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大河「いだてん」の分析 【第22話】 ヴィーナスの素足、浅草の魔物

女学校編。今週は女性たちの物語。それと、浅草には魔物が住んでいるという見解を書きました。

〜あらすじ〜
東京府立第二高等女学校では、四三(中村勘九郎)の熱血指導によって女学生たちがスポーツに打ち込んでいた。教え子の富江(黒島結菜)たちは全国的なスポーツアイドルとなるが、その前に日本女性離れした見事な体格の人見絹枝(菅原小春)が立ちはだかる。四三の指導を手伝うシマ(杉咲 花)も大きな悩みを抱え、それをスヤ(綾瀬はるか)に打ち明ける。一方、真打昇進を果たしてもすさんだ生活を送る孝蔵(森山未來)には見合い話が舞い込む。

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1、“ふくらはぎ”が見えた程度で。

「女性が運動をする」ということが社会浸透していない時代に、金栗四三は“女子スポーツ”を盛り上げようと取り組んでいる。

難しいのは、大正時代には根幹的に“女性はおしとやかに”という文化背景があることである。
今回は女学生の村田富江が、短距離走を走る際に(靴のサイズがうまく合わずに調整しようとして) 靴下を脱ぎすてて素足になり、走ってみせたことに批判が殺到。新聞沙汰にまでなる。ヌードになったわけでも、太ももを出したわけでもない。ひざから下を出しただけだというのに、だ。
「素足なんて出して走ったらお嫁にいけなくなる」といった考え方がある時代なので、カメラマンたちが群がってバシャバシャ撮影した。(ある意味では平和な時代だともいえる。)

この事件を受けて、女学生の父親たちが学校に乗り込んできたり、新聞の世論にも叩かれながら、それでも四三は「男も女も関係なくスポーツを楽しめる風習をつくるべきだ」「性別を問わず国際的に活躍できるスポーツ選手を育成するべきだ」「性差別していると国際化の波に日本は乗り遅れるいっぽうだ」と熱く説得を試みる。
女学生たちはそんな四三を慕い、退職に追いやられそうな金栗先生をかばうべく、教室に立てこもりストライキを起こしたりもする。

ここではスポーツで語られているが、これは現代にも続く“女性機会均等”の課題である。
ダイバシティとも呼べる。安倍内閣も推進している。

2、浅草に渦巻く明治大正の女性観

今回のいだてんの演出では、
こういった女性に対する偏見や文化背景を“浅草という土地”に一手に背負わせることで、土着的な明治大正文化を象徴的に描いてみせた。

浅草という土地には“旧態然とした女性像”の物差しが強く残る。

まず、孝蔵による“新妻への態度”
浅草にあるナメクジ長屋の孝蔵宅。小梅の仲介で結婚することになった孝蔵(のちの志ん生)。
金を握って、今日はモートル(博打打ち)に、明日はチョーマイ(遊郭遊び)にと家に帰ってこない孝蔵。おりんは落語の稽古にでも出掛けてるんだと誤解している。

村田富江の父親も“浅草から”やってくる。
いだてんホームページの登場人物紹介にはこうある。

浅草の開業医で、昔気質の頑固者。「女性はおしとやかに育ち、良家に嫁ぐことが幸せ」と信じている。

極めつけは、美川だ。
美川は浅草の裏路地で、密売のブロマイド写真を売っている。
小梅に「達者でね」と送られたはずなのに、浅草から離れずに日陰に住みついてしまっている。暗闇に潜む魔物のように、息を潜めて。
夏目漱石にしても、竹久夢二にしても、あんなに先駆的なものに飛びついてきた美川なのに。(ああ、村田富江の素足も先駆的なのかもしれない)


四三の通う山の手の女学校では“強い女性たちが登場しようとしている”のと対照的な位置付けとして、浅草が描かれた。

浅草には過去からのこびりついた慣例が渦を巻いており、“あまり良くないエネルギー”が溜まりはじめている。飽和点が近づいている。旧態文化がくずれさり、その上に新しい道路が敷かれる時が訪れようとしているのが予感できる。
来週のタイトルは『大地』だという。そう、震災が近づいているのである。

3、1960年代の女性像

1960年代。志ん生の活躍する“昭和の世界”のほうでは、志ん生の妻のおりんと、娘の美津子に、五りんの彼女の知恵、3人の女たちがお茶の間に集まってテレビを見ている。
元気に話し、イキイキとした自立した女性たち。
大正と昭和という時代の変化、たった50年のあいだにでも、ずいぶんと女性像は移り変わっていることがここで示唆される。

1964年の東京オリンピックでは、
日本選手は「男子294人に対して女子は61人」だったという。四三たちの努力は50年をかけてそこまでに至る。運動さえさせてもらえていなかったのに。

1964年東京大会は、実施163種目のうち男女の区別がない馬術6種目をのぞくと、男子126種目に対して女子31種目。4分の1しかなかったのだ。おのずと出場選手数にも差がでる。日本は男子294人に対して女子は61人だった。
女子種目は少しずつ増えていったが、すべての競技に女子種目が採用されたのは2012年ロンドン大会からである。

下記は2017年の記事にはなるが、
2020年のオリンピックではついに『女性選手、過去最高48%』というニュースも。

“ふくらはぎを出しただけでも”社会問題化していた大正時代から約100年、令和の2020年にはついにオリンピックアスリートが男女半々となるのである。

最後に村田富江のかわいい画像を貼っておきます(闇のブロマイド)

(おわり)
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