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黒岩家のしあわせ家族計画5


満子 (顔は笑って)お義母さん、どういうおつもりですか。
ふじ 私には秘密があるんです。ずーっと隠し続けてきた秘密が。
秀俊 (声を潜めて)裏切るつもりですか。
新田 ご協力いただいてるのに申し訳ありませんが、今、連続幼女誘拐事件の犯人を追いつめてるんです。のちほど改めてというわけには――。
ふじ 私は、とんでもない悪事を働いてしまったんです。
新田 悪事ですか?
ふじ あれは今から二十年前にさかのぼります。夫の吉一が死んで――。
満子 (あわてて口を挟んで)私が代わりにお話しします! 二十年前、義母は駅前のスーパーで万引きをしたんです。浅漬けのもとを二本。そのことを未だに後悔して、かわいそうに。悪いことなんてできる人じゃないんです。
ふじ あんたは黙ってて。
新田 (早く切り上げようと)そういうことでしたらとっくに時効です。確かにいけないことですが、誰しも小さな傷の一つや二つありますから。
ふじ 違うんです! 二十年前、夫が死んだんです!
秀俊 母さん!
新田 分かります。その悲しみからつい魔が刺してしまったんですね。(何かおかしいと思って)失礼ですが、こちらの吉一さんはご存命では?
ふじ 夫は……(秀俊に口をふさがれる)むごむご。
秀俊 父は色々あって一度家を出まして、我々家族としては死んだものと考えることにしたんです。ところが数年後、ひょっこり帰ってきました。その間どこで何をしていたのか、私たちも知りません。
新田 そうでしたか。どんな家族にも歴史がありますね。
満子 そうなんです。
新田 そう言えば、吉一さんはご一緒に戻られたのでは?
満子 それは……。
秀俊 (慌てて言い繕う)父は、一人で近所を散歩してます。パチンコをやって、喫茶店でお茶をして、小一時間歩きまわって帰ってくるのがいつものコースで。
満子 それはあなたのいつものコースね。
新田 百歳を超えられてるのに、お一人で?
秀俊 ええ、まぁ。父は頭の方もはっきりしてますし、足腰も丈夫ですから。
新田 それは素晴らしい。
秀俊 しばらく帰ってこないと思いますので、父のことは忘れてしまってください。できればそのまま永遠に。
ふじ (誰にともなく懺悔するように)忘れようとしたんです。でも無理でした。すごい存在感で、すぐ近くにいるんです。この二十年もの間、ずっと夫のことが心に重くのしかかっていました。
秀俊 (新田に)この二十年の間に、父が母にのしかかる晩も度々あったということです。父が家を出ていた数年間を除いて。
新田 それは、どれくらいの頻度で?
秀俊 ……半年に一度。
新田 ……奥が深いですね。
秀俊 (声を押し殺してふじに)これ以上何か言ったら殺しますよ!
ふじ (大声で)どうせ殺すくせに! いつかこういう日が来るってことは分かってたんだよ!
新田 あのー、なにか、殺すとか殺さないとか?
秀俊 (堂々とごまかす決意をして)刑事さん!
新田 はい。
秀俊 全国に四百六十万人いるという認知症の老人がみんなこんなだったら、なんて大変なことでしょう。
新田 ええ。
秀俊 自信を持って言いますが、我々はとても仲の良い、幸せいっぱいの、清廉潔白でやましいところなどどこにもない、それはそれは素敵な家族なのです。ただ、母はこのようにボケておりまして、ときどき情緒不安定になったり、意味不明なことを口走ることがあります。それが玉に瑕といえばそうかもしれませんが、完璧な家族などどこにもいません。
新田 よく承知しております。
秀俊 それはよかった!
ふじ (がっくりきた様子で)私たちは家族でも何でもないよ。

ふじは秀俊を振り払う。秀俊は捕まえようとするが、ふじは近づくなと手で制す。ふじがよろけると新田がこれを支える。ふじは新田に支えられて椅子に座る。

ふじ (新田に)どなたか存じませんが、私はいつも人様のお情けにすがって生きてまいりました。
秀俊 どこかで聞いたことある台詞だ。
満子 すっかりボケちゃって。もう末期ね。

上手からサイクリングウェアに着替えた晋一が意気揚々と出てくる。頭にはサングラスも乗せている。

晋一 弱虫ペダル!

一堂、晋一を見るが無反応。

晋一 あれ? (新田に気がついて)あ、刑事さん。ぼく、自転車やってるんですよ(と身なりをアピール)。
新田 みたいですね。
晋一 よかったらこのあと一緒に走ろうぜ。なんて、ねぇ?
新田 私、車なんで。あの、そろそろ戻ります。
満子 どうぞどうぞ。お騒がせしちゃってごめんなさい。
晋一 え? あれ?

満子、新田を半ば強引にふじの部屋に押し込む。満子と秀俊はぐったりとなって息を吐く。

晋一 なんだ、つまんないの。
秀俊 おれがうまく機転を利かせてなかったらどうなってたか。晋一、この大変なときにどこにいたんだ。
晋一 そりゃ、大変なときは大変じゃないところにいるだろ。
満子 晋一! 普段はそれでいいのよ。でも今は別。我が黒岩家、最大の危機なのよ。あなたも協力しなさい。
晋一 でも、ぼく、約束があるって――。
秀俊 もう口を封じるしかない。
満子 そうね。
秀俊 ……よし(と晋一の肩を掴む)。
晋一 え?
秀俊 晋一。お前ももう大人だな。
晋一 うん、まぁ。
秀俊 お前がやるんだ(とナイフを差し出す)。
晋一 (ナイフとふじを見比べて)おれ?
秀俊 通過儀礼ってやつだな。
満子 晋一にも黒岩家の一員として責任を果たしてもらいましょう。
晋一 無理無理無理! 絶対無理!
秀俊 晋一、男になれ。
晋一 共犯にしたいだけだろ? おばあちゃん、何とか言ってよ――。

晋一、ふと見るとふじの様子がおかしいことに気がつく。椅子に座ったままピクリとも動かない。

晋一 ……ちょっ、おばあちゃん? ……え? あれ?
満子 何。
晋一 もしかして、死んでない?
満子 え?

秀俊と満子、ふじに近寄ってよく見てみる。秀俊、口元に耳を寄せて息をしてるか確認する。していない。脈をとる。脈はない。

秀俊 ……死んでる。



いただいたサポートは子供の療育費に充てさせていただきます。あとチェス盤も欲しいので、余裕ができたらそれも買いたいです。