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ドラマ「コタキ兄弟と四苦八苦」は宗教的な“自白と許し”の物語か。【第2話までの感想と分析】

変なドラマだ。“ふたりの中年おじさんが主役”なだけでも変だし、しかも刑事でも医者でも教師でもない。ただの無職のおじさんたちだ。兄が一路(いちろう)で、弟が二路(じろう)のコタキ兄弟が主人公。

このドラマには「四苦八苦」というテーマが各話に設定されているのも、変なところだ。第1話には「怨憎会苦」、第2話には「求不得苦」というサブタイトルがつけられていた。
「四苦八苦」というのは、仏教界の言葉で “苦しみの分類”のことである。ぜんぶで8つある。羅列しよう。

1.「生苦」生まれること
2.「老苦」老いていくこと
3.「病苦」病気の痛みや苦しみに悩まされること
4.「死苦」死への恐怖
5.「愛別離苦(あいべつりく)」
 愛する者と別離すること
6.「怨憎会苦(おんぞうえく)」
 怨み憎んでいる者に会うこと
7.「求不得苦(ぐふとくく)」
 求める物が得られないこと
8.「五蘊盛苦(ごうんじょうく)」
 人間の肉体と精神が思うがままにならないこと

これら8つのうち「怨憎会苦」と「求不得苦」がすでに描かれたというわけだ。このドラマは全12話だそうだから、これにさらに4つの苦しみが足されて描かれるのだろう。

そうなると、“生死”に関わる苦しみが多くなりそうだ。
「死苦」とか「病苦」とか「愛別離苦」とか。
いまのところはのんびりとした空気感もあるドラマに仕立てられているが、回が進むにつれ、もっと生死の問題がはいりこんできて、暗く重いドラマになっていくのだろうか。コタキ兄弟たち自身の身にも、病気や死の苦しみがやってくるのだろうか。

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とはいえここまでの話しでいうと、第1話は「離婚」で第2話は「結婚」それに「妊娠」というイベントが描かれた。ただしそれらはぜんぶ赤の他人たちのイベントだ。他人たちの “大きなライフステージの変化”や“新しい命の誕生”を見届けるコタキ兄弟たち、という構造。一路と二路は、このように“客観的にいろんな人間たちの四苦八苦”を「観察する役目」をこれからも担うということかもしれない。
そして第1話と2話からは、一路と二路がそれぞれ、繰り返し同じ行動様式をとっていたことがわかる。

兄は、“過ち”を指摘し、自白を求める。
弟は、“過ち”を許し、逃亡を薦める。

両話ともそうだった。
どちらの導きが正しかったとは示されはしないが、兄弟によっていつも“ふたつの選択肢”が示される。右の箱か、左の箱か。

第1話では「文書偽造はいけない、話し合うべきだ」という“自白”と、「サインをしてあげるから早く役所へ行きなさい」という“許し”。
第2話でも「参列者のレンタルなどせずご両親にきちんと真実を伝えるべき」という“自白”と、「すごくいい結婚式だった!」という“許し”。

“そのあとどうなったか”という後日談が、このドラマではどうやら描かれないようだ。
第2話の中で、第1話の離婚はうまくいったのかと尋ねるシーンがあるが謎の男ムラタ(宮藤官九郎)によってこう返答される。「我々から尋ねることはできません、もしあちら側から話したいという相談があった場合は別ですけど」。

それはとても宗教的である。

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“自白”ではなく“許し”を選んだ各話の登場人物たちが、“幸せになれたか”はわからない。
彼女たちがどうなったか、それは視聴者それぞれの考え方と想像力にゆだねられる。

人間は「四苦八苦」からは逃れられないし、必ずその8つの苦しみは、多かれ少なかれ人生のどこかで降りかかる。
そんな時、苦しみの中、2つの選択肢が示される。“自白”か“許し”か。あなたなら、どちらを選びとるか。

コタキ兄弟とは、どうやらそういうドラマのようだ。

(おわり)

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