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【美術館やアートの楽しみ方】 #05 写真は“言葉で書きあらわせないもの”を映す力がある (石川直樹写真展を題材に)

今回は「写真展の見方・楽しみ方」という題材でまとめます。
ひさしぶりに写真展『石川直樹 この星の光の地図を写す』(2019.01.12-03.24 東京オペラシティアートギャラリー)に行ってきて感じたことを材料に「写真展の楽しみ方」を書きます。

1、写真は“身近”で気軽に鑑賞できる

現代人のぼくらにとって、写真展が比較的身近な(はずな)のは「普段から写真に触れ慣れている」ということだと思う。ここは絵画と一番違う点だ。

絵画は普段の生活で触れる機会が少ないので、絵画展にいくと「ふむふむ、なるほど」などと小難しく鑑賞しないといけない気になるかもしれないが、写真展はもっと気軽なはずだ。インスタグラムやツイッターに友人やタレントが載せた画像を見るように、それと同じように、写真家の撮影した“生活の断面”をとりあえず鑑賞すればいい。
それくらいの気持ちで臨めば、写真展は、絵画展よりもずっと身近になるはずだ。

今回、写真展を見ていて思ったのは、絵画はたとえ風景画だとしても、画家本人が筆ですべてを描くので、その構図や世界観は作者が自由自在に表現することができる。つまり必要とあらば、実際よりも大きく描くこともありえるし、明るい色にすることもありえる。そこにない建造物を書き加えられるし、タイムスリップして10年前の風景を加えることもできる。画風がどんなにリアリズムで実写的だとしても、その風景は“作者の創作物”だからだ。絵画とはそういうものだ。

でも写真は、“そこに無い物は撮れない”。
絶対に撮れない。
存在しているものしか撮れない。
すごく当たり前の事だけれど、この点は絵画と“決定的に違うな”と今回の写真展を通じて再認識をしたのだった。

2、1日あたり64,800シーンから“何を選びとる”か?

石川直樹は、写真家であり冒険家である。
“日本人が誰も見たことのない風景”を切り取り、提供してみせる。
何日もかけて登った先の雪山。ジャングルをいくつも抜けて辿り着く洞窟の壁画。南極や北極。「こんな風景が世界のどこかにあるんだ」。まず、一番はじめにシンプルに目を奪われるのはそのことだ。一般人が撮れる風景とは根幹から異なる。

しかし、「誰も撮ったことのない風景」に行くだけが写真家の仕事なら、写真家は全員冒険家にならなくてはいけない。ただの秘境の旅の記録であれば探検隊に任せればいい。

写真は、正直、カメラがあれば誰にでも撮れることは撮れる。
写真家と一般人を分かつ、一番大きな違いは “何を選ぶか”だと思う。

日常生活の中でぼくらの“目に映る風景”というのは、1秒に1シーンだと換算したら、たった1時間のあいだに3,600シーンをも目にしている。1日あたりだと、18時間換算で6万4,800シーン。
その膨大なシーンの中から「今だ!」という瞬間を切り出す。
見る角度によっても撮れるパターンは増えるから、掛け算すると数十万シーン、数百万シーンの中から「今だ!」という瞬間を切りとる作業が写真家の仕事と言える。

画家には画家の技術があるように、写真家にも写真家の技術があり、構図の作り方やシャッター速度や露出など専門的なテクニックはあるが、結局のところ、写真家の才能は「何を選ぶか、何を切りとるか」だと思う。

それが偶然、石川直樹にとっては、未踏の雪山だったりするだけなのだ。

3、“言葉が追いつかないもの”を写真で残す

2019年のオペラシティアートギャラリーでの写真展に際して、石川直樹は作家でタレントのいとうせいこうと対談をしている。その記事からいくつか象徴的なやりとりを抜粋する。

まず、「今だ!」の“選び方”について。石川直樹は、“言葉が追いつかないもの」を残すことこそ、写真のチカラだと言う。

いとう:撮りたいのは言葉や文脈では必ずしもないしね。例えば、クジラを写していたとしても、それは「クジラと出会った」「なんでこの湾にクジラがいる?」っていう経験や主観をこそとらえている。
石川:まさにそうです。ぼくの写真は固有名詞を現したものではないですし。たとえば、向こうから弓矢が飛んできたとして、弓矢を弓矢として撮ったら、弓矢の説明になっちゃう。そうじゃなくて「何かが飛んで来たぞ」ってところで撮りたい。言葉が追いつかないところ。言葉が意味になる前のものを撮りたいんです。
いとう:今の表現は、石川くんの写真を説明する最良の言葉かもしれない。だとすると、素早く写さないといけないね。

作家と写真家が対話をするから、“言葉”と“写真”の違いが語られる。“言葉では書きあらわせないものを写真は残すチカラ”がある

石川:例えば猫の写真があったとして、そこに「おなかをすかせて彷徨っている猫」ってキャプションを入れたら、もうそれにしか見えない。でも別にそうじゃないかもしれない
石川:写真の情報量と比べると、文章はどんなに文字数を尽くして描写してもこぼれ落ちるものが膨大にあると思っています。文字にしてみたら単なる海に浮かんだ氷でしかないけれど、その複雑な色を言葉で表現するのはすごく難しい

これも“写真の説得力”だ。写真は限りなく現実をそのままハサミで切りとるような芸術だ。編集/加工が少ない。目の前にあるものを、素早く撮る。

ただ、その「今だ!」のシーンを選ぶのは、出会いがしらのラッキーばかりではない。“自らその瞬間に立ち会いにいく”のだ。1ヶ月かけて雪山を踏破するのもそのためである。

石川:会場の最後のほうに仮面の来訪神の写真があったじゃないですか。玄関先で家に入ってくる瞬間を撮りたくてずっと待ってるんですけれど、一発勝負なんですよ。あの人たちは撮影のために止まってくれたりしないし、いきなり出てくるもんだから、ストロボでバシっと撮るしかない。古いフィルムカメラを使っているから連射のような撮影もできないし。でも、その「突然」がなかったり、セットアップで撮っちゃったら、自分にとっては何の意味もないんですよ。
石川:天候待ちとかもほとんどしませんからね。曇っていたら曇った空を撮る。「自分が出会っている世界は今ここなんだ」って思って、出会い頭の瞬間を撮っていく。自分の主観で目の前の世界をねじ曲げたくない。

石川直樹は “突然やってきて説明できない”ような神秘的な出会いに、ワクワクするのだ。
それを、“言葉が意味になる前のもの”と呼ぶ。
石川は、いやすべての写真家は、ここにこだわっている。

以上

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