台湾ボランティア記・第2週

台南郊外の知的障害者施設滞在の日記 続きです

第八天 12/11(火)
 昨夜遅くまで起きたため寝不足だった。朝、施設に行くと庭を掃除している人たちがいた。同じ家の他の住人たちが出るのを待って出たが、早く出て掃除をした方がいいかなと思った。工作をして、昼ご飯を食べて、昼寝する。昼寝ができて助かった。施設の職員が利用者の障害者に水を飲まそうとしているのを見る。ぼくに、水をちゃんと全部飲むか見ておいてと言うくらいだから、悪気がない。その職員は決して悪い人ではなく、ぼくにもよく気を遣ってくれる人だ。だからショックを受ける。絵を描いたりして終わる。
朝8時半から15時半までのプログラムだが、正直結構つまらない。朝の掃除や、売るための手芸・工作なんかはやる気が出るが、特に障害者には向いていないように思えるストレッチをしたり、視聴覚室みたいな大きな部屋を運動のためにひたすらぐるぐる歩き続けるのに至っては、もっとやり方があるだろう、と思う。体を使うことは確かに必要だと思うが、それなら楽しいことをすればいいじゃないかと思うのだ。せっかくブランコとかボールとか遊具があるのに、ずっと同じ場所を歩くのはどういうわけなのだろう。苦しいことをするのが訓練と思っているのだろうか。というわけで昨日提案した気功は、明日できることになった。昨日は20分でと言われたのに、今日は10分でと言われたが、まあいいかと思う。
 むかし小学校の先生が、「人間は苦しいこともせなあかんもんや、遊んだら、つらいけど勉強も頑張らな」みたいなことを言っていたが、そんなの嘘なのだ。つらいと思ってすることなんて、身にならない。楽しくする方法を考える方がよほど有意義だ。
 その後、施設の障害者3人と、世話をしてくれるおじいさんと、19歳のドイツ人とぼくとで住んでいる家に帰る。ここが、とても心地いい。障害者のうちのひとりが、親しく話しかけてくれる。ただ、彼は文字が書けなくて、ぼくは文字は読み書きできるが聞き取れないという、コミュニケーションにおいて一番相性が悪い状態で、自分の中国語の勉強不足を嘆く。障害者を相手にする仕事をしていた友人が、「障害者の声って聞き取りにくいから、その施設の人が話す言語に精通しているのは大事なんですよ」と言っていたが、その通りだ。彼はそれでも話しかけてくれる。音を聞いてネットで検索をかけ、画像を見せて確かめるという方法でコミュニケーションをする。おじいさんは我々を孫を見るような目で見てくれる。彼らと一緒にテレビを見るのが大事な時間になっている。今日はアニメのこち亀とドラえもん、「フズリナの記憶」なる日本人も出てくるドラマを見た。仲間とひとつのものを見るのはいいものだ。それに映像作品は中国語の勉強にいい。日本に帰ったら、もっと映像中心に中国語を勉強しようかと思う。

第9日 12/12(水)
 曇っていたため寝覚めは悪かった。しかし早めに行って朝に庭を掃いている人にまざって掃除しようとしたが、あまり歓迎されない様子だった。まあ人の仕事を奪うことになるからな。明日からはいつも通りの時間に行くことにする。
 プログラムはやはり退屈だが、少し気功をやらせてもらうことができた。昨日書いた、水をやたらと飲ませる先生も、気持ちいいと言ってくれた。もうすぐクリスマスということで、その出し物の劇の練習をする。水を飲ませる先生はキーボードだが、叩きつけるようにJoy to the World(諸人こぞりて)を弾くので、聞くのが苦痛である。この先生はやっぱり体の感覚が鈍すぎる。小学校の女の先生にこういうタイプの人が多い。小学校の先生、よく「なよなよするな」って言うけど、人間はなよなよしてなんぼだ。叩きつけずに、やわらかく弾いてほしい。
 終わってから、親しく話しかけてくれた同い年くらいの男の先生が、今週いっぱいで辞めるから、何か施設について思うことがあったら遠慮なく聞いてほしいと言われる。言語や文化の違いがあるのでずいぶん困りながら、「体の感覚をもっと尊重できないか」などと言ってみる。しかし、「体の感覚といっても、彼らがお菓子を食べたいと言ってほしいままに与えるのは違うでしょう」と答えられる。まさにその通りである。中国語や英語もそうだが、障害者教育や、身体への知識が少なすぎて、語る言葉を持たないなということを実感する。
 家に帰ってから、1時間半くらいかけて部屋の掃除をする。もともと見える部分はきれいだったが、ベットの下が2年くらい掃除されてなさそうだった。他にタンスの上などを拭く。ホコリアレルギーなので気になるのだ。
夕飯を食べ終えてから、週に一度の夜市にはじめて行く。人口1万4千人の町なのだが、とても賑やかである。CDがいっぱい売っていたから、帰る前に買おうと思う。台湾は田舎町でも賑やかで、食べるところもたくさんあったりする。

第10日 12/13(木)
 朝起きたらだるくて風邪っぽく、休んで一日寝ていた。仕事なら無理してでも行ったが、ぼくがいなくて迷惑がかかるわけではないのだ。
 気功の先生は風邪のときは目を休ませるように言っていた。だからスマホを見るのはよくないのだが退屈なので、ドラえもんやクレヨンしんちゃんの中国語版を見たり、聖書を除いて日本から持ってきた唯一の本である『思春期をめぐる冒険 心理療法と村上春樹の世界』を読んでいた。
 お世話になっているおじいさんが、昼ご飯も作ってくれた。
 この家はとても居心地がいい。施設の人たちもひとりひとりはいい人だ。ただ、施設全体をおおっている雰囲気は、学校みたいであまり好きになれない。
 ぼくがなぜのらりくらりと就職をしないでいるかというと、組織の雰囲気に染まるのが嫌だということがある。先日書いた水を無理に飲ますことも、順調に新卒で就職して気功など習わずにいたら、変に思わなかったかもしれない。あるいはこの施設で勤めると決めたら、自分が適応するために、これは必要なことなんだと自分を納得させるかもしれない。抑圧的な中高に通っていたが、そこで不登校になった人のことは、先生やクラスメイトと同様にぼくも軽蔑していた。集団の中にずっといると、どうしてもそこをおおっている空気に染まることになる。すると、世界に対してひどいことでも、してしまえるようになる。水俣湾に水銀を流していた企業の人も、薬害エイズを引き起こした会社の人も、吉田寮自治を壊そうとする京大職員も、ひとりひとり属する組織について何らかの違和感を持ちつつも、しかし賃金という生命線を握られている中、思考停止したのだと思う。そうはなりたくないのだ。もっとも、何かの組織のようなものと深く関わる機会はいつかまた出てくるだろう。しかしそれは、もっと「個」を確立してからにしたいのだ。そうすれば、自分だけは踏みとどまってものを考えられると思うのである。と書いてみたものの違和感が出てきた。個の確立はたぶん幻想だ。それよりも信頼できる人やコミュニティとの多様な関係を築くほうがいい。それによって信頼できる「個」が一時的に成り立つ。それを絶え間なく続けるべきか。
 施設には1ヶ月お世話になると伝えていた。もし居心地がよかったら1ヶ月半いようと思ったが、やはり1ヶ月で終えることにする。その後は台湾を半周しながら、余力があれば離島や大陸にも寄って、帰ることにする。

第11日 12月14日(金)
 夜11時に寝て、目覚ましが鳴る3分前の6:57に起きた。昨日は一日寝ていて、シャワーも浴びていないので、朝ごはんを食べてから浴びる。目や肩の湯あてもする。そんなことをしていると40分遅刻して8:40に行くことになった。
 行くと、台南市の知的障害者の自己啓発なんとかの集会をするとかで、それが9時半ごろからはじまった。障害者のためというよりは、職員のためのような会に思える。スタッフは相変わらず障害者の人たちに、前を向いて座れとか言っている。アホらし…と思いながら、スマホをさわったり、図書館で借りたジブリ映画『風立ちぬ』の子ども向けの本を読んだり、隣の席の障害者の人としゃべったりして過ごす。
 昼食の後、タオルや靴下の袋詰めをする。障害者の人たちが3時半に帰った後も、少し手伝いをする。おととい、今週で辞めると言っていた人に連絡先を聞こうと会いに行くと、人手が足りないから今月いっぱいはいることになったと言われる。今日の会はどうだったかと聞かれ、どう答えたものか迷いつつ、障害者の人ではなく職員のための会だったと言ったものの、その意は伝わらず、これは障害者の人のための会だとマジレスされる。中国語と英語が下手すぎて議論にならないので、話しを聞いているだけである。
 金曜のプログラムが終わると障害者の人は実家に帰る。世話をしてくれているおじいさんも家に帰る。ドイツ人は台南に派遣先の研修に行っている。というわけで今夜はひとりである。しかし、施設のボスが、友達が来てるから一緒にご飯食べに行こうと言って、車で山の上のレストランに連れて行ってくれた。梅の鍋を食べる。うまかった。
 昨日、休息が取れてよかった。4日に台湾に来たが、それから一日も休みなしだった。台東旅行は楽しかったがハードだった。そもそも台湾に来る直前も大阪でかなり忙しくしていたのだった。明日と明後日は自由である。明日は台南に、明後日は玉井の教会などに行くかと考え中。
 図書館で借りたトトロ(龍貓)をパソコンで見る。映像で勉強するのは効果的だと実感する。

第12日目 12/15(土) 台南旅行
 まずは昨夜金曜日の夜の続きから。ドイツ人は台南で研修、みんなは家に帰っていて一人の夜だったが、ボスが食事に連れて行ってくれた。しかし帰ったら一人である。ぼくは部屋でひとりで寝るのもいつも怖いのだが、建物にひとりとなるともっと怖い。だからぜんぜん寝つけなかった。トトロの中国語版を最後まで見て、心を安心させて、やっと眠ることができた。たぶん午前3時くらいである。
 朝は8時に目覚ましをかけていたが、寝るのが遅かったので、8:45までスマホなどさわりながらだらだらする。しかし、おとといはたくさん寝たためか、意外と大丈夫そうだと思い、支度をする。台南に行くつもりだが、プールに入るべきかどうか迷う。家に湯船はないが、私はお湯に浸かるのが日課なので、少し物足りない。そこで、プールに併設しているお風呂に入ろうという考えである。ちなみに住んでいる玉井には体育館はあってもプールはない。一応バスタオルや水着を持って行く。そんなこんなしていると、10時に家を出ることになった。冷蔵庫にあったりんごをかじりながら歩く。歩いて10分ほどでバスターミナルに着く。そこでバスに乗り、70分である。玉井は人口1万4千人しかいないのに、15分に一本という高頻度で出ている。眠くなって寝ていたら、12時ちょうどくらいに台南駅に着いた。料金は350円くらいである。
 台南に来た一番の目的は本を手に入れることである。玉井には本屋がないのだ。さっそく駅前の金色堂書店に入ると、『台湾歴史地図』という地図を参照しながら台湾史を知れる本を見つける。でも重くなるから今は買わない。最近できた王育徳記念館に行く。王育徳という台湾人は、東京帝大に入ったあと台湾に戻るも、敗戦に続く2.28事件で兄が殺されたりえらいこっちゃということで日本に亡命して、台湾独立運動や台湾語研究に活躍した人である。
 王育徳記念館前の公園で、着物を着た人たちが何やらイベントをしており、横で話しを聞いていると、茶道を紹介するために京都から来たそうである。その中の女子学生っぽい人と話したいと思うも、タイミングがつかめずあきらめる。人に話しかけるのってむずい。
 ひとつ書店に行くも収穫なし。次に林百貨に行く。前に行ったときは、屋上に戦前の林百貨の前に立つ少女を描いた萌え絵で彩られた、世間の奇異な目を浴びるという意味で実用性がなさそうな水筒が売っていて、ぼくのロマンティシズムにぴったしはまったのだが、その時は売り切れで買えなかった。それで今回行ってみたが、そもそも売られてすらいなかった。販売は終わったのだろうか。「つながれる人とはつながれるうちにつながっとかないとね」と当事者研究の仲間が言っていたが、その通りである。
 林百貨の隣の慰安婦像を見る。ここに建っているのは、林百貨と土地銀行という日本時代の建物が残るエリアだからだろうか。前に日本人がこれを蹴って、地方選挙で民進党が少し不利になったのではとかいう文章を読んだ気がするが、本当だろうか。
 やはりさっきの茶道の日本人と話したいと思い、また王育徳記念館の前に行く。ご飯をただで振る舞っているので、食べる。茶道の実演を見て、しかし話しかけるの無理やなと思っていると、子ども相手にコマなど日本の遊びを教えるブースにいる30歳くらいの女性が、向こうからこちらに気づいてくれて、「日本からいらっしゃったんですか」と聞いてくれる。それで、ボランティア(事実上の食客)で来ているとか、色々話す。茶道を教えに来ているのは龍谷大の学生が主で、その女性は同志社卒で茶道を生業にしているらしい。少し話した後に、「ぼくは京大卒業してるんですよ」と、身元を明らかにするのと、話しをふくらませるきっかけになるかと思って言うと、「えーすごいですね」とただびっくりされてしまった。意図としては距離を縮めることだったが、逆効果になった。前にもこういうことがあった気がする。ぼくは京大から左京区などの地理の話しになったり、京大にも茶道部があるわけで交流があるかもしれないから、「○○さんもしかしたら知ってたりします」みたいなことがあるかと思って言ったのだが、テレビのクイズ番組で見るような、高学歴=選民の意味になってしまった。関西の外の人にはあまり京大だとかは言わないが、特に京都の人には言いたくなるのだ。だって京大・立命館・同志社・龍谷・精華・造形などそれぞれの文化や地理があるわけで、話が盛り上がりそうだからだ。なのにうまくいかなかった。むずかしい。
 その女性に別れを告げ、本屋めぐりを再開する。台南駅南の古書街に向かうも、特にほしいものは見つからなかった。教科書の古本を売っている店があって、小学校の国語の教科書を見たが、ぜんぜんほしいと思わない。施設にある’70年代の国語の教科書はシンプルでたいへん美しいのだが、今のはごちゃごちゃしている。
 台南駅東の、成功大学の学生街の本屋へ向かう。日本語の古本を売っている店を知っているので、そこに行く。台南は2ヶ月住んだことがあるから、少し詳しいのだ。日本語世代の台湾人が作った歌集『たんがら台湾』(2000年号)が10元(35円ほど)で売っていて買う。野坂昭如の『軍歌 猥歌』なる80元の本と、1970年発行の女性自身の皇室特集号(100元)も買う(なんでそんなもの売ってるんだ?)。トトロと魔女の宅急便を特集した150元の本もあって買ったが、それのみ袋がしてあって、いま開けると日本語の翻訳ものだとわかった。買った意味がない。施設の誰かジブリ好きな人のクリスマスプレゼントにしよう。主に日本語の本を買っているのは、いま持っていてもうすぐ読み終える本の他に、日本語の本がなかったためである。
 他にもうひとつ古本屋に行くも成果なし。その時点で5時をまわっている。駅前の書店に戻り『台湾歴史地図』を買う。玉井行きのバスに乗り、YouTubeでクレヨンしんちゃんやドラえもんの中文版を見る。19時半に玉井に着くと、広場でクリスマスの音楽会をしており、それを21時すぎまで聞く。楽しかった。
 台南の林百貨(日本時代からの百貨店)などは人気ではあるが、そういう観光スポットにばかり行っても、台南政府や観光局お仕着せの旅行なわけで、少しずつ消耗する感じがする。に対して、玉井のような観光地化されていない場所で、地域にふれあえると、満たされる感じがする。
 家に帰るために鍵を開けようとすると、台湾版セコムの解除を間違えたらしく、警報が鳴り、正しく解除した後に台湾版セコムから電話がかかってきて、吃音&外国語ということで最悪の条件なのだが(吃音者はたいてい電話が苦手)、問題はないことと、名前を聞かれたので名前を答えた。この家の玄関は、3重に鍵をかけた上にセコムをしている。いくら障害者をあずかっているからといって、台湾という世界で最高クラスに治安のいい国の、人口1万4千人の田舎町でそれはやり過ぎだろうと思う。しかし、ボスやおじいさんは、出る前にセコムちゃんとかけといてと言うので、従うことにする。
昨日の夜、店で残して包んでもらったやつの残りと、冷蔵庫のネギやらショウガやらで鍋を作ったが、あまりうまくなかった。料理うまい人はすごい。

第13日目 12月16日(日)
 玉井の長老派の教会に行く。9:45に礼拝がある。朝ごはんを教会近くの朝食店で食べる。肉粽(ちまき)と豆乳の小を頼む。豆乳はたくさん出てきた。たぶんこちらが外国人(日本人)なのでサービスである。それで35元=120円くらい。ぼくは飲み物は日本では、水とハーブティーと酒くらいしか飲めないのだが、台湾や大陸では豆乳が飲めてありがたい。安いしどこででも売っている。ちなみに、日本の豆乳は飲めない。日本のは味が違う。
 教会の礼拝は台湾語で、さっぱりわからなかった。自己紹介の時間があるかと思ったがそれもなく、台湾語の通じないよくわからない若者がひとり来たというだけで終わってしまった。日本人だとわかったらもう少し歓待されたと思うのだが…。去年、花蓮の長老派教会に行ったときは、そこも台湾語での礼拝だったが、かなり歓待された。日本語世代のお年寄りとたくさん話すことができた。
 終わったのが11時で、バスターミナルのあたりを歩いていると、施設のキッチン担当の障害者の人に出会った。どこに住んでるんですかとか、少し話す。それからパタニー事件の記念館に行く。パタニー事件というのは、1915年にここ玉井で起きた、日治台湾最大の死者を出した抗日事件である。しかし、少し見たところで、果物に含まれている何らかの成分が足りないため集中力が落ちていて字が読めないことに気づく。そのため、農協のマンゴーを出す大きな店に行く。150元の、玉井名物のマンゴーとアイスが入ったものを頼むと、マンゴーの下に大量のかき氷である。ぼくはお腹を冷やすのがダメなので、ミスったなと思いつつ、少しずつ溶かしながら食べる。なんにせよ果物を摂取でき、記念館に戻ると字が読めるようになっていた。展示を見る。日本軍は「清郷」といって、敵対する可能性のある集落の皆殺しをしている。満州事変(撫順の抗日への報復)や日中戦争で集落皆殺しをしたことはよく知られているが、その前にもやっていたのだなぁ…と思う。
 記念館を出ると猫がいて、一時間くらい遊んだ。猫との距離感をはかるのが気功っぽいというか恋愛っぽいというかでおもしろい。
 昨日たくさん歩いたためか、疲れたので家に帰る。15時ごろである。少しネットなど見てから、ひと眠りする。起きると18時半であった。ドイツ人が帰ってきていた。聞くと、小琉球に行ったという。ウミガメのいるところで、ぼくも3年前に行った。彼は疲れたから寝るといい、ぼくはご飯を食べに出た。前に入った店の前を通ると、おっちゃんが覚えててくれていて、入る。奥さんがぼくでもわかるようにはっきりと中国語を話してくれたから、すんなり注文する。魚のスープと上に煮込んだ豚の細切れが乗った米と、空心菜を食べる。全部で145元(500円くらい)である。そんなに安いわけではない。が、うまい。9つくらいの娘さんがいて、ティッシュを取ってくれたりなんとなく気にかけてくれる。ぼくが奥さんと中国語でやり取りするのを見てその子は、「彼は国語が話せるのね」みたいなことを奥さんに言ったところ、「せやで〜。勉強しはったんや。あんたもしっかり勉強して日本とか行きなさい」(よく聞き取れなかったので意訳)みたいなことを言っていた。その子が「好吃」は日本語で何というのか聞くと、奥さんは「おいしい」と答え、ぼくが出るときも「さよなら」と言ってくれた。台湾の人はたいていこのくらいの日本語を基礎教養的に話すのですごい。今日は人と話するのが少なかったので、少し暖かい交わりができて助かった。

第14日目 12月17日(月)
 昨日昼寝をしたので7時起きでも大丈夫かと思ったが、目覚ましがなっても起きられなかった。結局8時に起きる。遅刻である。それでもだるい。
もうすぐクリスマスの出し物があるということで、その練習である。子どもがいてかわいい。ぼくは東方の三博士のひとりである。
 昼ご飯を食べてから、部屋に戻り布団のカバーを洗濯する。どうもダニがいるらしく、腕や手を噛まれてかゆい。かけ布団のみ干す。洗濯の待ち時間に、台南で買った歌集<たんがら台湾>(二〇〇〇年号)を読む。日本語世代の台湾人たちが、日本語で短歌を読み続けたことは心動かされる。いくつか心惹かれる短歌をみつける。刺激を受けて、自分でもいくつか詠む。
昼からはジングルベルの歌に合わせたダンスの練習をする。
 家に帰って疲れ気味ながらリビングでパソコンやテレビを見ていると、いつも話しかけてくれる人が話しかけてくる。知的障害などない人だと、疲れているとか、何か作業をしているとかを察してそっとしておいてくれるだろうが、そういうのはおかまいなしで、いささかイライラする。
 今日は疲れたので早めに眠る。

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