『愛あるかぎり』の感想・怪文書仕立て……BFCの思い出を添えて

はじめに 

 『愛あるかぎり』の話をしたい。よくしているが、やっぱりしたい。『愛あるかぎり』とは、ブンゲイファイトクラブという企画で発表された冬乃くじさんの掌編だ。作品は下のリンクから見られる上から2つ目だ。

 ちなみに作者のアカウントがこれだったり、『愛あるかぎり』の朗読版がここにあったり、別作品の『ある授業』がこれだったりする。

 未読の人たちに告げる。原稿用紙6枚だ。ちょっと読んできて欲しい。損はさせない。一番上のリンクからとべる作品の二作品めだ。ちなみに、2枚目くらいまでは回れ右せずに読んで欲しい。ここからはネタバレを含んでいく

BFCとの思い出(雑談)

 ブンゲイファイトクラブ、通称BFC 。初めの出会いはツイッター上のRTだっただろうか。 

「さあ誰がいちばん強いやつか はっきりさせようじゃないか」ブンゲイファイトクラブ 煽り文より

 やだ、格好いい、などと思いつつ、当時まだ実作が一つもなかった僕は数分後には出場を諦めていた。それから数週間後、休日出勤の合間にて、僕はすっかり忘れていたBFCのリンクを何の気なしにクリックした。野次馬根性の発露のようなものだ。そして『愛あるかぎり』に撃ち抜かれた。

 当時、仕事が辛くて気分が沈みがちだった僕は、作中の男と似たような状況だった。自分と似て感じる「生きづらい」男が、自分には辿り着けない美しい光景の中で救われていた。その光景に勇気と救いを貰えた。少しセンチメンタルな話だが、仕事場の無骨なバックヤードと掌に広がる暖かな世界を僕はずっと忘れないだろう。

 さて、それから作者と実際に会う機会も得て、事あるごとに作者に対し、感想のような怪文書のようなものを送りつける謎の人間に僕はなってしまったわけた。そこで、この際書き散らしたものどもを纏めてみようと思い立った。


感想① 冒頭

 BFC後、この作品は一回戦敗退にも関わらず一部界隈の熱狂的な支持をうけた。それはこの作品が皆の物語だったからだろう。本作ではタイムトラベラーが出てくるのだが、あるフォロワーの述べた『おれたちはみんなタイムトラベラーだ』という言葉はこの作品を端的に表している。

 おまえは立派な大人にはなれない、と言われながら男は育った。時間を守れないのは人として駄目だ、中身がどうでも一人前とはみなされない。たしかに何をするにも人より時間がかかり、集団行動には必ず遅刻した。
 『愛あるかぎり』冬乃くじ

 ここで作者は主人公を『男は』と表記し、可能な限り男から情報をはぎ取っている。その上で、男の持つ生きづらさが奇抜さやワンアイデアに逃げることなく、しっかりえがかれぬかれていた。

 原稿用紙6枚の制限の中で、様々な要素を削ぎ落としながら、核からは一切逃げなかったことが、この作品の大きな支持の基盤であり、この作品を一味違うものにしているのではあるまいか。

感想② 描写

 さて、先ほどわざわざ2枚目までは回れ右せずに、と指定したのは何故か。個人的にこの作品は2枚目から、描写の妙が見えてくる。冒頭から続く淡々と乾いた状況説明から一転、主人公のある一日にカメラが迫っていく。

 そんな冬のおわり、暴風のためにすべての予定が頓挫した夜、彼はネットで不思議な詩を見つけた。それは、海で溺れながら暮らすことの正当性を、言い方を変えながら、寄せては返す波のように、くりかえしくりかえし言及する詩だった
『愛あるかぎり』冬乃くじ

 入れ子構造の場面だ。外の暴風の世界/中の男の部屋/部屋の中のパソコン/パソコン内の詩……ここまできて最後に、詩の中に内包される広大な海が示され、だまし絵のように入れ子構造が反転する。

 その上でこのシーンの後に男と対になる女が登場し、対比により作品が締まっていく。二枚目からこの作品はエンジンがかかるように描写が増え、ぐんぐんと魅力を増していく。

 最後まで読み終わらないうちに彼女は胸をおさえた。うーと言って泣いた。自分は孤独だと思った、もう帰ろうと思った。そのときバスがとまり、ランドセルを背負った二人の子供が降りてきた。手をつなぎ、暗号のような言葉をかけあいながら笑い、風のように通り過ぎて行った
『愛あるかぎり』冬乃くじ

 うー、という生の呻きで女の置かれている状況にぐっと親近感を湧かせ、直後一瞬の夢のような光景が目の前をよぎる。この作者のアクセルを踏んで、描写の解像度をぐっと上げたときのかき方が好きだ。

感想③ ラスト

 話が尽きることはなかった。この時間がずっと続けばいいと彼らは思った。じっさい、彼らのまわりの時間は止まっていた。紅茶と焼きりんごはなかなか来なかったし、テーブルには、天窓からあたたかな光が、いつまでも同じ角度でふりそそぎ続けていた。 彼らの邪魔をする者はいなかった。そこに愛があるかぎり、二人の時間は永遠だった。
『愛あるかぎり』冬乃くじ

 何度も読み返して、非常に絵画的な場面だなと惚れ惚れする。格好いい表現を使っているわけではないけれども、表現の積み重ねにより、美しい情景を見せてくれる。頭に浮かんだ映像を文字に落とし込んだ時の配置の仕方が巧みだ。
 本作のラストは数ミリだけ現実から浮かんだ楽園のように僕には思える。現実よりも少しだけ綺麗だから、見るものはそのラストに心惹かれる。まるで教会の天窓や宗教画、ステンドグラスを見るようだ。
 孤独な男女の幸せが時を止める。美しい一瞬が世界中に広がっていく。時が動けば消えてしまうかもしれない儚さと、全世界に広がっていくような広大さを併せ持ったその瞬間を人々は祈る。

 僕はこの祈りが好きだ。また祈れるような風景を観たいと気長に願っている。

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