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非行少年に与えられたもの⑧

〜里親の元での暮らし〜

私は児童自立支援施設を退園した後、里親に引き取られて里親の元で暮らした。

里親のことがよく分かる記事(養子縁組と里親制度の違い)👇
https://www.nippon-foundation.or.jp/what/projects/nf-kodomokatei/infographics

里親の家庭は大家族(人数は書きません)で、実子と里子が一緒に暮らしていた。
みんな父代わりの親を「お父さん」母代わりの親を「お母さん」と呼んでおり、私もそのようにした。

お父さん、お母さんはとても熱心なクリスチャンで毎週日曜日はキリスト教会に通っていた。お二人は愛情深く温和な方だった。

里子たちはみんなで明るく元気一杯でだった。
私は里親の元での生活にはなかなか馴染むことができず、家庭の雰囲気に慣れていないせいか、いつも緊張して精神的に疲弊することが多かった。
学園で一緒に生活していた仲間たちはヤンチャな人が多くて楽しかったが、里親の家庭では私の存在は浮いており真面目な子たちにどのように接していいのか分からなかった。

里親の家庭に移ったと同時に、新しい中学校に転校した。
B中学校に転校した時期は中学3年生の秋だったので、同級生はみんな高校受験に向けてピリピリしていた。
私が転校してくることは風の噂で流れていたようで、A中学校からヤンキーが転校してきたと最初の頃はチヤホヤされた。

1ヶ月が経つ頃、B中学校の同級生であり少年院から出院したアキ(仮名)がB中学校に戻ってきた。アキは私が学園に入所したのと同じ時期に共同危険行為(暴走)で逮捕されて少年院に入ったらしい。

アキと私はすぐに仲良くなり、いつも2人で行動を共にした。受験シーズンでもあり、他の真面目な生徒に迷惑をかけてはいけない時期だったことから私は学校には通学せず、里親に勧められて始めたボクシングに熱中し毎日ボクシングジムに通った。
登校を控えた理由は他にもあり、アキは少年院を仮退院中で保護観察に付されている身でもありながら、何度か私と一緒に悪さをしたことで試験観察に付され、私とは関わってはいけないことになっていた。
私にとってアキはとても大事な友達だったため、学校以外の時間はいつも一緒に遊んでいた。
私とアキは受験のことなど全く考えずに、久しぶりに味わうシャバを堪能して舞い上がっていた。
アキとずっと一緒に遊んでいたいがために、里親の元から家出を繰り返して里親にはかなりの迷惑をかけた。当時、里親のお父さんやお母さんの優しさを私は拒絶していたのだと思う。ありがたいという感謝の気持ちよりも、私を束縛する迷惑な人としか見れなかった。
ただ、家出をしてお腹を空かせて里親の元に帰ってきたときにお母さんが食卓に用意した味噌汁を啜ったときに涙がボロボロと溢れたことは鮮明に覚えている。
この時の私は人に慣つかないくせに餌だけを食べに来る可愛げのない野良猫のようだった。

一方的に愛を注いでも、相手がそれを拒絶しても与えた愛は無意味ではない。
愛は拒絶をも包み込む力がある。そしてその愛がその時に伝わらなくても、その後に力を与えることがある。

私とアキは少年院の矯正教育や学園のカリキュラムを通して薬物の恐ろしさを知っていたため、薬物には絶対に手を出さないようにしていたが、他の非行には手当たり次第手を出した。
非行をするときの私の心境は、人に迷惑をかけてしまうなどといった健全な感覚は一切なく、好奇心によるワクワク感やバレてはいけないというスリル感が大きかった。
暴力など人に痛みを与える行為も、自分を強く大きく見せたいという心理が働きその他の健全な感覚は全く働かなかった。

この感覚(価値観)というものは、「類は友を呼ぶ」という言葉があるように身を置く環境によって育まれることを前提に考えると、たしかに私の身の周りには非行少年が多く居た。
特に無知でアイデンティティを確立する過程の段階では何が正しくて何が間違いであるのかという価値観は環境に規定されやすい。中学生の段階で非行少年たちと交流することで、私の価値観は不健全なものに形成されていった。
正しいことと間違っていることの価値観の基準では、間違っていることでもお構いなしに実行するという価値観は私の中で正しい方に分類されていたことになる。

当時、知らず知らずのうちにそのような環境に身を置く選択をしていたのは自分自身であり、少年院に入るまでの過程では他者が私に健全な感覚を育む余地がなかった。私は私とは違う価値観を拒んでいたからだ。

そんな私は、中学を卒業した後は高校に進学をせず里親の元から離れて社会的養護のもとから自立したいと考えていた。とにかく、大人に振り回されたり縛られる環境が窮屈で何事も自己責任で自由に生きたいという思いが強かった。
どんな仕事がしたいのかとか先の将来について考えることをせず、目先の欲望に従順だった。
そして中学を卒業後、里親の元から自立してB中学校の校長先生から紹介された左官の仕事に就き、会社の親方の家に住み込みで働くことになった。

今、里親さんに感謝な想いしかない。
数ヶ月の短い期間だったが、里親さんは、可愛げのない野良猫のようだった私を家族として迎え入れていただき、私の意思を尊重して自立まで見届けてくださった。

次の記事では、その後の少年院に入るまでの過程を書きます。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

つぶやき

最近、テレビで大活躍している芸能人の過去の過ちが明るみに出たことで、更生に関する話題が注目されていました。
世間の反応では、一度の失敗をも許してはいけないとする価値観を重視する人と更生した後の生き方を重視する人で物議を醸していました。
私の感覚的には、時代の流れと共に後者の価値観を持つ人が増えているような気がして安心しています。
しかし、被害者視点で考えると私は前者の価値観を重視するのはごく自然なことだと思います。
どちらが正しいという判断は立場によって揺らぎ、正解は存在しない問題だと考えますが、一つ言えることは、自分自身が裁判官のように人を裁けるほど完璧な人間ではなく、自身の理想とする振る舞いや生き方を目指して、自分や身の周りの方を幸せにする道を模索していくことが、与えられた人生の時間の使い方のような気がしています。

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