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【読書感想】日本現代建築史からアフターコロナを考える。(隈研吾「ひとの住処」を読んで)

(2020年5月17日 コロナ自粛の中で書いた書評です)
建築家、隈研吾による新書。執筆時は“コロナ以前”だが、この書には“アフターコロナ”を考えるにあたっての建築界視点からの学びも感じられた。(初版発行2020.02なのでコロナ直前の執筆)
今回はそこのあたりに焦点をあてて感想を書き留める。

1964年の東京オリンピック、1970年の大阪万博、1985年のプラザ合意、という“日本の象徴的な3つの節目”をピックアップして「日本現代建築史の大局を掴もう」という趣旨の書である。隈研吾は今年で66歳になるが、生まれ年の1954年から2020年までの“自分史”とも重ね合わせながら建築史を振り返るのが同書の特徴である。

「分断」と「共存」

隈研吾の自分史として読むと、彼は“境界線の在り方”と共に歩んできた建築家であることが知れる。
「自然」と「建築」との“あいだ”に、「境界線を引くかどうか」もしくは「どう引くか・どう引かないか」が、隈研吾にとっては永遠の関心事なのである。“境界線”について、隈はこう分析する。

西欧において、大地は大地、建築は建築であって、両者は別のカテゴリーに属している。むしろ、両者の対比を表現することが、建築家には求められた。(中略)
建築は、自然という野蛮で乱雑な存在とは対照的な、精妙なる人工的建築物でなければならなかったのである。
しかしアジアの人々は、自然と建築とを、そのように対照的、対比的に考えることはなかった。

自然と建築。この両者を「対比」としてとらえるかとらえないかは、建築家によって、また西欧かアジアかでも考え方が異なる。自然と建築の“あいだ”に、境界線を引くかどうか。この二方向の思想について、当稿では「分断と共存」と名づけることにする。
境界線を引けば「分断」を産むし、境界を無くせば「共存」を産む。
両者に正否はなく、その時々の時代や、それぞれの土地や文化圏による要請によって、建築は、「分断的なもの」が求めれたり「共存的なもの」が求められたりを繰り返してきたことが語られる。
「分断的なもの」の代表格として、たとえばザハ・ハディッドの名前が挙げられる。東京オリンピック2020のメイン会場、国立競技場の一次コンペを勝ち取ったがのちに撤回された悲劇の“アンビルドの女王”。

白いユニークな形態が、既存のくすんだ街並みの中から浮かび上がり、光り輝く特別な物体(オブジェクト)が突如出現したように見える。審査員たちは一目見ただけで、彼女の案に圧倒され、票を投じる。
僕は逆に、そのくすんだ街並みの方が大好きで、そこに僕の建築を溶け込ませようとする。(中略)ザハの方法は、形態の作り方においても、材料の使い方においても、僕の方法の対極にあると感じていた。

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(画像:ザハの代表作のひとつ。北京・望京SOHO)

ここでも隈に“対極にある”と指摘された二方向性は、過去には「弥生対縄文論争」という形でも議論がなされたという。

丹下の戦後デビュー作となった広島平和記念資料館は、その論争で、弥生的なものとして批判された。確かに広島平和記念資料館の床は、弥生時代の住居のように、大地から浮いており、大地とは切り離されている。弥生的伝統は、その後の平安時代の寝殿造りへと受け継がれる、貴族的で、非民族的なものとして、批判の対象となったのである。(中略)
かわりに称揚されたのは、縄文文化の力強さであった。縄文土器の理性を超えた力強さの中にこそ、日本を再生させるエネルギーがひそんでおり、縄文こそが民衆的なものであると、アーティストの岡本太郎は主張して、丹下に代表されるモダニズム建築を批判した。

つまり「分断と共存」という言葉をつかって再整理すると、弥生式の「モダニズム建築・丹下健三・広島平和記念資料館」は“分断”を、対して、民衆的で力強い縄文式こそは“共存”を、それぞれ象徴している。

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(画像:丹下健三作広島平和記念資料館)

隈研吾の原体験

それでは「共存的なもの」とは何か
隈研吾自身は、最先端でファッショナブルな「分断的なもの」にも興味を持ち観察も続けてきたものの、自分自身の理想は「共存的なもの」にあると考えていた。その思想の根源には、自分が幼い頃に生まれ育った「里山」や、学生時代にフィールドワークで体験した「アフリカの民族集落」のからの影響があると語る。

サハラの集落は、その場所の土を水で練り、太陽で干して固めた日干しレンガで作られているので、風景にしっかり同化している。だから、赤い土の塊として、車の前方に出現するのである。僕にとって、人工と自然との中間のようなサバンナの集落は、多くのヒントをくれる。人工物を自然と対比させるのではなく、どこまで自然に近づけられるかが、僕の建築の理想である。

そのサハラの旅の中でも隈は「コンパウンド」と呼ばれる「離散型住居」に強く興味を惹かれる。

サハラからは、いろいろなことを教わったが、一番面白かったのは、建築の単位が小さいということだった。一軒の家が単位ではなく、小さな小屋が集合して、家という、ゆるいカタマリを作っていた。彼らの家族は基本的に一夫多妻制で、(中略)
夕方になると、どの小屋の前でも、薪をくべて、炊事が始まる。(略)食べるのも外である。(中略)
この生活形態から生まれたコンパウンドという形式の「ゆるい家」は、実にかわいらしく、のどかである。(略)野外での生活、活動が重要だから、小屋と小屋の間にそのための隙間がたくさんあって、全体がパラパラとしていて、すがすがしい。

小さくて、パラパラで、フラットで。それでいてひとつのカタマリでもあるし、風景の中に溶け込んでいる。「共存的なもの」の原型である。

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(画像:コンパウンド)

そして2020年。
それまでの人生経験の集大成として、隈研吾は国立競技場を完成させる。「新しい競技場は、産業資本主義、金融資本主義の“後の時代の象徴”となるべきもの」だと意志をもち、取り組んだ。

僕らが探している新しい「国立」、新しい「国家」は、ひとつの形態によっては決して象徴することのできない、無数の小さく多様な物の集合でなければならない。多様で、バラバラで、ひとつひとつが違う顔を持った、小さな物、小さな個人のゆるやかな集合体でなければならない。細くて小さな材木をかき集めることで、その小さな物たちのやわらかな集合体を作ろうと考えた。現代の「国立」は、小さな物の、水平的で、ヒエラルキーのない集合体でなければならない。丹下が求めた空に届くような垂直性ではなく、水平こそが僕らの目標になった。

垂直性ではなく水平。
「共存的なるもの」の魂がここに息づいていることが、感じられる。

アフターコロナと建築

そして、2020年、オリンピックは延期され、人類は唐突に「アフターコロナ時代」へと向かうこととなった。

隈研吾が指摘したように、これまでの時代では「分断的なもの」と「共存的なもの」とが、交互に、その時その時の時代の要請に合わせて建築されてきた。しかし、これからの「アフターコロナ時代」とは、“分断と共存”、その両面が、“同時”に求められる時代がきたといえるのではないだろうか。二律背反だった概念が“同時”に要請されてしまうような新たな時代。

しかし、そのヒントはこの書籍にも込められている。
物理的でフィジカルな距離感をつくりだす洗練された“分断”と、人間らしく土着的であたたかみにあふれた“共存”とが、両立された建築。
モダニズムの洗練さとアフリカ集落の暖かさとを融合したような“住処”。

現代人の僕らにとっては初体験の感染症エマージェンシーかもしれないが、人類の長い歴史の中には、何度も乗り越えてきた感染症時代からの経験が蓄積されている。“ひとの住処”には、歴史の知恵がつまっているのである。

(おわり)


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