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修正版/大江健三郎の文学観〜国語教育を通して文学を享受するとき〜

 記事の複製機能がありましたので、使ってみました。以下に示す元記事の改訂版ですが中身はほとんど変わっていません。あしからずご容赦ください。

 仰々しいタイトルの割に中身はメモ程度の記事です。

大江健三郎作品の教材研究

 国語教育の文脈において大江健三郎の教材研究ってどれくらいあっただろうか。これから盛んになりそうな予感もある。これについては以前も少しだけ書いたことがある。

 このような材料にあたっていくことも必要だ。 

文学は人間を励ます、勇気づけるもの

 河村書店のアカウントが、過去の毎日新聞から次のことばを掘り起こしてくれている。

大江健三郎さん「どんなに暗い人間、性格、状況を描いても文学は人間を励ます、勇気づけるものであるはずです」(聞き手・大橋弘)(1994年10月)

毎日新聞(元記事確認中)

 このような文学観が根底にあってこそ国語教育は、言語能力の育成=人間形成の一助として、文学作品を教材化し続けることができる。

 すべての教材分析を「励まし」に至る文脈の中で遂行することはない。また、そうした文学観をかならずしも生徒に伝えなくてもいい。しかし小中高の国語教育を通して文学を「なにかよきもの」として享受してほしいというのは国語教師の願いであると思う。文学は人間をどのように描き出すかを考えたり話し合ったりする活動を行うこともそうだ。

 たとえば読書会は、文学という媒体がこの世界にもたらす実践ないし運動のひとつである。そこではべつに「文学っていいよねー」「太宰治最高だよねー」という話をするわけではない。しかし参加者は文学作品をめぐって会話する活動を経て、自己の生への新しいまなざしを得て帰途につく。というと大げさだけども、世界やことばへの新たなレンズというか、「なにかよきもの」を手にすることができる。その感触が、参加者の文学観に培うことにもなってゆく。たぶん生徒もそうだ。

 この「なにかよきもの」とはなにかをより具体的に言語化しようとするとき、大江健三郎のこのことばは、ひとつのヒントを与えてくれる。

苦境と定義

 国語教育との接点を見出すために、大江健三郎の文学観に迫る。その手がかりを得るために、いくつかの新聞で大江健三郎の業績がどのように報じられているかを見ていきたい。

 次に取り上げるのは朝日新聞。

 反核運動を中心に社会運動に積極的に携わったところを紹介している。 

 もうひとつはBBCニュース。

 「暗く不穏な力によって軸がぶれる世界」。「日本への原子爆弾投下」。「知的障害を持つ息子とのかかわり」。「人々の苦境」を描く作品が注目を集めたとBBCは報じている。

 いまだ不十分であるが、屈辱、苦境、そこにある苦悩、そしてそこから一歩踏み出すための仮説と定義。まだよくわかりませんが、キーワード風に上げるならばこのようになるかもしれない。

 今回はここまでです。

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