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『夜の鳩』(1937年5月11日・J.O.・石田民三)

浅草映画時層探訪。

新感覚派の作家・.武田麟太郎の「一の酉」を原作に、自身が脚色したシナリオによる石田民三監督『夜の鳩』(1937年5月11日・J.O.)をスクリーン投影。

浅草の老舗小料理屋「たむら」を舞台に、女房に頭が上がらない店の主人である兄・豊太郎(浅野新二郎)と、妹・おきよ(竹久千恵子)、そして末妹・おとし(五條貴子)の兄妹を中心に、店の人々、客たちを描いた人間模様。

舞台はちょうど今頃、鷲神社の「一の酉」の時分。かつて「たむら」の看板娘で、客たちにもてはやされたおきよは、歳を重ねて以前ほどの輝きはなく、それが悩み。東宝のトップ女優・竹久千恵子が、鏡を見たり、小皺を気にしたり。なんとも切ないが、この芝居が素晴らしい。

おきよの兄・豊太郎は商売が下手で、品川の食堂の娘・おはま(岡田和子)と結婚。おはまは、高級店だった「たむら」を大衆向けの店にしてしまったことが、おきよは面白くない。二人はことあるごとにいがみ合っている。

17歳のおしげ(梅園龍子)は、おきよに憧れて「たむら」に勤めているが、毒親である母から「福ずし」の若旦那(石川冷)の二号になることを強要されて、それが嫌でたまらない。

おきよ(竹久千恵子)とおしげ(梅園龍子)

おきよは、以前から心を寄せている劇作家・宮川(月形龍之介)の興味が妹・おとしに移っていることに気づいて、焦燥感を抱く。

といったように「たむら」の誰もが悩みを抱えている。劇的な展開はないが、それぞれの悩みの顛末が、決着はつかないにせよ、暗示という形で描かれていく。その風情を味わう映画でもある。

原作にある、おしげと豊太郎の不倫描写は、直裁的でなく、銭湯でのおきよが、おしげが男を知っていると察するセリフ。朝、仕入れから帰ってきた豊太郎が、おしげに自転車のベルを鳴らす。後半、酉の市への逢引きが、豊太郎の妻・おはまの「私も行こうかしら」でパーになるシーンで、匂わされる。梅園龍子の芝居で、彼女と主人が出来ていることが、観客に伝わる。見事な演出である。

雨の仲見世

ナイトシーン中心だが、昭和12(1937)年の浅草風景がたまらない。タイトルバックは、夜の仲見世、仁丹ビル、六区、瓢箪池に映える劇場のネオン、隅田川とアサヒビール工場(当時はサッポロビールとネオン)の「浅草夜景」。そして誰もいなくなった深夜の仲見世。雨に濡れている石畳。なんとも風情がある。キャメラは名手・玉井正夫。

時折りインサートされるこうした浅草風景が何よりのご馳走。中盤、おきよがおしげを誘ってミルクホールへ。おしげは「ジャミ(ジャム)のトースト」とミルクを頼む。窓の外は、スクリーンプロセスで、浅草松屋二階に入線する東武線、その下を走る市電。通りを行き交う人々が描かれる。

スクリーンプロセスで、東武線が浅草松屋二階へ!

また、隅田公園(浅草側)で、おとしと待ち合わせている宮川に不意打ちをかけるおきよのシーン。吾妻橋と東武線鉄橋の間のベンチ。背景にはアサヒビール工場、運河も見える。ビール工場の威容がここまで活写されている映画はそう多くない。

隅田川の向こうはビール工場

その宮川が脚本を書いた芝居を上演しているのが、日比谷一丁目の有楽座。昭和10(1935)年に開場して2年目、ナイトシーンながら、劇場の外景、そして劇場ロビーが活写されている。そのシークエンスの最後に、アールデコの日比谷映画、有楽座の外景が一瞬画面に映るのが嬉しい。

そしてクライマックスは「一の酉」。昭和11(1936)年の歳末、多くの人々で賑わう鷲神社でのロケーション! 日中戦争前夜、商人たちが重い思いの熊手を手にしている。失恋をして、屈辱的な思いをしたおきよが、呆然と深夜の鷲神社を歩くラストシークエンスの切なさ。

鷲神社の賑わい

「たむら」の常連の老人(高堂黒天)も大きな熊手を担いで、満席の「たむら」へ入ってくる。高堂黒天は、戦後、高堂国典として小津安二郎『麦秋』、黒澤明『七人の侍』、本多猪四郎『ゴジラ』などに出演。僕らにもお馴染みのおじいさんである。

タイトルバックにクレジットされている主題歌「隅田夜鳩」(東海林太郎)は劇中には流れないが、見ながらずっと脳内に流れていた。この曲は、ぐらもくらぶCD「ザッツ・ニッポン・キネマソング」(佐藤利明 監修・解説)収録。

隅田夜鳩(J.O映画『夜の鳩』より)
 『夜の鳩』(37年5月11日)は、東宝の前身のスタジオの一つで、京都太秦にあったJ.O.スタヂオの製作。J.O.スタヂオは、この年、P.C.L.と合併して東宝映画株式会社の京都撮影所となる。さて『夜の鳩』は、武田麟太郎の代表作の一つである「一の酉」を原作者自ら脚色、叙情派の石田民三がメガホンを取った文芸作品。浅草の料理屋「たむら」を舞台に、物語は店の娘・おしげ(梅園龍子)と、その兄の妻・おきよ(竹久千恵子)の確執に始まる。父が亡くなり、店の経営に乗り出してきた、おきよの兄・豊太郎(浅野進治郎)は経営の才覚はなく、店はすぐに左前になり、豊太郎の妻・おつね(葵令子)が切り盛りすることに。色男の豊太郎は、おしげに懸想をするが・・・。武田麟太郎らしく下町風情と人間の機微が描かれたメロドラマで、佐藤惣之助作詞、長津義司作曲の主題歌「隅田夜鳩」を東海林太郎が唄っている。

「ザッツ・ニッポン・キネマソング」ライナーノーツより


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