【デュエプレ】デュエルマスターズプレイスに何が欠乏しているか

このノートは、現行(2020/01/05)のデュエルマスターズプレイスが、いくらかの問題を抱えるものとして、どのような要素の不足の解消を必要としているかについて考察するものになります。内容については客観性に細心の注意を図って執筆しましたが、何かお気づきのことがございましたらご指摘いただけると幸いです。

1 はじめに

デュエルマスターズプレイス(以降「デュエプレ」)のユーザーレビューが★3を割ってしまった。(2020/01/05現在)

デュエプレレビュー

無題

国民的TCGの電子版として大きな期待を寄せられていた本作、私も期待に胸を膨らませながらリリース当日に直ぐインストールする。

ところが待っていたのは終わらないメンテ地獄。FGOやシノアリスにも及ぶリリース直後のメンテの多さにTwitterでは数々のコラージュ画像が作られ揶揄される。

でも正直、リリース後のメンテナンスは覚悟していた。期待度の大きいタイトルにおいて、アクティブユーザー数を運営側が正確に想定することは難しい。サーバー数は多ければ多いほどサービスの提供は安定するが、増やせばそれだけ赤字のリスクが膨らむジレンマがある。

こうした連続メンテナンスのジレンマは、ファミ通App掲載記事「『シノアリス』リリース当初に発生した“あの連続メンテナンス”の裏で行われていたこととは?【CEDEC2018】」を見ると分かりやすい。

SNSを使用するユーザーによる2次的、3次的な拡散の効果も大きく、アクティブユーザー数が運営の想定をはるかに上回って爆発的に増加数するケースもある。ここ数年では、ソーシャルゲームのリリース直後のサーバーダウンは珍しいことではなくなってきた。リリース直後のゲームのメンテナンスに慣れたユーザーは少なからずいるものと思われる。

こうした背景から、連続メンテナンスに対して悲観的でないユーザーは少なくなかったのではないだろうか?そうした慣れによる反応が、一部ユーザーの《ギガメンテ》の画像用いたコラージュをミームとして楽しむ態度だったのではないか?

(私の体感でしかないが)デュエプレは連続メンテナンスを理由に失速することはなかったように思う。

むしろデュエプレの評価を落とす要因は、メンテナンスが明けて明らかになっていった感がある。

2 デュエルマスターズプレイスの問題点

デュエプレをやっててまず目についたのはUIの悪さだ。

デッキ編集画面でのスワイプの操作感が悪い。手札で残シールド数が隠れる。タップ音が五月蠅い等々…

UIの不味さは長期的にプレイされるゲームにとって致命的だ。

実際自分も、操作感の悪さによるストレスが原因で(デュエプレの前身とされる)"WAR OF BRAINS"から離れてしまった。

逆にゲーム性はともかくとして、UIの洗練されたシャドバ、M:tGAは長く楽しんだ。(シャドバ、M:tGともカードパワーのバランス調整が不安定な時期が続いているだけで、ゲームとしては非常に魅力的なものであることを一応断っておく)

maozonや削除といった良質な邦楽EDMコンポーザをBGMに起用したのは「前身」の"WAR OF BRAINS"と同様の手法だ。つまり逆に言えば、"WAR OF BRAINS"を前身としてそのノウハウを受け継いで制作されるのなら、UIの洗練度合いが"WAR OF BRAINS"と同じ水準に落ち着くことは予測可能だったはずである

3 カードの入手難度はデュエマを牧歌的にしているか?

Appストアのレビューに目を通してみると、ユーザの不満はもっと他の面に向けられている。

それは集金体制だ。

画像14

画像15

かいつまんで言えば、デュエプレのカード単価は実際のデュエマと大差ないか、考えようによってはもっと厳しいものであるということ。そして当然無課金で楽しむことは困難であるということだ。

一方でこの集金体制を擁護する意見もある。

画像16

画像17

つまりレアリティによって使用できるカードプールが制限されることによってかえって、小学生時代のような牧歌的なゲーム体験ができるという意見だ。

これには私も概ね同意で、私もデュエプレには懐かしいデュエマができることを期待していた。

それでは、集金体制に対して批判が集まるのはなぜだろうか?

過激な擁護意見にあるようにプレイヤーたちが過剰にレアカードに固執しているからだろうか?あるいはターゲット以外のプレイヤーがデュエプレに来て、レビュー欄を荒らしてしまっているのだろうか?

もし実際にそうだとして、運営側は何ら落ち度のない被害者なのだろうか?

恐らくそんなことはないだろう。多くのプレイヤーが現行のデュエプレに対して「懐かしいデュエマ」の楽しみを見いだせていない。逆に言えば、運営は想定した(飽くまで運営が「懐かしいデュエマ」体験の提供を目指したものとする)ゲーム体験を提供できていないということである。

その問題の原因は何か?

小学生時代にはどのカードが強いかわからず、すべてのカードを知り尽くす手段がない(あるいは少ない)ために毎回のゲームやパック開封に神秘性があったわけだが、インターネットの普及でカードの評価や情報が速やかに普遍化することとなってしまった。

この状況下で「懐かしいデュエマ」体験は一般的なDTCGの形では得難いものとなっている。

画像18

Photo by Leon Seibert on Unsplash

それに加えて、デュエプレでは他DTCG同様にランクマッチを採用している。単にランクマッチがユーザの自己満足に終始すればいいが、デュエプレではランクマッチのシーズン終了時の報酬が設定されている。

これが元々の集金体制による供給の少なさと相まってプレイヤーに勝利に固執するプレイスタイルを強いることになっている。

一般的なTCG・DTCGでは低レアリティのカードを吟味して使用する「格安」な戦略がしばしば開発され、無課金・微課金プレイヤーたちの支持を繋ぎ留める支柱となっているが、デュエプレではそれができない。

何故なら、デュエプレでは紙のデュエマにて優秀だった低レアリティカードを軒並み高レアリティに設定し直しており、レアリティとカードパワーとが直接結びつく状況になってしまっている。レアリティとカードパワーの関係はそのまま課金額と勝率の関係に置き換えることができる。

結果、デュエプレはアクティブプレイヤー数の確保が必要であり、PSが要求されることを魅力としているDTCGにおいてPay_to_Winのビジネスモデルを敷いてしまったことになる

勿論、小学生時代のデュエマこそ、カードプールへの理解の浅さも相まってまさしくPay_to_Winであったわけだが、そこには資産力によるキャップがあった。

一方デュエプレでは資産力によるキャップは紙媒体でのデュエマほど有効に機能しない。それは単純に対象となるプレイヤー層が小学生よりも高い年齢層であり、課金に対する抵抗感が少ないこともある。というよりむしろコロコロによるコマーシャルなどもあって、多くの小学生プレイヤーを確保したデュエマだからこそ「小学生環境」とでも言うべきカジュアル環境が成立していたのかもしれない。

画像20

Photo by Ibrahim Rifath on Unsplash

もとよりTCGにおいて資産力によるキャップがあてにならないことは、マジック:ザ・ギャザリング黎明期におけるパワー9の失敗が物語っている。

“なお、リチャードは《Ancestral Recall》の強力さを理解していなかったというわけではなかった。彼はサイクルの他のカードがコモンである中これだけをレアに設定し、レアであれば強くても問題ないだろうと考えたのだ。プレイヤーが買うのはせいぜいスターター1個とブースター数パックだろうと思われていたので、レアカードが強くてもゲーム全体を壊すことはないだろうと考えられていた。”(カレー様の以下のノート「マジック:ザ・ギャザリングのゲームデザイン上の発展の歴史(1)」より引用)

そもそも、物理的制約を超えてプレイヤーどうしを引き合わせるDTCGにおいて、プレイヤーはゲーム世界に遍在し、普遍化される。ゲーム外社会においてプレイヤーたちは自身のデッキレシピ、戦績を気楽に共有できる。(ゲーム内資産や戦績において)上澄みのプレイヤーがゲーム外の社会(SNSなど)で普遍化する。ゆえにプレイヤーたちはDTCGそれ自体が持つ競争への圧力に静かに曝されることになる。

こうしたことを考慮すれば、(現行の)デュエプレではカード入手難度が高いがゆえに牧歌的なデュエマを楽しむことができるというのは幻想にすぎないことが分かる。

開発・運営がそもそも牧歌的なデュエマの提供を目指していたか否かに関わらず、集金体制の面でデュエプレは失敗していたと言わざるを得ないのである。

4 ゲームデザイン面の欠乏

先述の通り、デュエプレは様々な要素からプレイヤーにランクマッチでの勝利を目指す競技的なプレイスタイルを要求する。その一方で、現行のデュエプレは十分に競技性を担保できていない実情がある。

マジック:ザ・ギャザリングや遊戯王には、相手のターン中を含むゲーム中のあらゆるタイミングで使用できるカードがあるが、デュエルマスターズにはそのようなカードは存在しない。デュエルマスターズには「起動型能力」もルール上定義されていないため、デュエルマスターズにおいてプレイヤーのPSを反映する要素の最たるものは、必然的に「手札のどのカードを使用するか?」という選択になる。

ところで現行のデュエプレに実装されている呪文カードの多くは、《デーモン・ハンド》や《エナジー・ライト》のように単一のアクションを起こすものになっている。

画像8

画像10

クリーチャーは、そのルールの特性上(攻撃の制限がない限り)シールドを割ることと攻撃によるクリーチャー除去という二つのアクションを起こすことができる。しかし、「召喚酔い」のために速効性は乏しいし、ゲームの特性上クリーチャーの攻撃による除去は諸々の事情からあまり信頼できない。

クリーチャーにはもちろん《キング・ケール》や《ストーム・クロウラー》のように1アクションを起こしながら、盤面に展開することができるものもある。

画像3

しかし、《キング・ケール》のバウンスは多くの場合相手の展開の遅延に終わるし、《ストーム・クロウラー》は手札の調整ができるが本体のブロッカーも併せて次の展開への布石を敷くことしかできない。

そもそも、デュエプレ実装されているクリーチャーの多くが次の展開への布石を敷くことしかできず、相手のアクションへの対処に向かない。これは勿論ゲームバランスとしては望ましいことではあるが、結局クリーチャーを加味してもデュエプレ実装のカードはそれぞれかなり限定的な状況の対処しかできないことになる。

例えば、手札に
《デーモン・ハンド》
《アクア・ガード》
《エナジー・ライト》
《ホーリー・スパーク》
の4枚があったとして、この状況下でプレイヤーは
〈相手クリーチャーの除去〉
〈相手クリーチャー攻撃への事前の対処〉
〈手札の補充〉
〈相手クリーチャーのタップ〉
の4アクションが許されていることになる。
勿論カードを使用していけば、そのアクションは次に同類のカードを引くまで許可されない状態になるわけで、相手の手札とのかみ合いが勝敗に大きく影響することは大いにありうる。

結果、プレイヤーの勝敗に対してデッキトップから何を引けるかが、最善のアクションを起こすことができるかということに密接に関係することになり、デュエプレの競技性は不健全に乱れている。

画像9

画像11

5 何が競技性を補うか

画像4

《陰謀と計略の手》というカードがある。
このカードをテキストの通り解釈するなら、このカードの起こすアクションは「バウンスとハンデスを同時に行うこと」である。
しかし、次のような条件下では、それぞれ別なアクションを期待することができる。
①相手の手札がない: 確定除去
②相手の場にクリーチャーがいない: 無作為抽出のハンデス
また、①の条件を満たしていなくても相手の手札が減っていれば、ある程度信頼できる確率で相手のクリーチャーを墓地に送ることができる。

つまり、《陰謀と計略の手》は4つの機能を持っているが、そのうち3つはテキストに直接書かれてはいない。この後に述べた3つの機能を発見し、時に際して想起して駆使できるかはプレイヤーの器量に依る。

例えば、こちらの手札が《エナジー・ライト》、《デーモン・ハンド》、《陰謀と計略の手》の3枚であり、7マナ使用できる状態であり、
相手が以下のような状況下の場合、
・手札が1枚である
・場に《ボルメテウス・ホワイト・ドラゴン》がいる
《デーモン・ハンド》を使用するか《陰謀と計略の手》と《エナジー・ライト》とを使用するかでプレイヤーは悩むことになるだろう。

画像12

さっきの状況の最適解がどちらであるかはさておき、複数の機能を持つカードが先のような状況を生みゲーム性を深化させることは容易に想像できる。

プレイヤーの選択を複雑にすることは、PSの要求を高めることであり、勝敗が大きく運に依存する状況を幾ばくか改善してくれることは言うまでもない。

したがって、極めて端的な言い方をするならば、現行のデュエプレの競技性の問題は呪文の機能があまりに単純すぎることにあるということになる。

相手のアクションに対して対処できるカードがある程度あることを前提に、「そのうちどのカードから切っていくか」という駆け引きではなく、「対処できるカードが手札にあってそれが使えるか」ということが勝敗に影響するのが現行のデュエプレの競技シーンでしばしば見られる。

6 問答の非対称

現行のデュエプレで流行している〈ボルメテウス・コントロール〉というデッキだが、これは紙の環境ではしばしば「一問一答」式の戦法を取るものが多かった。
つまり、「相手の起こしたアクション(多くは出てきたクリーチャー)に対して手札のカード1枚で対処する。隙をみてカードパワーのあるカードを押し付ける。」を毎ターン繰り返す戦法を取っていたわけだが、これは「インスタントタイミング」(自分のターンのメインフェイズ以外にカードが使用できるタイミング)の存在しないデュエマらしいコントロールの在り方であったといえる。

問題は、デュエプレにおいて適切な「答」の無い「問」が存在することである。

その最たるものが《聖霊王 アルカディアス》とその進化元として採用されることの多い《光輪の聖霊 ピカリエ》だろう。

画像6

画像5

《光輪の聖霊 ピカリエ》はキャントリップによって、除去されてもアドバンテージを損失しない強みがあり、《聖霊王 アルカディアス》は対処するのに有効なカードが現状カードプールに存在しないほぼ無敵の状態にある。《聖霊王 アルカディアス》は呪文による逆転も封殺してしまうため、対処する上では除去を持つクリーチャーが有効牌ということになるが、現状実装されているクリーチャーの中で確定除去を持つのは進化クリーチャーの《魔獣虫 カオス・ワーム》のみである。しかし、《魔獣虫 カオス・ワーム》の進化元は除去に強いわけでも、キャントリップによるアド損のケアもなく、対処力は高いものの決定力に欠けるため積極的に採用したいカードではない。
(実際紙の環境で《魔獣虫 カオス・ワーム》が活躍したのは、「極神編」以降の環境である)

登場した当時は有能な進化元が存在せず、基本セット期には精々《暴食虫グレゴリア・ワーム》と《毒煙虫ポイズン・ワーム》が進化元として使えた程度だが、DM-27でパワー低下のcip能力を持つ《斬撃虫ブレードワーム》、DM-30で墓地回収兼リアニメイト能力を持つ《魔光蟲ヴィルジニア卿》が登場。神化編では他のパラサイトワームの進化も続々登場し、一時期は相対的に強化されていた。

デュエル・マスターズWiki《魔獣虫カオス・ワーム》のページより
(2020/01/07)
https://dm-wiki.net/?%A1%D4%CB%E2%BD%C3%C3%EE%A5%AB%A5%AA%A5%B9%A1%A6%A5%EF%A1%BC%A5%E0%A1%D5

布告除去を持つ非進化クリーチャーなら充実しているものの、《アクア・ハルカス》や進化に使用しなかった《光輪の聖霊 ピカリエ》を身代わりに使用できるためやはり有効牌にならない。

画像7

画像13

勿論、デュエプレにおいて《聖霊王 アルカディアス》デッキを攻略できるデッキは構築できる。例えば、以下の攻略サイトにて《クリスタル・パラディン》が《聖霊王 アルカディアス》の対策カードとして紹介されているように(2020/01/07確認)、リキッド・ピープルを主体としたビートダウンデッキは、《聖霊王 アルカディアス》を使用したデッキを速度によって攻略できることがある。

だとしても単体のカードでアルカディアスを対処することが非常に困難であることには変わりはなく、ゆえに勝敗がデッキどうしのマッチングに依存する状況になっている。

その時々のカードの選択によってある程度勝利を恣意的にすることができないのであれば、やはり競技性が担保されているとは言い難い。勝つために最適なデッキを選択するのももちろんPSの一つだとは思うが、デッキどうしの「すくみ」を覆す手立てが十分にないのであれば、デッキ選択がほとんどそのまま勝敗になってしまう。
それではジャンケンと違いがない。

こうした「問」と「答」に対称性のないカードプールがデュエプレの競技性を貶めている。

ただこの問題はあまり深刻ではなく、エキスパンションによるカードプールの拡充で簡単に解決できる問題でもある。

現行のセットは飽くまで「基本セット」だろうから、あまり時間を空けずに初のエキスパンションをリリースするだろう。《聖霊王 アルカディアス》の場合なら、「自壊のデメリットを持ったCIP確定除去の6コストのクリーチャー」でもリリースすればすぐに健全化することができる。

寧ろ問題なのは、4の項で触れたゲーム中の戦略性の乏しさで、これを解決するために複雑なテキストのカードをリリースするためにはある程度のインフレーションは免れない。しかし、リリース直後のこのタイミングでそれはプレイヤーの心理としても難しいものがある。

個人的にはかなり手詰まり感が否めないように思うが、長らくTCGを開発してきたWotCの奇策で乗り切ることができるかもしれないし、思い切った決断を下すかもしれない。

長らくデュエルマスターズを愛好してきた身としては応援したい一心である。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?