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大河「いだてん」の分析【第36話の感想】 前畑秀子がすべての日本人に贈った“3分3秒6の奇跡”

いだてん全話ブログです。今回は第36話「前畑がんばれ」の感想と分析を書きとめます。

〜第36話のあらすじ〜
ロサンゼルスオリンピックの雪辱を期す前畑秀子(上白石萌歌)は、経験したことのないプレッシャーと闘う。日本国中から必勝を期待する電報がベルリンに押し寄せ前畑を追い詰める。レースを目前にアナウンサーの河西三省(トータス松本)が体調を崩すが、田畑(阿部サダヲ)は前畑勝利を実況すると約束した河西の降板を断固拒否する。そして迎える決勝。ヒトラーも観戦する会場に響くドイツ代表への大声援。オリンピック史に残る大一番が始まる──。

1、暗いニュースの“板挟み”

少し振り返るが、前回大会の1932年ロサンゼルスオリンピックの期間中、水泳監督の前澤に「まーちゃん、なぜそんなにメダルにこだわるのか」と問われて田畑は「笑うなよ」と前置きしたあと、「日本中を明るくしたいんだ」「最近日本では暗いニュースがあふれているから」と告白した。

それから4年が経ち、1936年のベルリンオリンピックの頃には、この“暗いニュースが日本中にあふれている”は、実は、悪化の一途を辿っている。
1960年代の志ん生も、カケてる高座をサゲずに途中で降りてしまってこうつぶやくシーンがある。「ダメだあの時代の話しは。笑いになんねえや」と。そういう時代。

大河ドラマいだてんでも、ここ数話、その“暗いニュース”の側面が描かれてきた。
満州事変。五一五事件、犬養毅の死。国際連盟脱退。満州国建国。ヒトラー政権の誕生。ファシズムの台頭。二二六事件、高橋是清の死。東京の戒厳令。ユダヤ人問題。朝鮮人の日本代表。1940年開催国投票でIOC中国代表の王正延。そして今回の第36話の終盤では、盧溝橋事件と日中戦争勃発が描かれた。

ベルリンオリンピックは、“暗いニュースと暗いニュースの板挟み”にされた大会なのである。


2、“物語”を纏う、1936年の前畑秀子

そんな中、前畑秀子は、一心不乱に金メダルだけを追い求めている。

猛特訓につぐ猛特訓。水泳だけに人生のすべてをささげてきた。
日本中からたくさんの応援の電報がベルリンにまで届き、とてつもない“国民の期待”の重圧をその小さな胸にひとりで抱え、夜も何日も眠れず、発狂して逃げ出してしまいたいほどの苦しみに耐えている。

そんな前畑を救うのは、夢枕に立つ亡くなった両親だ。
シベリア鉄道の三等車に乗ってはるばる応援に来たのだという。母親が言う「秀子が生まれてきてくれてほんとうれしかったのよ」、父親が言う「明日はみんなで泳ぐんや」、そして両親が言う「日本人みんなでや」「秀子、がんばれ」そういって手を握ってくれる。

普通なら、“死んだ両親の幽霊が応援にくる”だなんて、それほど非現実でチープなシーンはないなと思いそうだけれど、不思議と“前畑だからこそ”というべきか、とてもほほえましくこのシーンを視聴することができたし、幽霊の両親から言葉をかけられて彼女が救われることも、スッと自然に受けとめられた。

前畑は、まだ幼くて、純粋で、水泳しか知らなくて、田舎者で、知り合いも友人も少ない。
気がついたらいつのまにかもてはやされていただけで、状況もまともには理解できていない。

前畑は、ただ、みんなが「金メダル」を求めているから、とりたい。
前回大会で「金メダル」を取り逃してとてもくやしいから、とりたい。
それだけなのだ。悩み事はそれだけ。

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彼女の口からは、世界を覆う“暗いニュース”に対する悩みも、見解も、課題感も、何一つでてはこない。もしかしたら世界情勢など認識もしていないのかもしれない。
純粋に、ただ純粋に、オリンピックの金メダルだけを望む、純朴な天使。

きっとその彼女の性質が、彼女の言動や態度からも漏れ出ていたのだろう。1932年から1936年にかけて、前畑は日本国民から愛されていたのだと思う。
潔白で、健気で、真面目で、おしとやか。それでいて、意志は固くて、芯は強く、根気があって。

まだメディアが発達していないから、国民たちが“動く前畑”を見る機会はそうなかったのだろうとは思うが、いろいろなメディアがいろいろな前畑の表情を伝えてきた4年間だったのだろうと想像できる。

前畑は、どの選手よりも“物語”を纏っていた。
それは苦節4年の物語。悲願のベルリン。
早くに両親を亡くし、毎日2万キロの寝食忘れた猛特訓に明け暮れる日々。
そしてその物語がこの4年で国民全体の隅々にまで知れわたり、「がんばれ前畑」が生まれた。


3、決勝。そして、前畑の願い。

そして決勝。

前畑が号砲一発、スタートしてからゴールするまで、わずか3分3秒6。
この3分3秒6のあいだに、いくつもの場所での、いくつもの応援シーンが映された。

東京銀座、朝日新聞社本社の、新聞記者たちと、水泳日本代表OBの高石や鶴田たち。
大塚、足袋のハリマヤ。初代オリンピアンの金栗四三と、ハリマヤの仲間たち。弟子のコマツに、シマちゃんの娘のりくちゃん、車夫の清さんに妻のお梅も。
東京市の会議室、前市長の永田に、現市長の牛塚、それに多くの役人たち。
ベルリンの試合会場では、水泳日本代表の仲間たち。
そして放送席。アナウンサーの河西の絶叫。そして田畑。

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たくさんの「がんばれ」が矢継ぎ早に代わるがわる画面に映し出されたが、これらはほんの代表的な「がんばれ」だ。日本中が「前畑がんばれ!」と声をあげたという象徴だ。
きっと、政治家も、兵隊も。都会の住む人も、田舎に住む人も。若者も、老人も。すべて。
がんばれ、がんばれ、がんばれ。
「明日はみんなで泳ぐんや」と両親はほほえんで言った。それはもちろん、前畑秀子の心の声だ。前畑秀子の“願い”だ。

1936年──。このわずか3分3秒6のあいだだけ、日本人は“暗いニュース”を忘れることができたのだ。

前畑秀子が日本にもたらしたのは、メダル以上に、日本中の明るい笑顔だった。
それはまるで“台風の目”のように。

(おわり)
※他の回の感想分析はこちら↓


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