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大河「いだてん」の分析 【第18話の感想】 悲しき亡霊、愛の夢

1916年のベルリンオリンピックが中止となり、1920年のアントワープオリンピックまでのあいだの金栗四三の物語。歴史のはざまの回で、四三は日本中を走り回る。

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第18話のあらすじ
駅伝の盛り上がりとともに、四三(中村勘九郎)の妻・スヤ(綾瀬はるか)が懐妊する。イギリス留学から帰国した二階堂トクヨ(寺島しのぶ)が、女性が自由に体を動かせるチュニックと「ダンス」を持ち帰り、身重のスヤやシマ(杉咲 花)が目を輝かせる。そのころ、長旅から東京に帰ってきた孝蔵(森山未來)は、美川(勝地 涼)と小梅(橋本 愛)の起こしたトラブルに巻き込まれて散々な状況。腐りそうな孝蔵を、いつか日本一の噺家になるからと親友・清さん(峯田和伸)が激励する。そんな折、治五郎(役所広司)にフランスからニュースが飛び込む。

1、協賛も観客も集められる“超有名人の四三”

第17話では、駅伝の原型である『東海道五十三次マラソン』で京都から東京上野までのたすきつなぎを成功させた四三。第18話ではそれが加速し、日本中をかけめぐる長距離マラソンに挑戦している。

調べたら、どうやらあの日本全国津々浦々マラソンにはスポンサーがついている。ただ趣味で走ってるだけではなくて、この時期の四三は、日本マラソン界の発展のために、マラソンの認知やファンの育成やランナーの増加のために日本全国を走っている。テレビというマスコミがないので、直接、日本中を走るのが一番の宣伝になるのだろう。

協賛についているのは新聞社が中心で、スポンサーになりながら連日の報道記事づくりも兼ねている。四三が泊まる宿も、新聞社の支社などを借りたりしていたようだ。どこの町にいっても沿道を人が埋めるほどの応援だったようで、新聞社も部数が出たことだろう。

つまりこの時期には金栗四三はすっかり相当の有名人で“人が集められるタレント”でありながら、“協賛が集められるメディア”でもあったようだ。

四三が日本人初のオリンピアンであったというのは四三の宣伝価値に大きな影響はあったとは思うが、1912年のオリンピックからすでに7年もたっても依然人気があったのは、それだけではなしえなかったはずだ。
四三自らが働きかけて全国中で積極的に催してきたこれらのイベント開催や、1916年に執筆した書籍『ランニング』などの文筆業にも仕事を広げたことによる人気や知名度の向上が大きかったはずだ。

これは師匠の“嘉納治五郎ゆずり”の行動力だ。

2、愛の夢、悲しきすれ違い

それにしても積極的すぎるし、猪突猛進すぎる。まったく休みをとらず走り続けているし、病的である。スッスッハッハッばかりいってる。
1916年のベルリンオリンピックまでという約束だったのに、教員になり駅伝大会を牽引したあとも、変わらず走り続けている。冷静に見ていると、異常だ。何かに追われるように盲目に走っている。

それが “どういう心情によるものなのか”というのが、今回少し垣間見えた気もする。
日記にヒントがある。
第18話のタイトルは『愛の夢』であるが、
そのタイトルの理由もこの日記の文面からくるものだろう。全文転載しよう。

二月七日
スヤの夢ば見る。やはりオリンピックは開かれたのだ。俺は金メダルを獲り、その祝勝会か何かだろうか、嘉納先生をはじめとする体協の先生方、野口君たち高師の皆が集う。心より感謝の意を述べる。
そして最後にスヤへ感謝の言葉ば述べる。
スヤは人形のような、西洋のドレスば着て、音も立てずスススと近づいた。
我、晴れてスヤをみんなに紹介し、大いに祝福を受ける。
目が覚めて思う。この夢をいつか叶えん。
スヤと、産まれて来る子の為に。
スヤの励ましと支援に応えるに金メダルほど相応しきもの無し。スヤは要らんと言うが、何としても金メダルを獲らねば、スヤの苦労が報われん。

結局のところ、やはり四三は、“吹っ切れていない”のである。永遠にベルリンを後悔している。走っても走っても達成感がない。到達点がない。だからさらに走る。

スヤに見せてやりたかった景色がある。
なのに“見せてやれなかった”。

まだ“見せてやりたい”と思っているし、それを“見せてやる”までは“スヤの夫と名乗る権利がない”とさえ感じている。だから休まず走る。

悲しきすれ違いだ。
誤解である。
スヤはただ、そばにいて欲しいだけなのに。
中止になったオリンピックは、こうまでも選手に亡霊のようにつきまとう。
四三はいつになれば、この亡霊から解放されるのだろうか(きっと、1967年だろう)

(おわり)

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