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断絶してから母を愛した

私は病院からの指示が絡んだ境界性パーソナリティ障害寛解維持者。
自分の命がかかった断絶状態で、親との間に行政ロックがかかっている。

母の日の前に非通知着信があった。
母が番号通知していたら、ディスプレイに番号表示されるのくらいは見るのに。番号拒否はしていない。
出られないような事をされた・・

境界性パーソナリティ障害の症状がガンガン出ていた頃、確かに私は母を愛していた。頼っていた。
今も、関われなくなったから愛している。
境界性パーソナリティ障害も発達障害も何も知らないし知ろうとしない母だから、母に対して何もできない自分の無力さに打ちひしがれる。

信仰している天理教の教会の奥さんや、母くらいの歳のお姉さん方にハートの色々な折り紙を渡した。「ありがとう」など、その人にあった言葉を添えた。なかなか折り方が定まらなくて、出来上がったけど他の折り皺がついてしまったのを渡してしまった、きっと奥さんが一番好きだ。
病んでる時なら絶対変なシワがついたのなんか渡さないし、渡した人が見立てを間違ったら鬼みたいに怒ったんだろうなって、。

今はお姉さん達に依存することもなく、甘えたり甘えられたりしている。
そんな自分の穏やかになった心を顧みる時が辛い。

母もまた誰にもどうすることもできない、幼少期からの痛みを持って過ごしている大きな子供なんだ。病んでる時の自分くらい女性に依存している。
主人のために母に依存される訳にいかない、主人か母かと言われたら主人だ。帰るところなどない、流浪の民。

慣れし故郷を放たれて
夢に楽土求めたり

ねぐら離れて鳥鳴けば
何処行くか流浪の民

実家にいる頃はわかってほしかった。
今はわかってもらってもどうしようもない。
やはり私の世界を壊すだろうし、知ろうともしないで甘えまくるだろう。
未だ母は『私は病気じゃない』という病気にかかっているだろう。

毒づいていた間の刺が抜けて距離も取って
自分がやっと「安心できる」と思う所から、
許されない加害行為をしてくれてありがとう、お母さん
後遺症が残るほどの苦しみを与えてくれてありがとう、お母さん
と思うようになれた。愛にはいろいろな形があるから。

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