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とっさの言葉に追いつかない

 コミュニケーションほど難しいものはない――。

 人と接するたびに、そう思わずにはいられない。

 私は、言語的なコミュニケーション――バーバルコミュニケーションが苦手だ。いわゆる「コミュ障」と呼ばれる類の人間なのかもしれない。

 なぜ、バーバルコミュニケーションが苦手なのかというと、とっさの状況での言葉のやり取りができないからだ。これは、決定的な致命傷だ。現代社会を生き抜くためには、バーバルコミュニケーションは必要不可欠である。それができないということは、この社会からの「脱落者」の烙印を押されることを意味する。

 「とっさの状況で言葉のやり取りができない」とはどのようなことかというと、自分の考えていることをすぐに言葉にできなかったり、相手の言っていることをすぐに理解できないということだ。どちらか一つができれば、まだ救いようがあったのかもしれないが、どちらもできないのでは頭を抱えてしまうばかりだ。

 まず、「相手の言っていることをすぐに理解できない」とは、どのようなことなのか。相手が伝えてきた情報を、瞬時に処理することができないということだ。耳では聞こえているはずなのに、なかなか脳に届いてくれないのだ。脳に届いたとしても、初動力が低く、なかなかうまく回転してくれない。完全に話が終わって一晩寝かせてから、ようやく相手の話していたことが理解できた、なんてことはよくある話だ。

 では、「自分の考えていることをすぐに言葉にできない」とは、どのようなことなのか。話そうとしても、とっさに言葉が出てこないということだ。映像だったり、もっともやっとした感覚だったり、自分で感じているものはあるのだが、それがなかなかうまく言葉にできない。「自分頭の中のビジョンが、そのまま他者の頭に映し出されればいいのに……」と思ってしまうことばかりだ。言語化するのに多大なる時間と労力が必要で、頭の中で文章を組み立てるのが困難なため、時間を掛けて紙やディスプレイに文字として書き起こさなければ、本当に自分が伝えたいことを伝えることができない。

 バーバルコミュニケーションが苦手なのは、これまであまり人と関わってこなかったからではないはずだ。友人は決して少ないほうではなく、物心ついたときから、それなりに人と多く接してきた。何かとリーダーを任されることも多く、人前に立つことも少なからず経験してきた。知らない人たちの中に飛び込んで、コミュニケーションを取る練習だってした。それでも、一向にコミュニケーション能力が上がる気配はなかった。頭がまったく追いついてくれないのだ。

 なぜ、バーバールコミュニケーションを取るのに、こんなにも苦労するのだろうか。対人恐怖心が大きいからなのだろうか。それとも、人と接することに脳が疲れてしまうからなのだろうか。はたまた、発達障害の部類のものなのだろうか。様々な理由を考えてみるものの、その答えについて、私には知る術もない。理由を知ったからといって、それが治るものであるとも限らない。理由が何であれ、私はただ、私に呆れずに付き合ってくれる優しい人たちに心から感謝し、無能な自分に絶望するしかないのだ。

 人と接するとき、私は猛烈に悔しいと思う。自分がみじめで情けなく思う。「普通であれば、いとも簡単にできるはずのことが、なぜ自分にはできないのか」と自分を責めては罵る毎日だ。

 だが、それも一つの個性だとして、受け入れるしかないのかもしれないとも思う。そんな個性なんてほしくはなかったが、仕方がない。少しずつでも自分を愛せるようになるため、伝えることのできなかったものたちの無念を晴らすべく、こうして今日も言葉を紡ぐ――。


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