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大河「いだてん」の分析【第42話の感想】 オリンピックと政治は別物でも、“オリンピックと経済”はどうあるべきか。

いだてんの一話一話の感想と分析を書き留めているブログです。今回は第42話「東京流れ者」についてまとめます。

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〜第42話 あらすじ〜
1961年。3年後のオリンピック開催に向け、開発が進む東京。田畑(阿部サダヲ)は、政府が埼玉県内で進める選手村建設計画を中止させ、競技場に近い都心部に場所を確保しようと奔走する。田畑の意を受けた平沢和重(星野 源)が、代々木の米軍基地を返還するようアメリカに訴えるが、それが大きな波紋を呼ぶ。政府によってオリンピック担当大臣に任命された大物政治家、川島正次郎(浅野忠信)が田畑に忍び寄る。

1、“劇中劇”構造の融解

今回のいだてんで、物語としての見どころを挙げるとすれば、“五りん”こと小松金治が、ついに初めて金栗四三に出会う事、そして、その小松金治がテレビで“オリンピック噺”を語っているのを田畑政治についに“発見”される事だろう。

“金栗四三の物語”と“志ん生の物語”、そしてそこに“田畑政治の物語”。
42話もの長い時間をかけて併走してきた、この「3つの物語」が、小松金治を“ハブ(中継地)”にして、ついにすべて繋がろうとしている。
いだてんを始めからずっと観てきた視聴者たちにとっては大変感慨深い出来事である。

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いだてんの物語構造は、基本的に「劇中劇」構造をしていて、すべての物語は実は正確に言うと、“1960年に志ん生と五りんたちによって語られている落語作品”の中の話しである。
四三も、田畑も、若き日の志ん生も、その“作品内の登場人物”として存在してきた、メタフィクションである。

(※劇中劇とは)

でも、今回の第42話、
大塚のハリマヤの前でサイン会をしていた金栗四三はメタフィクションとしての金栗四三ではなく、語り手と初めて同空間にいる“実在する金栗四三”だし、テレビで五りんを発見した田畑政治もまた同時代を生きている“実存する田畑政治”だ。
つまり、「いつのまにか、劇中劇の登場人物だったはずの人たちが、語り部たちと同じ世界に立って、初めて話しかけてきた」のだ。
難しくとらえれば、今回はそういう分岐点となる回だったと読み解く事もできる。
(特に、岩ちんが、五りんの寄席に乱入してくる描写は、劇中劇の“時空が入り乱れた”ような不思議な感じが演出されていた)

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しかしこの点ついては、これ以上語っても、グルグルとややこしい構造の話しをするだけになるので、今回はこれくらいにしておいて、それとは全然別の出来事にも触れておきたい。
池田勇人だ。

2、池田勇人政権による“経済大国日本への道”

代々木ワシントンハイツの移転費60億円の予算捻出に困った田畑たちは、時の総理大臣、池田勇人に面会へうかがう。

池田勇人。「いだてんの公式サイト」の登場人物紹介のところにはこうある。

大蔵次官を経て政界に転じ、当選1回ながら大蔵大臣に就任。吉田 茂の右腕として頭角を現す。1960年に内閣総理大臣に就任すると「所得倍増計画」を打ち出し、戦後の高度経済成長をけん引する。1964年東京オリンピックを首相として見届ける。

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池田勇人といえば「所得倍増計画」。

自民党のホームページにある「党のあゆみ」には、こう説明されている。

岸内閣時代の新長期経済計画よりさらに長期的展望のもとに、国民総生産を十年間で二倍以上、国民の生活水準を西欧先進国並みに到達させるという経済成長目標を設定し、これによって国民多年の宿願であった完全雇用を達成するだけでなく、国民各層間の所得格差の是正をはかることをめざした、きわめて意欲的なものでした。
さらに(1)減税、(2)社会保障、(3)公共投資を三本柱として経済成長を推進した結果、民間経済の潜在的エネルギーをたくみにひき出して、"世界の奇跡"といわれる高度の経済成長をとげました。
つまり、同計画では、当初の三年間は年率九%の成長を想定していたのに、現実には一〇%以上という予想を上回る大幅な成長をとげ、国民所得は十年間で倍増する想定だったのに、わずか四年余で目標を達成するというめざましい成長だったのです。


他にも、池田内閣の成果として、ダイヤモンド・オンライン掲載の『今、戦後史から知っておきたい 日本を「経済の国」へと変えた男』という記事がわかりやすいので、こちらも引用する。

岸信介が首相を辞任した後、日本は「政治の時代」から、本格的に「経済の時代」へと移行する。
日本はこの時期、“世界の経済大国”としての地位を確立した。そして、そのかなりの部分は、池田勇人の功績だ。
「経済成長をめざす首相なんて、普通じゃないか」――今の僕らはそう思ってしまうが、それは間違いだ。実は池田まで、経済政策を全面に押し出す首相なんて、ほとんどいなかったのだ。
しかし、池田は「日本らしさ=経済」に変えていく青写真を持ち、軍隊のない日本は、政治よりも経済をアイデンティティにすべきという明確なビジョンを持っていた。
その池田が、政策の目玉として打ち出したのが「所得倍増計画」。彼は岸内閣が日米安保という「政治」で討ち死にしたのを目の当たりにし、自身は得意分野の「経済」に活路を見出すことにしたのだ。


日本が「経済」に大きくシフトしていく。
その大きな変化点がこの時代にある。池田勇人がその中心にいる。

池田勇人は自ら繰り返しこう演説したという。
「経済のことはこの池田にお任せください」

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作家の橋本治が、この時代についてわかりやすく表現しているので借用する。
『所得倍増計画という、えげつない名前の政策は"新時代の始まり"だった。
戦後という貧乏を克服し、その後に訪れる"新しい時代"の素晴らしさを語ろうとする時、"月給が倍になる"は、いたって分かりやすい表現だった。
人は、その分かりやすさに魅せられたのだ』

人々は、“経済”に魅せられた。

そして“オリンピック”という機会は、まさにその池田勇人の“経済”によって利用された。

「諸外国から来日するお客様に恥ずかしくない日本を見せたい」というキーワードをスローガンに、国内特需を加速させた。
道路が整備され、首都高速道路が完成、東海道新幹線が開業し、原子力発電にも成功した。

一般家電の“三種の神器”、テレビ・電気洗濯機・電気冷蔵庫の普及も池田政権時代だ。
東京オリンピックの最高瞬間視聴率は85%だったという。これはひとえに急激な“テレビの普及率”をもあらわしている。

こういう背景をふまえて、田畑は今回のいだてんの中で、池田勇人への直談判で「放送局を代々木におけば、経済が進む」とアピールしたのである。

3、オリンピックと“経済との距離感”のあり方とは

過去、嘉納治五郎は「オリンピックと政治は別物」だと口をすっぱく言い続けてきた。死んでからも化けて現れてくるほどに。

ところで、“政治”と“経済”は、一緒くたにとらえて「別物だ」ととらえるべきものなのだろうか。

“政治のあり方”も相当変わった。
嘉納治五郎が活躍した戦前、19世期末から20世期初頭に比べると、状況は一変した。
軍国主義から経済的な資本主義社会へ。
先進国間の戦争は減ったし、日本には軍部もない。ヒトラーもムッソリーニもいない。形式的には「平和」が訪れている。
最も一線をおくべき、“戦争のために利用されるオリンピック”はなくなったのだ。

“経済”というと大げさだが、いだてんではこれまで“たくさんの金策”が描かれてきた。意図的としか言いようがない数である。
嘉納治五郎は生涯、補助金や援助資金や投資支援者の調達に奔走してきた。四三も海外渡航費を捻出するのに養子縁組もした。田畑も、大蔵大臣高橋是清に直談判して特別予算を引っ張りだした。志ん生は、師匠の羽織りさえもあづかったら売っ払って明日の日銭に変えた。

“何かを成し遂げるには、金がいる”。
これはきっと、いだてんが示した教訓のひとつだ。

そして第42話では“経済”が描かれる。

オリンピックは“平和の祭典”であるべきだ。「共産主義、資本主義、先進国、途上国、黒人、白人、黄色人種。ぐちゃぐちゃに混ざり合って、純粋にスポーツだけで勝負する」。それが理想だ。
しかし、それをやるにも“金は必要”。

“オリンピックと経済”のあり方は、政治と経済の区分けをまず整理して、何を取り入れ、何を取り入れぬべきか、考える時がきているのではないか。そういうメッセージを感じとれた。

(おわり)
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