私が甘納豆を通して、本当にしたいことは何か?


ほんとうの豊かさを社会に提供すること

私にとってもっとも大切なことは、家族の団らんです。

結局、だから家業を継ごうと思えた。なぜなら家業は家族の生活そのものだから。私が継いで、家業が立て直せたら、家族の団らんを守ることができる。

傾いている会社に入る怖さもあったけど、それよりも、今まで好きな研究を自由にさせてもらった恩、それに報いたい気持ちが優った。

戻るが、そういう時間、家族に限らず、親しい人と人が集まり、交流する中に生まれる豊かな時間を増やすこと。そのために、お菓子という触媒、ツールが存在する。

見た目や味だけでなく、そのお菓子を通しての物語の会話(例えば、お土産であればその土地で見聞きしたものや、その菓子の物語など。その土地で生まれた菓子には、必ずその土地のストーリーが込められているはず)

お菓子とは、ただお腹を満たすためのものではない。生きるためにお菓子を食べるのではない。+αの、人生の質=豊かさのために作られ食べられる。この活動があることこそが、豊かさの象徴でもある。戦争中ならお菓子を作っている場合ではないだろう。

甘納豆は、最も自然を活かすお菓子だと思う。
原材料は、素材と甘味、以上。
商品名=素材名
形もそのまま残す。ので、素材のことを伝えられる。
チョコやキャンディは人が決まった形に成型するが、甘納豆はそうはいかない。

自然が創った通りの形。
だから、個性的で同じものはない。
だから機械で同じように扱うのに向いていなかったりする。
そういうところもまた好きだ。

私は型にハマるのが昔から嫌いで、自由が好きだった。
だから京大の自由な校風が大好き。らしさが認めれられる=多様性のある社会も、また豊かさの一つの形なのだと思う。

甘納豆=菓子≒自然ということは、
甘納豆を食べることは、人と人との団らん+自然との交わりを生み出すことになる。

そして、そういう関係性、つまり
1、人と人
2、人と自然
上記2つのバランスの取れた=良い関係性が、これからも続いて行くこと。
それこそ私が目指しているものであると思う。

そういう役割、使命が甘納豆にはあるように思える。

伝統とは続いて行くこと。
続いて行くには、変わっていく必要がある。
それは自然の理。進化論である。

環境の変化に適応できるもの(合ったもの)だけが生き残る。
強い弱い、大きい小さいではないということ。

組織、会社、家業もまた同じ法則の中にいる。
売上が大きい小さい、人が多い少ない、歴史が長い短いは関係ない。
全ては今である。

ただ、歴史が長い会社はその変化を経験して適応してきているから、+信用という無形の資産を積み重ねてきているから、短い会社より生き残りに有利なのだと思う。

そして、企業において、その進化を前へ進める原動力は、想い=夢、志であると思う。(これはテレビで見たある経営者の受け売り)

私の志は、甘納豆づくりを通して、人と人、そして人と自然の豊かな関係づくりに貢献すること。

あ、らしさという点では文化も入れたいところである。

"甘納豆づくりを通して、人と人、人と自然、そして自然と文化の豊かな関係づくりに貢献すること"

少し長くなるが、このほうが私の想いを汲んでいる。

マクロビオティックの桜沢先生の本を読んでの感想でもあるが結局、宇宙とのバランスのとれた状態=健康=豊か=幸せ=道理=発展なのだろうと感じる。

こういう原理原則にそって生きることが、人としての正しい生き方であろう。

つれづれなるままに、とはまさにこのような活動のことであろう。
思ったことをつらつら書く。

けど、これで私の中はだいぶん整理されている。

読んでくださった方にはメリットはないかもしれないが、長文にお付き合い頂きありがとうございます。














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