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『待って居た象』(1949年11月20日・大映・安田公義)

横山エンタツ、柳家金語楼の『待って居た象』(1949年・大映・安田公義)をスクリーン投影。敗戦後四年。戦前、戦中、東宝が一手に連作していた、エンタツ・アチャコや柳家金語楼の喜劇映画だが、東宝争議の影響もあり、大映や新東宝、松竹と各社で作られるようになっていた。

そうしたなか、横山エンタツと柳家金語楼のコンビ作として企画されたのが『待って居た象』(11月20日)。昭和20年、相次ぐ本土空襲のなか、各地の動物園の猛獣たちが逃げだすことを懸念した大本営が猛獣の殺処分を命じた。上野動物園のインド象・トンキー(花子)の悲劇は戦後、児童文学作家、土家由岐雄による童話「かわいそうな象」(1951年)や、エノケンと山本嘉次郎監督コンビによる映画『象』(1957年・東宝)で描かれることになる。

この『待って居た象』は、名古屋の東山動物園での二頭の象と、リベラルな園長、飼育員たちの感動の実話の映画化ということで、エノケンの『象』のようなシリアスドラマと思い込んでいた。年末に衛星劇場でオンエアされ、録画して頂いたもので初見。

横山エンタツ 柳家金語楼

昭和19年12月の名古屋大空襲の前から、名古屋・東山動物園にも、空襲で動物が逃走して、人々の脅威となる恐れがあるため、治安維持の理由で「殺処分」の命令が下る。実際は昭和20年1月に一般観覧停止、2月には閉園、軍が管理することになった。本作に出演している東山動物園のインド象・マカニーとエルドは殺処分を免れ、チンパンジーのバンブー、カンムリヅル二羽、ハクチョウ一羽、鳥類20羽のみが敗戦を迎えたという。

実際には、志村喬が演じた園長のモデル、東山動物園の北王英一園長が昭和18年から「名古屋は東京とは事情が異なる。猛獣舎の設備を頑丈にする。徹底した防空演習。市民に対しては動物を逃さないことを宣伝する」ポリシーを貫いていた。しかし昭和19年12月の名古屋大空襲で、やむなくヒョウ2頭、トラ1頭、熊2頭、ライオン2頭を処置、しかし「象まで殺さなくてもいいじゃないか」と。やがて名古屋師団が動物園を管理するようになると、園長は象を別な獣舎に移して、密かに飼育を続けた。部下に命じて、象の餌を確保するなど、そのサポートをしたのが東海軍管区司令部の獣医部大尉・三井高孟。本作では、大友柳太朗が演じた警備団長のモデルである。

というわけで本作の主役は、園長たちの努力で、戦火を生き抜いた象のマカニーとエルドである。自役自演の強みで、この二頭を眺めているだけでも、感無量となる。

さて話は映画に戻る。軍の命令伝達をしてきた警防団長(大友柳太朗)も、動物園長(志村喬)も、動物を殺すのは忍びないが、万が一のために苦渋の決断を下す。飼育係の梶(伊達三郎)は、せめて自分の手で…と最後の頼みを延長にする。大映京都のバイプレイヤー・伊達三郎は、僕らの子供の頃もお馴染みの顔で、後年、テレビ時代劇にも出演していたが、昭和24年の風貌も後年もあまり変わらない。

というシリアスな滑り出しなので、リアルな展開になるかと思いきや、象の飼育係・山下金助(柳家金語楼)と横山円太郎(横山エンタツ)が出てきた途端に、アチャラカ喜劇ワールドが全開。東山動物園の太郎(マカニイ)と花子(エルド)を、我が子のように可愛がっている二人。「猛獣の処分」と聞いても「象は平和的な動物」と安心しきっている。しかし、象もその対象と聞いてギョッとなる。

戦時下だけど、のんきな二人組

リベラル派の園長は、なんとか象を殺さずに済む方法を考えようとする。いざという時に象が逃げ出さないように、足を鎖で繋ぐ方法を思いついて実験をするが、金助と円太郎のそばに行きたさに、太郎も花子も鎖を引きちぎってしまう。その愛情に大喜びする金助と円太郎だが、実験の失敗は死を意味する。それが理解できない。その辺りを笑いにしているのだけど、流石に無理がある。

でも、金助と円太郎は、なんとか象を助け出したいと、知恵を絞らせる。そうだと、二人が出した結論は、象を連れて動物園を逃げ出して、安全な場所で匿うこと。そんな無茶なと思うが、そこはトゥルー・ストーリーの強み。

金語楼とエンタツが象を曳いて、深夜、名古屋の市街地へと逃げ出す。誰にも見つかってはいけないのに、往来を傷痍軍人(武田徳倫)が歩いてくる。しかし、軍人は花子と太郎に触れても、一向に気づかずに、歩き去っていく。盲目だったというオチは、現在のコンプライアンスではNGだが、戦前、戦後の喜劇映画はこうしたハンデキャップを笑いにしていた。

山の中に逃げ込む一行。でも、象の餌をどうやって調達するか? 独身30歳の円太郎は、6800円を溜め込んでいて、それを肌身離さず持っていた。ならばそれを使おうと金助。しかし吝嗇の円太郎は首を縦にふらない。二人は喧嘩別れか? しかし次のカットでは、円太郎が農家の親父のいいねでイモを買うことに。

緊急事態の割には、呑気な描写が続くのは、喜劇映画だからでもあるが、呑気すぎないか? 一息ついていると、いきなり泥棒の親方(上田吉二郎)と子分A(神田耕二)、子分B(三上哲)に襲われ、虎の子の財布を奪われそうになるが、暗闇から花子と太郎がにゅっと出て、泥棒たちはほうほうの体で逃げ出す。おまけに、彼らが他で盗んだ三千円を置き土産に(笑)

志村喬 大友柳太朗

一方、動物園では殺処分の期限を過ぎて、象が飼育係とともに行方不明となって大騒ぎ。しかし警察署長(寺島貢)も、園長の「逃走したとはいえ飼育係が一緒なので象は危害を及ぼさない」という意見に賛同、表沙汰にせずに捜索を続けるとの温情決断をする。ここで、警察と軍で象を見つけ次第射殺!というサスペンスじゃないの? と、ここでドラマの緊張感が一気になくなってしまう。

ここから映画はファンタジーとなっていく。食料を買うお金も覚束なくなり、このままだと象も自分たちも餓死してしまう。ならばと、円太郎のアイデアで、疎開中の金助の妻・きみ(大美輝子)の実家を頼ろうということに。で、愛妻家の金助と妻の再会、きみの妹・てる子(喜多川千鶴)と円太郎の縁談、といった呑気な方向に展開。で、結局、外にいる二頭の象に驚いたきみの父・権兵衛(三浦志郎)の逆鱗にふれて、二人は象を連れて、またまた逃げ出すことに。

しかし、金助の甥っ子・健作少年(吉田喜一郎)たちは、仲間の子供達と一緒に、象の太郎と花子を、秘密の場所に匿うことに協力する。川で水遊びをする象と、子供たち。のちの絵本「ぐるんぱのようちえん」のような象と子供のユートピアが展開される。夏の日差しのなか、蝉が鳴いている。あれ? 昭和20年4月の話じゃなかったっけ? それほど長い間、象たちは逃走を続けて居たのである。

中村メイコ

ここで中村メイコちゃんが登場。当時15歳のメイコちゃんは、健作少年の家庭教師・みどり役。普段は「あたしはオトナ」と背伸びをしているが「子供だけの秘密」に興味津々。結局、ユートピアの仲間入りをして、毎日、象たちと過ごす。ここでみどりが、象のために歌を作る。これが山田栄一作曲の主題歌。コロムビア・レコードからリリースされた。

象と子供とヤギのユートピア

しかし、楽しい時は長くは続かない。もはや円太郎のお金は尽きて、あとは泥棒の残した三千円に手をつけるしかない。それはできないとモラリストの金助は、意を決して名古屋市内へ、貯金を下ろしにいく。そこで園長にバッタリ… 混乱した金助は病院へ。しかし象と円太郎の居場所は絶対に明かさない。言動がおかしいと精神科送りになりそうになるが… 実話とはいえ、アチャラカ喜劇なので、この行き当たりばったり感(笑)やがて8月15日、敗戦の日を迎えて…

監督クレジットは安田公義ではなく平仮名で「やすだきみよし」。脚本は小国英雄。おそらくエンタツ・アチャコ映画としてシナリオを執筆、それがアチャコから金語楼に変わったと思われる。キャラがアチャコ寄りになっている。戦前から喜劇映画の脚本も手がけ、自ら監督もしているので、エンタツ、金語楼のいつもの喜劇のテイストはお手のもの。それに戦争秘話のヒューマンストーリー、子供たちのユートピアのファンタジー、と三つのテイストが混在していて、まるで「三色パン」「三色アイス」のような不思議な娯楽映画と相なった。

よろしければ、娯楽映画研究への支援、是非ともよろしくお願いします。これからも娯楽映画の素晴らしさを、皆さんにお伝えしていきたいと思います。