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雨が味方してくれるとは…… 妊娠②

 とても、暗くて悲しい話です。どうして染色体異常が分かってて、なぜ子供を産んだのか、聞かれる事が多かったんですが、結果的にこの時期の気持ちが明暗を大きく左右していました。

・夢見ごこちな時間

・妊娠したら、こどもが産めると思っていた時の話

・異常を指摘されてから

・雨だけが味方

妊娠初期、夢見ごこちな時間を過ごす

 妊娠6~11週、妊娠が分かって、私は嬉しくて爆走していました。もともと計画好きな前のめりな女なので、そりゃもう情報収集と準備は、フライング気味でしていました。

 7月25日が予定日だから、分娩する病院は……、家の近く産院にしよう、産休はいつからで…… 保育園は…… 育休中は、産まれた赤ちゃんを連れて同じく育休中であるOOちゃんと遊ぼう。女の子かな、男の子かな?

 長男の時は、働きまくって余裕がなかったけど、マタニティヨガやご飯が美味しい病院を選ぼうとか、妄想は次々に広がって行きます。

 妊娠・出産した経験があると、その経験を基準に動いて準備してしまう。長男の妊娠していた時の事を思い出しながら、それが当然であるかの様に、

 妊娠10週、妊娠を確認してもらったレディースクリニックで異変がおこりました。

「う~ん。赤ちゃんに浮腫がありますね。まぁ、妊娠初期のよくある事なんで、数週間もすればひく事が多いので心配ないですよ」「でも一応、分娩を予約している病院を早めに受診するようにして下さいね」

 先生の言葉は、とても軽やかで何かあるなんて思えない様な口調でした。だから、よくある事なんだと思うようにしていました。

 気にしないようにするけど、やはり気になります。
 妊娠初期、胎児、浮腫、家に帰ってこのワードを何度も検索しました。検索の結果は、後頸部の浮腫、NT3ミリ、ダウン症、等という言葉達でした。

何も言われない事が不安を増させる

 妊娠11週、仕事帰りに分娩予定の産科病院を受診しました。辺りは暗く、1月のしびれる様な寒さで、肌の感覚が分からなくなるような、冷たい夜でした。
 長い待ち時間を待ち、診察の順番が回ってきました。

先生は、入念にエコーを見ています。私も、目を凝らしてエコーの画面を食い入るようにのぞき込みました。

 ネット検索して、私の頭にインプットされていた、どのエコー写真よりも、お腹の子供は浮腫んでいるように思いました。

 しかし、先生は、エコーを入念に見るだけで
「明日、エコーに詳しい院長が来るので。その先生に見てもらいましょう」
呪文の様に繰り返すだけで、確信には触れません。

 自分は、週に1度この時間だけ担当しているから分からないと。。。
明らかに、浮腫んでいます
 「チョット首の後ろむくみすぎじゃないですか?普通ではないように思うのですが大丈夫でしょうか?」と突っ込んでみましたが、、、最後まで、私を納得させてくれる返答はありません。

 言及してしまうと、その言葉は、消えないからでしょう。軽はずみな事は言わず、言うべき事は言っておかないといけないのでしょう。産婦人科医って、忙しく、訴訟リスクも高く、スゴク大変な仕事なのは、分かるのです、でも、、、

 仕事帰り、急いで息子にご飯を食べさせて、夫に早く帰ってきてもらい、受診したのに、、、なぜ何も言わないのか、何のために病院に来たのか考えると腹がたってきました。
 最初から、判断できないんだったら予約の時点で、今日はいつもの先生と違いますって、どうして、ひとこと言ってくれなかったのか。。
 
 それより何より、ショックだったのはエコーで見る胎児の様子が、普通でなかった事。前回のエコーよりも、確実に首の後ろが浮腫んでいました。そして、動きません。動く気配すらありませんでした。

 寒さ、暗さ、疲れは、心を卑屈にさせていきます。待合室で見る、お腹の大きな妊婦さん達、雑誌を見たり、ただ普通にしているのに、幸せそうに輝いて見えました。

 急に、妊婦だらけの空間に、自分が存在している事が、滑稽でみじめなように思えてきました。 

 近所で、人気な産婦人科で、友達が話してたように美味しいご飯を食べ、マタニティヨガを受けて、幸せな妊婦生活、出産をするはずだった場所が、居心地悪くいてもたっても、いられない感情が湧いてきます。

 早く、帰りたい。

 急いで家に帰って、状況を説明して夫にダウン症だと思うと伝えました。

 障害をもった子供を産む事なんて自分には出来るのだろうか?産めないかも知れない。気が付くと涙が出てきました。 ダウン症の人が身近にいた事がなく、仕事をしていても関わる事がなかったので、経験と知識を持ち合わせていなかったのです。

 だから、ダウン症=障害があり、一人で生活できない、幸せな人生を送れるのだろうか?と思っていました。

「先生がそういったわけじゃないんだから、もう少し落ち着いて、次行ったときに考えよう、泣いても悲しんでも何も変わらないし、ダウン症かどうかは、検査で分かるんだから検査しよう。この子は強い。そんな気がする。すごく強い子供だから大丈夫の様な気がする」と言って夫は、落ち込んでいるようには見えません。私には、とっても平然としているように見えたのです。

再度、受診する

 本当は、次の日に受診したかったけど、仕事の都合上、受診できたのはこの3日後でした。できれば昼に受診したかった。でも、やっぱり仕事帰りの夜にしか時間がなくて、寒くて暗くて、おまけにメチャクチャ冷たい雨の降る日でした。

 待合室で、待つ時間、ガタガタと自分の手が震えていました。震えを止めたかったけど、何か考えると涙が出そうだったので、ただガタガタさせながら、順番を待っていました。

 順番が来て、診察室でエコーの画像をみた瞬間、ぞわぞわっと、首筋から血の気が引いて、目の前が白くなりました。もし、立っていたり、座っていたら、完全に倒れていたと思います。フッと意識が遠のいて、頭がクラクラしていました。

 お腹の赤ちゃんの浮腫は、身体の半分くらいの大きさに膨れ上がってました。浮腫んでいると言うより、胎児を包んでいる膜が破れそうなくらい腫れていたのです。

エコー、内診を終えて先生が説明した内容は、

「頸部リンパ管腫です」

 ダウン症について、検査について、沢山検索をして準備万端で望んでいたのですが、頸部リンパ管腫は初めて聞く言葉でした。

初めて聞く言葉は、人を不安にさせます。

「染色体異常の可能性が50%、心疾患を合併している可能性が40%、妊娠継続も困難な場合が多いです」

 説明されて、言葉の意味を理解しても、それを自分の物として、受け入れられるのは、すぐにはできませんでした。何を聞いたら良いのか分からず、黙って話を聞きました。

「これ以上浮腫が酷くなると、胎児水腫と言って心臓にまで水が溜まってしまう可能性もあって、その時はもうどうする事も出来ません。妊娠を継続して、産まれる事が出来る可能性と言うのも、10%くらいしかないので、産まれて来てくれると言う事の方がかなり難しいと思います」

「明日にでも、もっと大きな病院に行って下さい。どちらにしても、ここで産むことは出来ないし、羊水検査をするにも入院して見てもらえる病院でないと行けないので」

 先生の具体的な話で、やっと我に帰って、次の事を考えないといけない事に気が付きました。

「明日は、仕事なのですが、休みを取って行かなくては行けませんか?明後日に行くと言うのでは、遅いのですか?早く病院に行けば何か変わる事や処置は出来たりするのですか?」仕事は、全然休める状況です。自分でなんでこんな質問をしているのか、分かりません。

 でも、ここからは不思議と冷静に話が出来たのです。

 先生からの答えは→受診を早めても、出来る事があるわけではないが、できるだけ早めの受診を勧めます。

 安静にする必要はあるのか、運動制限は?入院は?→胎児側に染色体異常や何らかの問題がある可能性が高いので、何をしようが変わらない。切迫早産のケースとは全然違う。

 出生前検診というのは、種類が色々あるが、何を選択する事が出来るのか?→病院によって、実施している検査は違うが、検査にはリスクが伴い入院しなければ行えない。実施できる時期もそれぞれ違うので、向こうの病院で確認して欲しいとの事

 この浮腫は引くことはあるのか、もっと酷くなることはあるのか→もし、原因が染色体や心疾患などにある場合は、浮腫が引いたとしても、その根本を改善できるわけではないので、妊娠継続・出産が難しい事に変わりはないとの事

 そして、私が住んでいる地域では1番大きな病院に紹介状をもらって行く事になったのです。会計を待っている時、気を抜くと涙が出て止まらなくなりそうでした。

 ここで、一旦泣いてしまと、大声でないてしまいそうで、周りの妊婦さんを見る事もできず、ジッと下を向いて涙を堪えていました。

会計の時に、事務の人が、分娩の予約の件なんですが、一時金として入金して頂かなくてはいけなくて、、、、等と説明しだしたのです。

 「私、この病院で産めるんですか?産めるなら産むんですか、確認してもらえませんか?」

 もう、誰か私を殴り付けて欲しい、このまま誰かナイフかなんかで切りつけて欲しいと言う衝動にかられました。いっそ、身体を切られた方がましだな。そんな気分、、

 刺された心は、ジンジンと痛み身体が熱くなっていました。

 私と事務の人のやり取りに気が付いた看護師さんが、慌てて走ってきて、事務の人を追いやり、謝罪して紹介状をくれました。

 もう、何かを言う事もできず、紹介状を受け取り、病院を後にしました。

 

 外に出ると、氷のような冷たい雨が降っていました。1月の寒い雨の降る夜、ほとんど誰も歩いていません。

 泣くまいと我慢していた心がスルスルと解けていくように涙が出てきました。雨の音と傘が、私の涙を隠してくれて、ますます大きな声で泣いていました。こんなに、声を上げて泣くのは、かれこれ30年ぶりぐらいでしょうか。

 家で待つ長男は、最近様子のおかしい母に不安を感じている様だったので、家では泣く事ができなかったので、外で人目を気にせず泣けるって言う事は有り難い事でした。

 寒くて、雨が降ってて、暗い夜だった事が本当に良かった。こんな天気に救われる事があっただろうか、冷たい雨が優しい味方になってくれていました。

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