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拘りや執着を抑えられるだけの自己肯定感の欠如

「その人がその人になったのには理由があって、人自身には何ら選択肢や自由のない人生であることの方が世の中ほとんどなのに、何か気にくわないだけでどうして人の背景にある理由を見ようとせずに感情を露に争うのか.それは一重に、拘りや執着を抑えられるだけの自己肯定感の欠如」みたいな話を昨晩した。

いい大人同士、みんな仲良くすれば良いのに。「自分はこれだけ知っている、考えてきている」「だから自分は正しい」「だから承認せよ」「話はそれから」という前提がクリアされないと、自然と「自分の方が正しい」という争いごとになっていってしまうシーンにしばしば遭遇する。“自分は正しい”――すべての争いは、ここからはじまる。

そもそもそんな前提は必要ないし、何か無知だったり配慮の不足だったりがあったとしたとして、それは指摘し合えば良いだけの話。だのに、そこをきっかけにしたマウンティングがはじまる。専門家を名乗るのならプロフェッショナルたれ、という矜持を他者に押し付けたりして、それらの無い人間は赦すまじ、という戦場の様相。

そんなことになってしまう時点で、「何を否定されても批判されても構わない」「あらためるべきは自分であると思うのであれば、自己否定と共に自我を見つめ直して一歩踏み出せばよい」「できる限りのことをし続けるだけだ」という覚悟と自己肯定感が足りていないんだろう。

拘りや執着にふりまわされている内は、その人は『小さな箱』の中にいる。善くあろうとする自分への裏切りと自己欺瞞が、その人を箱の中へと追いやる。自我を超える存在に従い、素直で正直な自分自身を赦す勇気があればと思う。ないものねだりで夜泣きする、幼児のように。

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貴重な時間のなか、拙文をお読みいただき 有り難う御座いました。戴いたサポートのお金はすべて、僕の親友の店(https://note.mu/toru0218/n/nfee56721684c)でのお食事に使います。叶えられた彼の夢が、ずっと続きますように。

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こどもの医療機関でPR・Webサイト運営・ファンドレイジング(寄附あつめ)に従事.Living in PeaceこどもPJT(広報Gr).ほぼ日の塾4期生.

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