、「社長」シリーズのフォーマットであり、鈴木建設の重役たちとのやりとりや会社を舞台にしたコメディは、高度成長下のサラリーマン映画の現代的再生でもある。さらにハマちゃん。仕事は二の次、会社に対する忠誠心などは持ち合わせていない、C調サラリーマンぶりは、低成長時代の無責任男ともいうべき存在。

 「社長」と「無責任」。両シリーズに出演していた谷啓が、ハマちゃんの天敵である佐々木課長(14 以降は、次長に昇格)を演じ続けていることや、『釣りバカ日誌12』(2001年本木克英)に「無責任」の生みの親・青島幸男が出演していることも、往年のプログラムピクチャーの匂いを醸し出すことに大きく貢献している。

 松竹プログラムピクチャー作家でありながら、植木等や谷啓を好んで起用してきた栗山富夫もまた、確信犯的にハマちゃんを低成長時代の「無責任男」に仕立て上げている。『釣りバカ日誌イレブン』(2000年)の本木克英は、沖縄で遭難したハマちゃんが見る幻影としてのみち子さんに、『クレージー黄金作戦』(67年坪島孝)の谷啓の幻想シーンにおける園まりのイメージをダブらせている。本木は『釣りバカ日誌13』 (2002年)では、鈴木京香のスキー場面を『アルプスの若大将』(66年古澤憲吾)を意識して撮影したと、筆者に話してくれた。

 そうした娯楽映画の伝統を踏まえつつ、西田敏行のハイテンションと、三國連太郎の変化球的な演技。そして中本賢、笹野高史といったバイプレイヤーたちのルーティーンなどなど、この二十年で「釣りバカ」そのものが伝統となっていった。

 特に『釣りバカ日誌14』から演出を手掛けている朝原雄三監督は、今はなき「松竹大船撮影所」の匂いをシリーズにきちんと残している。現在、東映東京撮影所で撮影が行われているにも関わらず、朝原作品には「大船調」が息づいている。最新作では、スーさんが社長を引退、会長に就任するところから物語がスタートする。これはまさしく、森繁社長が会長に昇格した『社長学ABC』(70年松林宗恵)のデンである。往年の日本映画と現代をつなぐ、希有なシリーズが『釣りバカ日誌』でもあるのだ。

佐藤利明プロデュースCD




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