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『悪魔が呼んでいる』(1970年・東宝・山本迪夫)


 1970年代。低迷する日本映画界に一人の新しい才能が登場した。「血を吸うシリーズ」の山本廸夫監督である。山本は新進プロデューサー田中文雄とのコンビで、日本映画ばなれしたスリラーやホラーを連打。それまで陽性の娯楽映画ばかりだった東宝プログラムピクチャーに、新しい「怪奇映画」の流れを作った功は大きい。この『悪魔が呼んでいる』は、ワコちゃんの愛称でアイドル的人気があったフレッシュな酒井和歌子主演のホラータッチの不条理サスペンス。

 酒井和歌子は、昭和40年代、内藤洋子と並ぶ清純派アイドルで加山雄三の『フレッシュマン若大将』(68年)から二代目ヒロインとして活躍。『めぐりあい』(68年)『恋にめざめる頃』(69年)など青春映画や恋愛映画などの可憐でけなげなヒロインが多かったワコちゃんだが、70年夏に公開された本作では、不条理な状況に、とことんまで陥れられる女性の悲劇に挑戦している。

 この『悪魔が呼んでいる』が公開されたのは昭和45(1970)年7月。山本監督としてもデビュー作だったハードボイルド『野獣の復活』(69年)に次ぐ監督第二作で、しかも『幽霊屋敷の恐怖 血を吸う人形』と二本立というかたちで公開されている。原作はミステリー作家の角田喜久雄の「黄昏の悪魔」。脚色は『野獣の復活』『血を吸う人形』や「太陽にほえろ!」など山本とのコンビ作も多い小川英。

 江原ユリ(酒井和歌子)は丸の内の旅行会社につとめるOL。両親がいないユリだが大都会で自活しながらなんとか頑張っている。ところがある日、何の理由もなしに会社を解雇され、そのことを高校時代からのボーイフレンド(下条アトム)に相談すると一方的に絶交を申し渡される。アパートへ戻れば、出て行って欲しいと管理人(野村昭子)に言い渡され、再就職先からは不採用通知が届き、さらには空き巣に入られて貯金をすべて盗まれてしまう

 とにかく、理不尽なことが立て続けにヒロインに襲いかかる。レストランに入ればバッグには財布がはいっておらず、仕方なくつとめたバーでも、酔客・片桐(大滝秀治)の財布が紛失し、ユリがその犯人にされてしまう。

 とことん最悪の状況に追いつめられていくヒロイン。まるで、ロマン・ポランスキー監督の『ローズマリーの赤ちゃん』(68年米)のミア・ファーローである。そこまでは、不運な女として描いているのだが、人気アイドルが演じているだけに、その焦燥感はジワジワと観客に伝わってくる。絶望にうちひしがれるヒロインをサディスティックに捉える山本演出は、サスペンスの巨匠アルフレッド・ヒッチコックに憧れるだけに、かなりのもの。

 そして、絶望のユリの前に現れた謎のサングラスの男。鉄道自殺をはかろうとするが出来ないユリをその男・藤村(藤木孝)が助ける。

 ミュージカル出身の藤木の不気味な演技が、観客の不安を高める。藤村はユリに睡眠薬を飲ませ犯そうとする。「他人行儀はよせ 夫婦の間でそんな遠慮はおかしい。ぼくたちは結婚するんだよ」と唐突に言い出す藤村は、胸ポケットから押印してある婚姻届を見せる。

 謎は深まるばかり。藤村はユリをねちっこく責め立て犯してしまう。朝、目が覚めると藤村の胸にナイフが刺さって絶命していた。

 誰が、ユリを追いつめているのか? 後半、謎解きと事件の真相が明らかになっていくプロセスはミステリーの醍醐味だが、この映画の魅力はなんといっても可憐なヒロインが理不尽で不条理な状況に追いつめられていく様の不気味さだろう。海外ミステリーやハリウッドのサスペンス、そしてイギリスのハマープロのホラーをこよなく愛する山本廸夫演出は、ヒッチコックが得意とした「巻き込まれ型」サスペンスをうまく自分のものにしている。

 同時に、観客がポランスキーの『ローズマリーの赤ちゃん』にヒロイン、ユリを重ね合わせ「ひょっとして登場人物が全員悪魔なのでは?」という想起もさせていく。あ、この映画の手だ、あの映画のパターンだと思わせておいて、予想もつかない展開に引っ張っていく。こういうタイプの映画はそれまでの日本のミステリーにはなかったもの。

 その後、謎の男女(田村奈己がいい)を誘拐し、ゴーゴークラブに連れて行く。そこで後宮(西沢利明)とユリの結婚式が突然はじまる。混乱するユリ。その結婚を阻止するのは、バーの酔客だった大滝秀治。どういうことなんだ! そこから映画はますます混乱を呈し始め、大団円へと一気に進んでいく。藤村殺しの汚名を受けたユリが自分のアイデンティティを取り戻すために続ける孤独な戦い。周囲の人間全部が敵に回ってしまうのである。一応、ヒーロー的な存在の新克利は登場するものの、こいつも? という疑惑が拭えない。東宝のヒロイン映画としては、大胆な試みではある。

 劇中、ユリを陥れる登場人物たちが、不思議な口笛の音におののくショットが出てくるが、真鍋理一郎らしい不安定な戦慄が、ミステリアスな状況をさらに不気味にしていく。

 ミステリーのルールとしてオチは控えるが、観客をはぐらかし惑わすことでは、この『悪魔が呼んでいる』は山本演出の醍醐味を堪能できる。大滝秀治、北林谷栄といったベテランたちの不気味な演技、次々と登場するおなじみの東宝バイプレイヤーたちも、普段とは違うクセのある味を出している。
 
 

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