【短編小説】挨拶は大事
「もう仕事には慣れた?」
そう話しかけてくれた先輩へ、肯定の意を込めて頷いて見せる。
ここはとある田舎にある介護福祉施設。
数週間前、都会暮らしに疲れた自分は呑気な暮らしに憧れて全てを投げ出し、現在、山の直ぐ側にある小さな町の古びた介護施設にいた。
入居者はほんの数人ほど。
殆ど空室ばかりのその施設はなんだかプライベートな空間のようで居心地が良い。給料も出ないのに朝早く起きて施設内を巡回し、夜遅くまで受付に座ってぼうっとするのがすっかり日課となりつつある。
「おはようございまーす」
居室のドアを開けながら中へ入ると車椅子に座って窓の外を眺める入居者のおじいさんがいた。
彼は昨日と全く同じ場所で、ぽっかりと口を開けたまま虚ろな瞳で窓の外を見ている。自分が正面に回るとおじいさんは視線だけをこちらに向けた。
「おはようございまーす」
もう一度声を掛けてみるも、おじいさんはぱくぱくと口を動かすばかりで返事は返ってこない。しかしこれが彼のいつも通りなので自分は深く気にすることなく居室を後にした。続いてはお隣のおばあさんの部屋へ入り、寝たきりで動かない彼女に声を掛ける。
「おはようございまーす」
天井を見上げたままのおばあさんの顔を覗き込むと、瞳孔の開いた目がそこにあった。
彼女もいつも通り、異常なしだ。
そうして巡回を終えた自分は受付に戻って椅子に座った。
本日の業務は終了。
◆
「もう仕事には慣れた?」
先輩のその一言でまた業務が始まる。
その言葉に頷きながら、自分はまた受付を出て、施設内の巡回を開始した。
「おはようございまーす」
居室のドアを開けながら中へ入ると車椅子に座って窓の外を眺める入居者のおじいさんがいた。
彼は昨日と全く同じ場所で、ぽっかりと口を開けたまま虚ろな瞳で窓の外を見ている。自分が正面に回るとおじいさんは視線だけをこちらに向けた。
「おはようございまーす」
もう一度声を掛けてみるも、おじいさんはぱくぱくと口を動かすばかりで返事は返ってこない。しかしこれが彼のいつも通りなので自分は深く気にすることなく居室を後にした。続いてはお隣のおばあさんの部屋へ入り、寝たきりで動かない彼女に声を掛ける。
「おはようございまーす」
天井を見上げたままのおばあさんの顔を覗き込むと、瞳孔の開いた目がそこにあった。
彼女もいつも通り、異常なしだ。
そうして巡回を終えた自分は受付に戻って椅子に座った。
本日の業務は終了――かに、思われた。
「えー、ちょっと。思ったより怖くなーい?」
「大丈夫だって! ほら奥の方、見てみようぜ!」
入口からそんな声がして視線を向けると、派手な格好をした若者が四人、男女グループで施設に入ってきていた。先に説明した通りこの介護施設は古く、ボロボロだ。はたから見れば稼働しているようには見えないため時折こうして肝試しにやってくる若者がいる。
しかもその様子が撮影され、SNSで拡散されたとかで以前よりその頻度は増していた。
注意をしようと受付を出て彼らの前に歩み出たけれど、若者たちは自分を無視して勝手に施設内の探索を始める。
「なんか寒ーい。なんでだろ?」
「そういや聞いたことあるんだけど、幽霊がいるところって気温が低いんだって。ここマジで出るって噂だし」
そりゃあ色んな入居者さんを看取ってきた空間だ。
幽霊の一匹や二匹いたっておかしくないだろう。
しかし彼らはようやく辛い現世から開放されて穏やかに暮らしているのだ。
心地の良い居場所を踏み荒らされるのは気分の良いものではない。
自分はスマートフォンで撮影をしながら奥へ進む若者たちを追いかけた。
「なあ、この部屋入ってみようぜ!」
そう言って彼らが入っていったのはおじいさんの居室。
ノックも挨拶もせず、ずかずかと入った若者たちは窓際に座っているおじいさんにカメラを向けた。おじいさんは自分にするのと同じように視線だけを若者たちに向ける。
「うわ……車椅子って、マジかよ」
「めっちゃ雰囲気あるねー。私も撮っておこーっと」
四人全員でおじいさんの撮影を始めた若者たち。あのままではおじいさんが可哀想だ、助けに入らないと。
ゆっくり彼らに近付くと、そのうち一人の女性が不意に悲鳴を上げた。
その場にいる全員の視線が彼女に集まる。
「顔に反応するエフェクトついたんだけど……!」
「マジ?! ちょ、見せて!」
若者たちは集まって悲鳴を上げた女性のスマホを覗き込んだ。
自分もなんとなくそれを覗き込むと確かに、おじいさんに可愛らしいクマのエフェクトがついている。
「これSNSに上げたらバズるんじゃね?! もっと撮影しようぜ」
「えぇ~? なんかさっきより寒くなってきたし、そろそろ帰ろうよぉ」
「バカお前、これからが楽しいとこだろー?」
そうして彼らはおじいさんの居室を出て隣の部屋に入っていった。
自分もそれを追いかける。
撮影したまま意気揚々と居室を奥へ進む彼らは、一番奥にあるベッドまであと数歩というところで足を止めた。
「ねえ……あれ、人の足じゃない……?」
酷く怯えた様子の女性に、他三人も顔を見合わせてごくりと生唾を飲む。かと思えば撮影を行っていた男性が震えながらもベッドに近づき、カーテンを勢いよく開けた。
ベッドに横たわっているおばあさんの姿があらわになると同時にまたしても女性陣からは大きな悲鳴が上がる。
「なにこれ、ミイラ……?!」
「入居者の死体か? これ大スクープだろ! しっかり全身撮らないと!」
失礼な子たちだ。彼女は眠っているだけなのに。
一頻りおばあさんを撮り終えた若者たちはその後も施設内を我が物顔で闊歩し続ける。
注意をしようにも無視をされてしまうしどうしたものかと頭を抱えていたら、先輩がふらふらとやってきた。先輩は廊下を進む若者たちの背中と自分の顔とを交互に見た後、施設の入口の方を指差す。
それに頷いた自分は若者たちの追跡をやめて入口の方へ戻り、鍵をかけた。
ついでに外から閂もして、準備万端だ。
慇懃無礼な若者たちに少しお灸を据えてやらないと。
そうして待機していたら若者たちはそれぞれの反応をしながら入口まで戻ってきた。
「はぁ~、もうマジで怖かった……呪われたらアンタ達のせいだからね!」
「お、俺は別に怖くなかったけど」
「なあこれ、SNSに今上げちゃおうぜ! あれ? 圏外だ」
「山奥のド田舎なんだから当たり前でしょ。そんなの後でいいから早く帰ろ!」
がちゃん。
彼らが手をかけた入口のドアはそんな音を立てながら、びくともしない。
「――え? ちょ、嘘でしょ……開かない……!」
「なあ、これ外から閂されてないか?」
「な、なんで?! だってここ、もう使われてない施設なんでしょ?! 入ってくる時は開いてたのに!」
案の定、四人はパニックになっている。
大人を舐めるからこうなるのだ。と少し鼻高々とした気分になっていると、入口ロビーに先輩がやってきた。先輩は苛立たしそうにロビーに置いてあったペン立てを手で払って床に落とす。
ペン立てが転がる音とペンが散らばる音がロビーに響き渡った。
「なんだ、今の音?!」
「もういやぁ!」
若者たちは阿鼻叫喚。その姿がなんだかおかしくって、笑いが溢れる。
「ねぇ……笑い声、するんだけど」
「俺も聞こえた……くそ、ふざけんな! 開け! 開けよ!」
がちゃがちゃ。
がちゃがちゃ。
残念ながらドアは開かない。
パニックが加速する彼らの様子にまた笑ってしまったら、ついに彼らは弾かれたように走り出した。
それをまた、追いかける。
「なに、なんなの?! どうなってんの?!」
「俺達マジで呪われたんじゃ……?!」
「もう本ッ当最悪! だから私は来たくないって言ったんじゃん!」
「お、俺のせいかよ?! お前らだってなんだかんだ乗り気だっただろ?!」
なんて、喧嘩をしながら駆け抜ける彼ら。
しかし出鱈目に走り続けるものだから同じところをぐるぐると回っている。
時折窓を開けようと試しているようだが、残念ながら窓は転落事故防止のため常に施錠されているので無駄なあがきだ。青ざめる彼らが一体どうするのかと眺めていたら、若者たちは何故か階段を上って最上階である五階へ進んでいった。
「なんで上行くのよ?! どうやって出るつもり?」
「さっき外から入る時、点検用の梯子がついてるの見えたんだよ。屋上に行けたらそこから出られるだろ」
そういえばそんなものあったような気もする。
どうせなら行く末を見守ってやろうと先回りして屋上へ出るドアの鍵は開けておいてあげた。
「よ、よし! 開いてる!」
すると若者たちはドアを随分乱暴に開けて足早に屋上を駆け抜ける。
しばらく屋上で何かを探すようにしていた彼らはようやく、点検用の梯子を発見した。
「下まで続いてるぞ! ここから出られる!」
「良かったぁ、早く降りよ!」
言いながら若者たちは我先にと梯子を降りていく。
その様子を見下ろしながら自分はふいと、梯子と建物を繋げているボルトに視線を下ろした。
どうやら彼らは知らないらしい。
この梯子の最大荷重が100kgであることも――その梯子が、何十年も前に設置されて以来、誰にも使われていないことも。案の定、その重荷に耐えかねたボルトはサビた部分からぼっきりと二つに折れる。
無論、梯子はめきめきと音を立てながら壁から離れ始めた。
そのまま悲鳴が響き渡って、数秒の後、ぐちゃりと、内臓が潰れて血肉が飛び散る音がする。うち一人が呻きながらぴくぴくしていることを考えるにまだ生きているようだが時間の問題だろう。
自分もそうだったから。
「おはようございまーす」
生きている一人にそう声を掛けると、一人は大きく目を見開いて、がちがちと歯を鳴らす。
「もう仕事には慣れた?」
すっかり聞き慣れた声に振り向くと、先輩が自分の隣で同じように若者たちを見下ろしながら笑っているのが見えた。自分もそれにつられて笑う。
若者たちのうち一人が絶命するその瞬間、ようやっと、目が合ったような気がした。
◆
「もう仕事には慣れた?」
そう話しかけてくれた先輩へ、肯定の意を込めて頷いて見せる。
ここはとある田舎にある介護福祉施設。
数週間前、都会暮らしに疲れた自分は呑気な暮らしに憧れて全てを投げ出し、現在、山の直ぐ側にある小さな町の古びた介護施設にいた。
入居者はほんの数人ほど。
殆ど空室ばかりのその施設はなんだかプライベートな空間のようで居心地が良い。給料も出ないのに朝早く起きて施設内を巡回し、夜遅くまで受付に座ってぼうっとするのがすっかり日課となりつつある。
「おはようございまーす」
居室のドアを開けながら中へ入ると車椅子に座って窓の外を眺める入居者のおじいさんがいた。
彼は昨日と全く同じ場所で、ぽっかりと口を開けたまま虚ろな瞳で窓の外を見ている。自分が正面に回るとおじいさんは視線だけをこちらに向けた。
「おはようございまーす」
もう一度声を掛けてみるも、おじいさんはぱくぱくと口を動かすばかりで返事は返ってこない。しかしこれが彼のいつも通りなので自分は深く気にすることなく居室を後にしようとした。
瞬間、居室のサイドテーブルに置かれていたラジオが、ジジ……と音を立てる。
『三日前の未明、✕✕県◯◯郡△△町で男女四人が死亡しているのが発見されました。発見現場は町内にある元介護施設の廃墟で、点検用の梯子を使用していたところ老朽化により梯子が破損し、落下死したと見られています。この施設は管理者が死亡してから五十年ほど経過しており現在はSNSで有名な心霊スポットとして――』
どうせなら楽しい内容がいいだろうとラジオのダイヤルを回し、自然の音が流れる放送に変え、居室をあとにした。
そうして自分は隣のおばあさんの居室へ入る。
いつも通りに。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?