『時間はどこから来て、なぜ流れるのか?』を読んで

 Twitterを眺めていると、ブルーバックスの新書が話題になっていた。そのタイトルから、相対論に関わる話であろう。私は大学の物理学の授業で特殊相対論について学んだことがある。そこではローレンツ不変性を実際に確認するなど数式が重視されていた。そのため、どのような現象が起きるかは理解できるが、「時間」という者に対して定性的・感覚的な理解ができないでいた。ブルーバックスであるなら、より定性的に議論をしているだろうと考えて、本を買って読んでみた。

 以下の本を読んだ。

時間はどこから来て、なぜ流れるのか?』(吉田伸夫著)

特殊相対性理論とは

 相対性理論(以下相対論)をアインシュタインが発表したことはとても有名であるが、これが「特殊相対性理論」と「一般相対性理論」に分かれているということはあまり知られていないだろう。もしも専門以外で相対論の説明を受けたことがあるならば、それはおそらく特殊相対論である。

 相対論とは、光速度が一定であるとすると時間の長さは系によって変わってくるという理論である。特殊相対論ではこの系として慣性系を考える。つまり、ある速度である方向に動いているような系である。光速度が、異なる慣性系でも一定である場合、これら異なる系で時間の経過の仕方もまた異なるのである。より具体的(ただし定性的)に書くと、速い速度で動いている系ほど時間の経過が遅くなる。つまり静止しているA君とロケットに乗っているB君とではB君の方が時間経過が遅い。このような効果を物語からとってウラシマ効果と呼ぶ。驚くべき事に、この効果は実際に様々な実験を通して実証されている。

 光速度が一定であるというのは非直感的であるかもしれない。アインシュタインはこれを原理として採用しているが、他の科学者ではマクスウェル方程式を原理として、そのローレンツ不変性から光速度一定を導いている場合がある。この場合、「世界の電磁波はどのような系でもマクスウェル方程式のみで記述されるべき」という教義を認めることになる。マクスウェル方程式から光速度が定数のみで求めることができ、光速度一定を導くことができる。この方が理解しやすい人も多いかもしれない。

 さて、先に述べたように相対論は特殊相対論と一般相対論がある。特殊相対論のどこが「特殊」であるかというと、系を慣性系として考えている点である。一般相対論ではこの系をより一般化して考える。また、重力を相対論的に(正確には加速度を時空で)考えるため宇宙物理の分野に関わってくる。

 以下、相対論は特殊相対論のことを指す。

「時間」の概念を更新する

 相対論に基づくと、それぞれの系で異なる時間の流れ方をしている。これは非常に非直感的である。なぜ容易に理解できないかというと、私たちが直感的に信じている「時間」という概念と、物理的な「時間」の概念が異なっているからである。

 時間というと誰しもに平等に与えられているものを想像するだろう。ある時刻を示す時計があり、これが常に同じ速度で1秒ずつ刻み続けているというイメージがあると思う。実際光速度に対して十分遅い私たちの観測範囲ではこれで全く問題がない。そのため時間は誰しも平等であるといった認知になってしまうのであろう。

 しかし、相対論における時間は違う。時間はある種で空間と同じようなものである。ある原点を設定しない限りある時刻は絶対的なものとして存在しない。またある原点に対して同じ時空位置にある点でも軸の違いによって「時間」は異なってくる。

 例えば簡単のため一次元空間と時間による二次元時空を考える。原点O(空間=0,時間=0)を設定して時空点A(1,1)について考える。原点と同じ慣性系の場合、OAの時間軸成分は(0,1)であるため時間距離は1と求まる。空間距離は1である。
 一方で原点と異なる慣性系で動く場合、これは時間軸を回転させる事にあたる。例えば時間軸が45度傾くと、OAの時間軸成分は(-1,1)となるので時間距離は√2となる。一方で空間軸成分は今まで通り(1,0)なので空間距離は1である。
 したがってこの時、OとAではどの慣性系を取るかによって時刻は等しくとも時間距離が変わってくる。私たちの日常生活では時間軸が傾くほど異なる慣性系を取らないために気づいたいないだけなのである。もちろんかなり精密に計測すると新幹線と徒歩とでも時間距離は変わってくるわけだが。

直感を疑う

 本ではさらに時間と同様に不可逆的なエントロピーについて議論をしたり、パラドックスを議論したりとこの後にも面白い話が続く。詳しい内容は是非この本を読んでほしい。

 この本を通して、相対論以外にも学びがあった。それは「直感を疑う」という事である。しばしば「直感に従え」という言説がある。無意識下で今までの知識や経験が結びついて直感が生じているのだからこれはなかなか侮れないという話である。しかし、もし直感にしたがっていたならば相対論のように非直感的な理論は導けなかっただろう。なぜ直感に反しているか、それは直感が私たちの住むスケールを暗黙の前提としてしまっているからである。

 相対論が効いてくるのは光速に近いような世界での話である。同様に、今回の本には少ししか関わってこなかったが、量子論が効いてくるのも非常にミクロな世界での話である。ともに私たちの住む世界とは全く異なる階層であり、だからこそ私たちの経験に基づく直感が助けてくれず、それどことか邪魔さえしてくる。

 勉強をしている時、研究をしているときに生じる「どうせこうだろうな〜」といった直感が、どのような立場で生まれたものであるのかをしっかりと吟味する必要があると強く再確認できた本であった。

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