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石坂洋次郎と青春映画

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石坂洋次郎原作の青春映画についてのまとめです。
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記事一覧

『まごころ』(1939年8月10日・東宝・成瀬巳喜男)

 成瀬巳喜男監督研究。山梨県甲府市を舞台にした、二人の少女の一夏を描いた『まごころ』(19…

『馬車物語』(1948年1月27日・新東宝・中川信夫)

 石坂洋次郎が小説新潮に連載した「石中先生行状記」全四部は、石坂自身の弘前時代の体験をも…

『こんにちわ、20才』(1964年・日活・森永健次郎)

 昭和38(1963)年から昭和39(1964)年にかけて、日活は吉永小百合の青春映画を、毎月のよう…

『若い娘たち』(1958年・東宝・岡本喜八)

    戦後、東宝映画で「青春映画」が一つのジャンルをなしたのは、昭和24(1949)年の石坂洋…

『若い娘たち』(1951年・東宝・千葉泰樹)

 昭和26(1951)年4月7日公開、藤本プロダクション製作『若い娘たち』は、杉葉子、若山セツ…

『今日のいのち』(1957年・田坂具隆)

 日活が創業したのは大正元年(1912)のこと。戦前は、大河内伝次郎、片岡千恵蔵、阪東妻三郎…

『若い人』(1937年・豊田四郎)

 石坂洋次郎は、青森県弘前市に明治33(1900)年に生まれ、慶應義塾大学文学部を卒業後、郷里に戻り、青森県立弘前高等女学校(現・弘前中央高等学校)勤務を経て、秋田県立横手高等女学校(現・横手高等学校)での教員生活中に小説を執筆。「三田文学」に昭和8(1933)年8月から昭和12(1937)年12月にかけて、断続掲載した「若い人」は昭和12年2月に改造社から単行本前半、12月に後半が刊行され、高い評価を受ける。  石坂は、この「若い人」で、教員のまま人気作家となった。北国の

『花と娘と白い道』(1961年・森永健次郎)

 吉永小百合と石坂洋次郎。日活青春映画黄金期に、数多くの石坂作品がリメイクも含めて映画化…

『少女』(1961年・堀池清)

 笹森礼子。頌栄女子学院高等学校在学中に、T B Sの人気ドラマ「日真名氏飛び出す」のレギュ…

『くちづけ』(1955年9月21日・筧正典・鈴木英夫・成瀬巳喜男)

 石坂洋次郎の短編小説を、三本のオムニバスとして映画化した『くちづけ』は、藤本真澄が製作…

『石中先生行状記 青春無銭旅行』(1954年・中川信夫)

 昭和20年代から30年代にかけて、映画界は、石坂洋次郎作品が「花ざかり」だった。戦後日本映…

『あいつと私』(1961年・中平康)

 昭和36(1961)年1月、石原裕次郎は志賀高原のブナ平スキー場で、女性スキーヤーと衝突して…

『青春会議』(1952年・杉江敏男)

 『青い山脈』(1949年・今井正)の大成功により、東宝から独立して、藤本プロダクションを設…

『丘は花ざかり』(1952年・千葉泰樹)

 藤本プロダクションの藤本真澄プロデューサーが、東宝創立20周年作品として、鳴り物入りで製作した『丘は花ざかり』は、石坂洋次郎が朝日新聞に連載した新聞小説の映画化。『青い山脈』の「夢よもう一度」は、常に藤本にとってのテーマだった。昭和27(1952)年11月18日公開。作詞・西条八十、作曲・服部良一、歌・藤山一郎の「青い山脈」トリオによる主題歌「丘は花ざかり」は、明るいメロディ、希望に満ちた歌詞で大ヒットした。  脚本は「青い山脈」でプロデューサーからシナリオ作家に転じた井