身体的力の差を無視して全ての人の安全を確保することはできない。

「女でなければならない」は男性優位社会の価値観でいう「男性にとって都合のいい女でなければならない」だから、身体の性別とは関係がない。「女なんだから料理ができなきゃダメ」「女なんだから淑やかに」は親が娘を「将来男性に選ばれる女」に育てていた、自由恋愛が主流になる以前の感覚の名残だ。「雌の身体でなければならない」と判断されることは恋愛で肉体関係を持つ場面以外にはほぼない。多分埋没しているトランスジェンダー女性が就活で落とされるとしたら、それは女性の身体を持つ女性として将来「妊娠」「出産」をする人間だと思われているからだ。トランスジェンダーであることを公表して落とされるとしたら、それはまだ「トランスジェンダー」の範囲が未確定でどういう扱いをしたら良いのかわからないからだろう。そうでなくとも、バブル崩壊後から日本ではずっと「人件費」ばかり削減している。企業に選ばれない人間は、性別だけではなく年齢や疾患や障害など様々だ。

話を戻す。
むしろ他者による評価という意味において雌の身体を持つがゆえにトランスジェンダー男性含む女性が性的な犯罪のターゲットとされることがある。雄の身体であるがゆえに、つまり男性の身体であると加害者から判断され性的な犯罪のターゲットとされる犯罪は少ない。世の中には男性の身体が好きなことで犯罪を犯す犯罪者(男が多い)もいるが、その多くは未成年を対象にしている。犯罪者は自分より「力の強い人間」を襲わないからだ。自認する性別に関わらずなよなよした弱そうな男の子を虐める男の子はいる。しかし、個人の趣味嗜好は本人の体格とは無関係なので、もしジャイアンみたいな体格のいい男の子があやとりや折り紙やシール帳やピンク色が好きでも、怒ると手を挙げられる可能性があれば虐めの対象とはしないだろう。女性に対する暴力、子供に対する虐待、障害者やお年寄りに対する虐待など、法に触れるほどの犯罪というのは身体的弱者に向けられることが多い。それほど「身体的力の差」の影響力は大きい。
野良猫を虐待する犯罪者はいても、銃も持たずに山に入り熊に虐待をしようとする犯罪者はいない。強い者に対して暴力を奮う時は弱らせてから暴力を奮う。

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