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俳句や短歌

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#人文学

続・「ゆりかごのうた」を生んだ白秋の想い

続・「ゆりかごのうた」を生んだ白秋の想い

【スキ御礼】「「ゆりかごのうた」を生んだ白秋の想い」

前記事の「「ゆりかごのうた」を生んだ白秋の想い」を書いたあと、妻にこの歌は「カナリヤ」も「枇杷の実」も月の色と同じ黄色で揃えられていることを話した。
そしたら妻からは、
「私もそう思っていたわよ。キネズミもそうでしょ。」
と言い返された。
「キネズミ?・・・・・・黄ネズミ!」
どうやら妻は、木ねずみ(リス)のことを、ピカチュウみたいに黄色いネ

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歳時記を旅する 18 〔萩〕後*吾子眠れほろほろ萩のこぼるるよ

*「歳時記を旅する18〔萩〕前*初萩の…」「歳時記を旅する18〔萩〕中*道問へば屋号で示し萩の道」からの続きです。
*既投稿の記事を分割して再投稿しています。

磯村 光生
    (平成三年以前作、『花扇』)
 
五月七日(陽暦六月二十三日)、芭蕉と曽良は、画工の加右衛門の案内で、宮城野など、仙台周辺を遊覧する。

『おくのほそ道』にも「宮城野の萩茂りあひて、秋の気色思ひやらるゝ」と、花咲く時期

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鑑賞*戦争に人は憑かるる秋の蠅

鑑賞*戦争に人は憑かるる秋の蠅

高﨑 公久
句集『青』(令和四年)所収。作者は昭和五十三年に「蘭」に入会。野澤節子・きくちつねこに師事。平成二十八年「蘭」主宰継承。句は、平成二十二年~二十五年の作。

人は、自我を脅すものに攻撃を向ける。

集団でも、その理想や主義を脅かすものに攻撃を向ける。

攻撃で自我が拡大する興奮は止められなくなる。

無用な殺戮をする動物は人間だけ。

秋の蠅、叩くのは止めておこうと思う。

(岡田 耕

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歳時記を旅する 6 〔曼珠沙華〕後*曼珠沙華かつて一揆の果てし丘

歳時記を旅する 6 〔曼珠沙華〕後*曼珠沙華かつて一揆の果てし丘

磯村 光生
                      (平成十年作、『花扇』)

「彼岸花の花はどんなに咲こうがどれ一つとして実を結ぶものはない。球根の分球によってのみ増殖する。(略)畦道という畦道を埋め尽くすように咲くその花は、わざわざ人が植えたからであり、必ずしもねずみなどの害を防ぐ為ばかりではなかったであろう。」(『鎌倉 花の四季』磯村光生) 

句の丘は、たとえ人里離れていても、かつてそ

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鑑賞*秋澄むや波は地球の音を立て

鑑賞*秋澄むや波は地球の音を立て

 石塚 光子

地球そのものの音には何があるだろう。

火、電気、風、そして水だろう。

太古、生命は海の中の単細胞の生物から始まったという。

秋の浜辺に立てば、空と大地と海、そして自分がいる。

波音は、自分と地球とをつなぐ音。

(岡田 耕)

(俳句雑誌『風友』令和四年一月号)

鑑賞*腹ばひに西鶴を読む雨月かな

鑑賞*腹ばひに西鶴を読む雨月かな

加瀬 みづき

52歳で世を去った西鶴の辞世の句「浮世の月見過しにけり末二年」。

余りある人生五十年の満足と、さらに二年も月を見たという感謝。

名月が見えない寂しい夜。

今、こうして楽しく過ごせるのは、西鶴様の人生のお蔭。

(岡田   耕)

句集紹介 高﨑公久『青』 

句集紹介 高﨑公久『青』 

高﨑公久『青』
令和四年 文學の森

 俳誌「蘭」は昭和四十六年の創刊。
作者は、平成二十八年より「屠蘇酌みて今年これより一誌負ふ」と主宰継承。
師系は「林火忌や潮流青を深めつつ」という大野林火。
福島県いわき市の出身で、野澤節子・きくちつねこに師事し、「牡丹供養赤炎青炎は二人の師」と須賀川で有名な牡丹供養を詠む。
東日本大震災の年次の句も収録されているが、「想いの十分の一も表現できていない句を載

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歳時記を旅する17〔蜩〕中*かなかなや裾から暮れる神の山

歳時記を旅する17〔蜩〕中*かなかなや裾から暮れる神の山

佐野  聰
(平成十年作、『春日』)

 箱根神社は、箱根三所権現として奉られるより前の、今から二四〇〇有余年前、聖仙上人が、箱根山の駒ヶ岳(一三五六m)から、主峰の神山(一四三七m)を神体山としてお祀りされて以来、山岳信仰の一大霊場となったとされる。

 蜩の声は、山間部でも聞かれる。
平地に多いアブラゼミは芦ノ湖の標高(七二三m)では聞かれない。
那須高原(標高約七~八〇〇m)で過ごしていた頃

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歳時記を旅する17〔蜩〕後*蜩やゆの一文字の露天風呂

歳時記を旅する17〔蜩〕後*蜩やゆの一文字の露天風呂

 磯村 光生
(平成八年作、『花扇』)

 江戸時代後期の文化八年(一八一一年)に記された『七湯の枝折』は、箱根七湯の風景や名所・旧跡を絵入りで紹介する。
その「底倉全圖」には、湯宿の番頭らしき男が、紺の暖簾を下げた玄関で、三人の旅人を迎える姿が描かれている。

蜩の声によく似た声にかじか蛙がある。
『七湯の枝折』にも、かじか蛙を「声面白くしてひぐらしの啼に似たり」と紹介する。

底倉温泉のつたや

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鑑賞*秋灯下大歳時記を二つ割り

鑑賞*秋灯下大歳時記を二つ割り

今瀬 剛一

句集『甚六』(令和二年)所収。作者は、昭和四十六年「沖」創刊と共に参加、能村登四郎に師事。昭和六十二年「対岸」創刊主宰。

秋の夜も更けて、いよいよ作句に身が入るところ。薪を割るような潔さがある。
「カラー図説 日本大歳時記 座右版」(昭和五十八年 講談社版)は、厚さ七センチほど。
百三十名に及ぶ執筆者の中に、作者の名もある。

(岡田 耕)

歳時記を旅する 18 〔萩〕前*初萩に小声の雨の夜も降り

歳時記を旅する 18 〔萩〕前*初萩に小声の雨の夜も降り

  土生 重次
    (昭和五十三年作、『歴巡』)
 
元禄二年(一六八九)五月四日(陽暦六月二十日)、仙台に着いた芭蕉一行は繁華街の国分町に泊まる。一昨日からの雨は少し止んだ。

仙台は萩で知られる歌枕の宮城野の地。
 萩の花の風情について、芭蕉に入門した森川許六は、「萩はやさしき花也。さして手にとりて愛すべき姿は少なけれど、萩といえる名目にて、人の心を動かし侍る。」と評している(「百花譜」『

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鑑賞*猫じやらし踏んで工事の始まりぬ

渡辺 照子

草っ原に猫じゃらしが生えていると見る人がいれば、建築工事をする更地としか見ない人もいる。

人が違えば見え方も違うもの。

猫じゃらしの名は、子犬の尾の意味の狗尾草というが、欧米では狐の尾(foxtail)と見るという。

(岡田 耕)

(俳句雑誌『風友』令和三年十二月号)