映画「ホフマン物語」と水野英子


初出:図書の家の「この漫画を今日は読もう」/『漫画の手帖』66号 2013.11.20発行

 とうとう9月23日で終わりました京都国際マンガミュージアムの「バレエ・マンガ」展。観に来てくださった皆さま、図録を読んでくださった皆さまもありがとうございました。楽しんでいただけたでしょうか。

 まだバレエ・マンガ展をひっぱるかーと思われる方もおありでしょうが、今回はちょっと横道な話ですのでおつきあいください。

 今回の展覧会では、日本のバレエ・マンガに大きな影響を与えたのは何よりもイギリス映画「赤い靴」(日本公開1950年)だったことをあらためて紹介していたわけですが、その「赤い靴」と同じスタッフが続けて制作したのが「ホフマン物語」(日本公開1952年)です。

 この2本のバレエ&芸術映画を手塚治虫先生が大好きだったことはとても有名で、バレエ・マンガの「ナスビ女王」(1954年)や「あけぼのさん」(1959年)にその影響が見られることは故・米沢嘉博さんが『別冊太陽 子どもの昭和史・少女マンガの世界Ⅰ』でも指摘されていますが、水野英子先生も小学4年生の初夏にお母さんに連れられて映画館で「ホフマン物語」をご覧になり、ものすごい衝撃を受けたそうです。

 それは後年、その映画と原作の小説と歌劇を融合させて翻案した「ホフマン物語」をご自分で描いてしまうほどに(初出:1976年『別冊セブンティーン』/図版1はジュリエッタが表紙の講談社版)。

 映画のどこに惹かれたかというと、コミックスの表紙絵にもなっている第2話のジュリエッタの妖艶な魅力ということなんですが、第1話の可愛らしいモイラ・シアラーの人形オリンピアじゃなくて、黒髪でえらのはったインパクトある顔立ちのジュリエッタが一押しとは。まだ小学生なのにそっちですか水野先生というのはさておき、その水野先生が翻案した作品を先に読み、映画を全く観ないままに今年まで来た私でしたが、展覧会準備中にDVDで初めて目にしたら本当に驚きました。この映画、バレエ要素もそうですが、美術が本当に懲りまくっていて、かつ、なぜか既視感が!!!

 「赤い靴」は2011年にスコセッシ監督がデジタルリマスターしたので、そのカラーの美しさは絶品と知っていましたが、「ホフマン物語」は何が驚きって、「これって、漫画の画面で見たことある!」なんですよ。階段駆け下りるとか舞踏会的な場面や舞台背景は、これを観てみなさん描いていたのでは?と素直に思える素晴らしさです。

 しかしとにかくびっくりしたのがオープニングの蔓草模様の意匠の後ろで踊り子が踊っている場面(図版2)。いや、こういう柄だけ背景に描くとか、額縁みたいに描くというのは普通に絵画でもあったと思うのですが、この映画みたいに手前に柄を持ってきてその向こう側に人物を描くとか、それが何層にも重なってるとか。こういうレイヤー構造の画面って、昔はこの映画からインスピレーションが来ていたのかも!?って。

(図版2)映画「ホフマン物語」の予告編から。

こんな風に、模様の向こうで踊っています。(わかります?)

私が連想したのは、水野先生の例えばこの扉絵(図版3)。

 「星のたてごと」扉/『少女クラブ』1961年10月号。蔓模様の向こうでリンダとユリウスが踊っています。元はカラー。

 10年くらい前、大阪国際児童文学館がまだ千里にあった頃に初めて雑誌で見たんですが、かなり変わってませんかこれ? 

 そしてこの扉絵を見る前に、実は萩尾望都先生の絵で手前に柄、奧に人物を持って来た透かしの構図をとったものを見ており、格好いいなと思っていたらこんな大昔に水野先生がやってたよ、という順で知ったので余計に印象深かったのでした。

 今回、並べて紹介したいと思って「残酷な神が支配する」の扉絵やカットを見直したところ、記憶にあるソレが見あたらない。蔓模様じゃなくてもっと直線的な柄のゲートの後ろにいるジェルミの絵はあるけど(図版4『プチフラワー』1994年1月号予告カット)

 でも、これじゃないような。93年7月号の扉のベッドの飾り枠の後ろにいるジェルミはあまり重なっていないし。

 そして小学館文庫『残酷な神〜』のシリーズのカバー絵(2004年〜05年)が蔓模様と絵を組み合わせたデザインになってますが、見たのはこれだったかなあ?

(図版5『残酷な神が支配する』小学館文庫1巻/蔓模様の後ろにジェルミ)

 いや、驚いたのはきっと最初の予告カットの方で、後に脳内変換して蔓模様になったのかもしれないです。

 萩尾先生についてはこんな風に今もデザイン手法のひとつとして使われているという事例ですが、水野先生は明らかに50年前、映画公開時に近い発表ですから。大事なので何度も言いますけど、こんなレイヤー絵が扉絵ってカッコイイですよ!! そしてこれを許した当時の『少女クラブ』編集部も素敵。

 ちょっと違う方に行ってしまいましたが、もし興味持たれた方がおられたら、マイケル・パウエル監督の「ホフマン物語」、ぜひご覧ください。これって手塚治虫だ〜とか、水野版「ホフマン」のイメージ再現力恐るべし、とか、その水野先生の「ホフマン物語」や「ローヌ・ジュレエの庭」等の幻想的装飾的な画面構成の美しさのイメージのルーツはこの映画の魅力を吸収してさらにパワーアップ表現したものだったんだなとか、同時期に体感できなかった今の私たちでも発見できます(YouTubeで検索すると予告編 The Tales Of Hoffmann Trailer を見ることもできました)。水野先生の「星のたてごと」の扉絵も、デジタル版には収録されているはずなのでカラーで見られると思いますので以前と比べれば容易に遡ることもできる。良い時代ですねほんと。

 話は戻って、バレエ・マンガ展の最後のコーナーでは、水野英子先生と映画『ホフマン物語』の関わりを紹介したケースを作ってもらいました。そこで読めるようにもしていましたが、水野先生が当時の衝撃を語ったエッセイは、ロマンコミック自選全集『水野英子2 ホフマン物語』1978年・主婦の友社刊に収録されています(図版6)。

 水野先生は他にいくつもバレエ・マンガを描いておられますが、厳密にいうとバレエ・マンガとはくくれない「ホフマン物語」が水野先生のバレエを愛する心をより強く現している作品ということでのケース展示でした。ダンサーのルジマトフに捧げた複製原画とともに展示の締め部分を飾ったわけで、60年前から現在までを繋ぐ柱のようなポジションに少女マンガの表現開拓者である水野英子を据えることができたことでも、「バレエ・マンガ」展、本当に素晴らしかったし、意義がありました。この後の巡回実現を希望しております。ご関係各位のみなさま、どうぞよろしくお願いいたします。


※一部補筆改稿しました。

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