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【創作BL】部長に顔を埋めたいっ!第一話


001

 
 獣人じゅうじんと人間とが共に歩んできた年月はもうかれこれ数十世紀にもなる。
 獣人。文字通り、獣の形をした人。
 『猿人』を祖先とする人間に対し、獣人は大昔に存在していた『犬』という生き物が祖先にあたるらしい。
 人間に地域や見た目、肌の色などによってある程度区分けがあるように獣人にも種類があり、『犬』という生き物の種類――いわゆる『犬種』というものに帰属するのだと聞いたことがある。歴史上の記録によると、平安時代とかその辺から、人間とは似ても似つかない二足歩行の文明生物が現れたのが獣人の始まりだと言われている。
 かつて大昔、人間と獣人はいがみ合いながら暮らしていた。獣人は力を、人間は知能を誇示し、お互いに自分たちの方が種族的に上だと互いを見下し続けていたのだそうだ。
 そんな殺伐とした世界に終止符が打たれたのは、数十年前、とあるつがいが出現した頃だった。
 その番は片方が獣人、もう片方が人間という、当時では異端とされるような二人。しかし彼らが声を上げたことで秘めたる思いを告白する者たちが次々と現れ、やがて獣人と人間とが手を取り合い歩む世界として落ち着いていったのだった。
 そしてそんな世界で、ハスキー種の獣人である母と、純正の人間の父との異種婚によって産まれたのが、自分……一ノ瀬いちのせまこと。
 性別は男。
 平凡に大したイベントもないまま小学校から大学までの学生生活を終え、就活も特に苦労することなく、あまり大きいとはいえないが同僚も上司も優しい人たちばかりの会社に就職してかれこれ二年。
 僕は、入社時と変わらず今日も会社の営業事務を担当している。
 
 ◇ ◆ ◇ ◆
 
「まーこと! ランチ食べに行こー!」
 
 時計の短針と長針とがぴったり一番上で重なり合うまであと数分という時間。鈴が跳ねるような元気な声が飛び込んできてふいと顔を上げた。
 作成中の書類が表示されたモニターの向こう、小さな耳を湛えたふわふわの彼女がぴょいと顔を出す。
 可愛らしく結わえられた三つ編みと桃色のリボンが跳ねた。目が合ったポメ種の彼女の目がくしゃりと可愛らしく細められる。
 
桜花おうか、ちょっと待ってね。区切りがいいところまでやっちゃうから」
 
 正面のデスクの彼女は同期のあずま桜花おうか
 もうかれこれ二年もの付き合いになる彼女は良い意味でパーソナルスペースが狭く、人懐こい性格だ。
 最初は距離感が近いのが少し苦手だったのだけれど、お互い唯一の同期であることもあり交流を進めていくと意外にも面倒見が良い面があったり物怖じしない芯がある姿勢だったりが見えてきて、いつしか苦手意識は消えてなくなっていた。
 今では何でも相談できる良き友人となった彼女はいつもこうしてランチに誘ってくれる。
 編集していたデータを保存してデスクを立つと、待ってましたと言わんばかりに桜花も勢いよく立ち上がった。
 まん丸い尻尾が忙しなく揺れているのが見える。
 早く早くと彼女に急かされながら、身軽に財布だけを持って桜花と共にオフィスを出た。
 
「今日は何にしようかな~? パスタ? ハンバーグ? ラーメン? ちょっと奮発して焼肉っていうのもいいよね~!」
 
 ついつい腹の虫が鳴いてしまいそうなその言葉に相槌を打ちながらふいと隣でスキップ気味に歩く彼女に視線を向ける。
 ポメ種……正式名称はポメラニアン種族。基本的に小柄な人が多い種族で、隣にいる彼女も例にもれず身長僅か百四十七センチ。
 ふわふわの体毛とピンク色の肉球がとても愛らしい。
 
「まことは何か食べたいのある?」
「うーん……僕は特に」
「もー! そういうこと言ってるからまことはいつまで経ってもガリガリのもやし君なんだよ! よしっ、じゃあ今日のお昼は焼肉に決定! 桜花ちゃんが奢ったげる! いっぱい食べなさい!」
「えっ? いいよ、そんな。自分で払うよ」
「いいからいいから! ほら、レッツゴー!」
 
 ふわふわの綿毛のような感触が手首を包んだ。
 彼女に腕を引かれながらぼんやりと、羨ましいなあ、なんて考える。
 獣人特有の肉球と、彼女の体を覆うふわふわの可愛らしいベージュの体毛は自分にはない。
 そして、彼女のように自分に自信を持てるような武器もない。
 
「まこと? どしたの、ぼーっとして」
「ううん。なんでもないよ」
 
 彼女の大きくてまん丸い瞳に、自分の顔が反射した。
 ぼんやりとしたグレーの髪と瞳。母譲りのそれらを携えているのはどこか頼りなさそうな人間の男。自己主張が少なく地味で根暗。
 目の前にいる桜花とは正反対な自分に嫌気が差す。
 こんなことだから想い人に気持ちの一つも伝えられないんだなあ、と一人勝手に肩を落としつつ、桜花に手を引かれるまま焼肉ランチの店へと足を踏み入れた。
 
「いらっしゃいませー!」
 
 店員の元気な挨拶を心地よく感じながら案内された席に向かい合って座る。
 一冊しかないメニューを二人で覗き込みながら、隣の席から聞こえてくる肉が焼ける音に喉を鳴らした。
 
「まこと、なんにするー? 私はこの、色んなお肉が乗ってる満足セットってやつにしようかな!」
「ええと…じゃあこの食べ比べセットにするよ」
「オッケー! どっちも美味しそうだし、交換しながら食べよー♪」

 きらきらとした瞳で桜花が呼び鈴のボタンを押す。
 数秒待った後、額に汗を光らせた店員さんがぱたぱたと駆け寄ってきた。さくっと注文を済ませ、これまた忙しそうに厨房へと戻っていく店員さんを見送りながら桜花と目を合わせる。
 
「焼肉久しぶりかも~♪ 超テンション上がるね!」
「だね。あっちこっちからいい匂いがしてきて、お腹鳴りそう……」
「あたしもヨダレ出そう……」
 
 なんて、二人で笑っているとさっきの店員さんがお皿をいくつも抱えて戻ってきた。
 テーブルの上に所狭しと並べられるお肉やらサラダやら白いご飯やらをついつい凝視してしまう。
 店員さんがテーブルを離れるが早いか、二人揃ってトングを手に持ち焼き網の上にお肉を並べていく。
 途端、油が網の上で踊る音が鼓膜を揺らし、香ばしい匂いが鼻孔を撫でた。
 やはり肉食動物として産まれた以上、目の前で肉が美味しく調理されていく様子を眺めている瞬間は心躍るものだ。セットの卵スープを啜りながら食欲をそそる赤みがゆっくりとその身を焦がしていくのを今か今かと待っていると、正面に座って同じくお肉と睨めっこをしていた桜花が我慢ならないとでもいうように肉を持ち上げ、口にぽいと放り込んだ。
 
「え、ちょ、まだ赤いよそれ?」
「だいじょーぶ、だいじょーぶ!」
 
 肉をゆっくりと味わうように噛みながら、恍惚の表情を浮かべる桜花。
 くそう、羨ましい。
 獣人は本人たちが自負する通り生命力が強い。
 ちゃんと処理をすれば火の通っていない生肉でも食べられるらしく、居酒屋なんかにいくと真っ赤な生肉を食いちぎり、ビールを流し込んでいる中年の獣人男性なんかを見かけることもままある。
 
「まこと、そのお肉、もういいんじゃない?」
 
 桜花に言われて視線を落とすと、程よく焦げ目のついた香ばしい匂いを放つお肉が自分を見上げていることに気が付いた。
 零れ落ちる肉汁が勿体ない。
 少し焦りながらしっかり焼けたそれを箸で摘んで甘めのタレにダイブ。タレを絡めたらご飯の上でちょっとタレを落として、と。
 
「いただきます」
 
 甘い肉汁が舌の上でじわりと溶け出してタレと絡む。
 すかさず白いご飯も投入。
 濃いめのタレのおかげでご飯の甘みが際立ち、なんともいえない幸福感に包まれていく。
 ううん、生きてるって感じ。
 焼肉最高。
 
「あ、ところでさ」
 
 雑談もそこそこにデザートのアイスまでぺろりと平らげ食後の煎茶で一息ついていたとき、桜花がふと顔を上げた。
 食後だからか少し眠そうだ。
 かくいう自分も、この後の業務のことを考えると溜息が漏れる。
 ああ、このまま帰りたい……。
 
「いつ部長に告白するの?」
 
 突然の爆弾投下に啜っていた煎茶を吹き出す。
 飲み下しかけていた煎茶は急に進路を変えて気管に飛び込んでいった。
 激しく咽る自分を尻目に、桜花は呆れたように小さく息を吐いて目を細める。
 
「まことから部長が好きだって聞いてからもう二年近く経つよ? いつまでウジウジしてるの」
「う、……だ、だって……」
「もう。まこと、いつも、でもでもだって、しか言わないじゃない。部長みたいなタイプは言わないと気付いてくれないよ? あの人、鈍そうだもの。まことのこと、きっと可愛い後輩ぐらいにしか思ってないよ」
「それは、そうなんだけど。でもまだ自信が……」
「いつもそればっかり。言っとくけど、まこと、レベル高い方なんだからね! 顔可愛いし華奢だし。でも歩くときも座るときも猫背気味だからそれは直した方がいいと思う」
 
 からん、と解けた氷がグラスの中で崩れた。
 薄い烏龍茶が少しだけ残ったそこには弱々しい自分の姿が映っている。
 
「兎に角、あの手のタイプはガンガン攻めてこそよ! ってことで、どうせこのままじゃ進展なんてしないだろうから、部長と飲み会セッティングしといてあげたからねっ♪」
「…………え?」
 
 いつもと変わらない可愛らしくて懐っこい笑みを浮かべる彼女が、今回ばかりは悪魔のように見えた。

 ◇ ◆ ◇ ◆
 
 営業部部長、朝桐あさぎり伊墨いすみ
 齢四十後半。
 柴種の獣人である彼からはいつもコーヒーとタバコの匂いがする。物腰が柔らかく、穏やかで落ち着いた大人な姿勢に十年来の顧客も少なくはない。
 それでいて時折、営業事務担当である自分や桜花に営業先で買ったお土産を差し入れしてくれたり労いの言葉をかけてくれたりといった姿勢から、彼に憧れるようになるまで時間はそうかからなかった。
 というか今思えば、配属されて初めて挨拶をしたときの彼のくしゃっとした笑顔にもう心を奪われていたような気さえする。
 
「戻りましたー」
 
 元気に片手を上げて営業部オフィスに飛び込んだ桜花に続いて、入り口で頭を下げてから自分の席に腰を下ろす。
 座りなれたオフィスチェアから伝わってくる優しい揺れが、甘たるく睡魔を誘った。ストレッチも兼ねて体を伸ばし眠気に退場を願うが、逆効果だったらしい。
 あー、ぼんやりしてきた。
 やばい。
 パソコンのモニターの向こう側で桜花が大きく口を開けて欠伸をしているのにつられて自分も小さく欠伸を零した。
 
「眠そうなところ申し訳ないけれど、急ぎの案件をお願いしてもいいかな?」
 
 視界の端から優しい声が滑り込んできて肩が跳ねる。心臓が口から飛び出てしまうかと思った。
 振り返ると優しく見下ろしてくるつぶらな瞳と視線がかち合う。
 
「あ、す、すみません、部長……」
「はは。大丈夫だよ。この時間は眠くなってしまうよな。私もこの後の会議で寝ないか不安だよ」
 
 部長はからからと笑いながら、よいしょ、とこちらに視線を合わせてしゃがみ込んだ。
 ふわりとタバコとコーヒーの香りがする。
 次いで、あまり飾り気のない石鹸の匂いも。
 
「それで急ぎの案件なんだけれど、共有フォルダに入れてあるのを開いてもらえるかい? 今日付けのフォルダ」
「はい。えっと、……これですか?」
「そうそう。一緒に資料を入れてるから、過去十年分のデータをグラフ化しておいてほしいんだ。今日十七時に約束してるクライアントから急な要望変更があってね……十六時半までにお願いできるかな? 今日の他の業務はアポにまだ期間があるものばかりだから月曜日以降でも大丈夫だし」
「わかりました。このくらいなら間に合うと思います」
「本当かい? ありがとう、頼むよ」
 
 安心したように小さく息を吐いた彼は姿勢を戻す。
 ぽき、と膝から音が聞こえた。運動不足かな。
 
「急な変更だったからさ。すまないね、手間をかけて」
「いえ。大丈夫です。すぐやりますね」
 
 どうせもう週末だし、あと数時間仕事に真剣に打ち込むくらいなんてことない。
 それに部長に声をかけられたことで眠気も吹き飛んだし、想い人から直々にお願いを受けたとあっては頑張らない他もないだろう。
 よし、と資料を開いたところで背中にぽんと軽い衝撃を感じた。柔らかい感触と人間より少し高めの体温がじんわりと染み込んでくる。
 
「それじゃ、よろしく頼むよ」
 
 どうやら背を軽く叩かれたらしい。
 恐らく彼としては部下を激励するためのなんてことのないアクションだったのだろうけれど、こっちは正直突然の触れ合いに気が気でなかった。
 彼の手が触れた背中がじゅくじゅくと熱を持つような感覚に思わず縮こまる。
 ふと視線を感じて顔をあげると向かいのデスクに座っている桜花がにやにやと楽しそうな笑みを浮かべているのが見えた。
 いけない、仕事に集中しないと。
 感情を振り払うように首を振り、デスク脇に置いていた飲み物を飲んでクールダウンしてから改めて画面に視線を戻す。
 しかし急な要望変更とは、随分と迷惑な話だ。
 これが週末じゃなければ内心はイライラしていたに違いない、なんて思考を切り替えながら資料と睨めっこしていると、オフィスを離れようとした部長がふいに振り向いた。
 
「おっと、そうだ。東くん、一之瀬くん。今日の夜だけど、私は営業先から直接向かうから駅で待ち合わせにしないか?」
 
 今日の夜?
 首を傾げていると、桜花が花の咲くような笑顔を浮かべて元気よく立ち上がった。
 
「はーい! 了解です!」
 
 なんだなんだ。
 自分のあずかり知らぬところで一体何の約束がされているというんだ。
 ぽかんとしている間に彼は名前が書かれたマグネットを『会議』の欄に移動させ、何やら色々資料を抱えて営業部オフィスを出ていった。
 今は他の営業の人もご飯だったり営業だったりに出ていて不在。自分と桜花の二人だけが残されたオフィス内はがらんとしていて、静寂が頬を撫でる。
 
「えっと……桜花?」
「んー?」
「今日の夜って」
「言ったじゃん、飲み会セッティングしといたって」
「いや、言ってたけど……まさか今日なの⁉」
「今日だよ? あ、ちなみに、あたし今日仕事終わりそうになくて残業の予定だから二人で行ってきてね!」
 
 …………んん⁉


あとがき

頒布中の創作BL同人小説「部長に顔を埋めたいっ!」第一話でした。
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それでは今日はこの辺で。

とらお。

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