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自己満足じゃダメ?(文章を書くこと)

 ――わかりやすい文章を書きたい。そう思って、本を何冊か読んでみた。本屋でよく見かける、ノウハウ本というやつ。そこには、文章を書くときのルールやコツが、わかりやすくまとめられていた。

 本を読んでいて、ふと気付いたことがある。それは、どの本にも共通した内容があるということ。「書く目的」と「読み手」の話だ。

 文章を通じて、自分は何を伝えたいのか。それを誰に読んで欲しいのか。目的と読み手。この二つを意識するのが、わかりやすい文章には不可欠で。逆に言うと、これができていない文章は、「自己満足」に過ぎないのだと。

 ――自己満足。この言葉がひっかかる。何かを書くことは、自己満足ではいけないのだろうか。

* 

 「note」を書き始めたきっかけを、思い返してみる。

 もともと、紙のノートに色々と書く習慣があった。その日のできごとや、感じたこと、思ったことを書く。そうすることでストレスを発散していた。思考の整理なんて書くと、ちょっと聞こえがいい。後から知ったのだけど、こういうのを専門的には「筆記開示」と呼ぶらしい。

 もし、身近に相談できる人がいたら、こういう習慣は必要ないのだろう。今日こんなことがあって、悲しかったんだ、嬉しかったんだ。そんな風に、何でも話せる相手がいたら、聴いてくれる誰かが、いたとしたら――

 だけどあいにく、これまでの人生、そういう人に恵まれたことはなくて。受け止めきれない気持ちに、自分だけで、どうやって折り合いをつけるか。そんなことばかり考えてきた。あのブドウは、酸っぱいに違いないって。

 そんな合理化(負け惜しみ)の産物として、ノートが積み重なっていく。だから、何かを書きたい、というよりも、書かずにはいられなかっただけ。趣味とはちょっと違う。僕にとっては、もっと切実なことだった。

 そういうものを「note」にしたのは、誰かに読んでもらいたかったから。聴いて欲しかったから。赤裸々なことだって書く。他人が読んで面白いものじゃなくても。眉をひそめられても。不愉快な感想を寄せられたとしても。

 河原で石を積むように、書き続けていく。ただ、そういうカタチだから。

 ――何のために書くのか。誰のために書くのか。

 そう問われたなら、自分のためと答えるしかない。自己満足なのだから。それでも、何かの間違いでも、読んでくれた人に、何か感じてもらえたら。喜ばしいことだなって、思えるのだけど。


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