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トランス女性とは何なのか?差別とは何なのか?

結局、トランスジェンダーに関しては身体の状態によって区分するしかないと思う。私からすると法的に「女性」とするのは「性別適合手術済み」は絶対条件だけど(女性を妊娠させる機能をもつ男性器を生理現象に関わる場に持ち込むのは断固拒否なので)、スポーツでも入浴施設(というかスポーツ関連施設はたいてい更衣室とシャワーがある)でも、もし「女性」「トランス女性」「男性」「トランス男性」にしても、「女性」と「トランス男性」の区分と、「男性」と「トランス女性」の区分を考えないといけなくなる。そもそも「トランスジェンダー」という言葉が性同一性障害以外の身体違和のない人まで含む表現で、女性を差別者に仕立て上げたい人たちに話を混乱させるためにわざと用いられている傾向があるから嫌いなんだけど、身体違和のある人ほどファッショントランスジェンダーみたいな人と一緒にされるのは嫌なはずでは?

女性たちが行っていることが本当に「差別」かどうかよく考えてみてほしい。


もともと言われていたこととしては、「女子トイレ」と「女湯」に男性器付きの人は入らないでほしいという話だったはずだ。
女装して会社に来るなとか街を歩くなとか誰も言ってない。攻撃的で意図的な女性蔑視のひどい「差別!」「ターフ!」「バカ!」「黙れゴミ!」としか言えない人が余計に事をややこしくしている。そして、海外でセルフIDを実際に導入したところで思っていた以上の女性への暴力や犯罪が起こった。セルフIDによって犠牲になるのは女性身体者しかいない。そもそも日本においても性犯罪加害者は9割男性身体者で被害者は9割女性身体者だ。なぜこの性犯罪加害者と被害者の非対称性を無視して話が進められるのか?性犯罪の中でも一番被害が甚大で人生さえも変えうる強制強姦は「男性器」によって行われる。ジェンダーの話になった途端、男性器の危険性はなぜこうも簡単に忘れ去られるのか?男性器を悪用しない人間と悪用する人間を見分けることは不可能だ。

なぜ「トランスジェンダー」には「マイノリティだから弱者だ」という「優しさや寄り添い」を見せるわりに、実際に「マジョリティである男性による法的な犯罪の被害者になっている社会的弱者である女性」の不安に耳を傾ける姿勢がいっっっっさいないのか?

男性による数多の犯罪(心理的不安などではなく法的に犯罪と認定されている「強盗」や「殺人」と同等の行為)によって男性器への信用が0になっているにもかかわらず、その犯罪を減らす方法や強固な防犯を提案した人間がいたか?それどころか「安心してください。トランス女性が入れるようにならなくても女性への性犯罪は起きます」みたいなことを言うのまでいる。

そもそも差別反対!を合言葉にしてる人たちは「男性器付きで女湯に入るトランス女性はいない」「バレるようなパス度で女子トイレに入るトランス女性はいない」と言うが、それならば現行法の何が不満なのか?変える必要ありますか?

「生物学的な性別」が「自認する性別」より不明瞭な定義だなんて本気で思っているのか?

とにかくママの男性器から産まれたような人が多すぎる。だいたい、この生物学的性別が存在しないと誰も存在できないが?両性具有の人が存在するとでも?哺乳類は単体生殖できないが?生物学的性別があやふやだと一次産業は運営できないが?鶏の男性器から生まれた卵と牛の男性器から搾った牛乳飲んでると思ってるのかな…。卵生んだら雌自認、乳が出たら雌自認、射精したら雄自認?てか動物でも生理的機能を利用されてるの雌ばっかだな。キャベツ畑から生まれたとかペリカンだかコウノトリだかが運んできたとか信じてるとしたら、どう説明すればいいのかわからない。性教育の大切さだけはわかる。しかし、何才自認かトランス2才だか知らないけど、そんな絵空事を聞き入れて法律まで変える必要はあるのか?
自分の娘に「男性器がある女性もいます」とか「男女ともに生理が来る人もいます」とか教えたり、息子に「妊娠する男性もいます」とか「男女ともに射精する人もいます」とか教えてるの?女性自認しなくても生理は来ますが?むしろ男性も自分が妊娠する可能性があると思って暮らしてはほしいが。これが生理用品を娘に買ってあげない親の言い分なの?それは虐待では?新興宗教の手口だが?

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