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2020/7/9(うたの日366)

窓を向くひとが壁画のようである午後の環状線内回り/天田銀河
(2018/8/24「回」)

すごくしっくりくる歌だと思う。上の句の比喩が、すっと腑に落ちる情景を描いている。かつ、下の句の少しローカルな固有名詞が良く「環状線」を知らないひとにとっても、きっとそうなんだろうと思わせられるつくりになっている。
「環状線」は大阪のJRの路線名のひとつであり、大阪の都心部を文字通り環状に運転している。東京でいうと山手線のような感じ。通勤や通学に主要な駅を多く持ち、ラッシュ時の混み具合は相当なものになる。が、「午後」は帰宅ラッシュが始まるまで、しばし穏やかな人の流れになる。歌のなかでは具体的に何時なのかは触れられていないが、なんとなくそのくらいの時間帯であるのかなと感じた。というのも、上の句の「~ようである」という滞空時間の長さ。下の句の9音5音の句跨りがゆっくりと走行している雰囲気を醸し出している。また具体的な固有名詞という以上に「環状」という言葉に、ほんとうはそうではないのだけれど、そんな様子がずっと続いていくようなニュアンスが出ている。塚本邦雄の歌の「ゆきかへる少女らの瞳にくちびるに風と光の死ぬ環状路」も、「環状」によって不思議な雰囲気が出ている歌であるけれど、これも「窓を向くひと」は生きているはずなのに「壁画」のような静物になる一瞬がある。山手線では意味は同じでもこうはいかなかっただろうし、すごく上手いと思う。

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