ゴミの日に考える憲法改正論

 5月3日は憲法記念日なんかではない、ゴミの日である。戦後の日本国が、不毛な議論に国の資源を使い、国防に関する事項すら明文で認めていない「世界に名だたる平和憲法」を、後生大事に守り続けていることの起点である。ゴミのような日だ。そんなに世界に誇れる憲法であれば、先進国のどこも日本国憲法を真似しないのはなぜか、少し考えれば理解できるはずである。憲法が間違っているのである。日本国憲法は確かに良い点もある。人権規定などは充実しているが、ここでは割愛する。もっとも、9条2項こそ、「ゴミの日憲法」にふさわしいゴミのような条文だと言いたい。

9条2項をいつまで維持し続けるのか

 平和主義自体を否定するつもりはない。侵略戦争の放棄をうたった憲法9条1項は素晴らしいと考える。交戦権の否認と戦力の不保持が非現実的だと言いたいのだ。
 自称「護憲派」は言う。平和憲法があったから日本は戦後70年間平和だったと。しかしこれは全くのデタラメである。憲法9条2項があったにもかかわらず、自衛隊と在日米軍が日本を守ってくれたから、我が国は戦争にほとんど関与せずに済んだのである。自称「護憲派」は、自衛隊と米軍の安全保障に守ってもらいながら、これらの存在を認めようとしない点で、重大な欺瞞を抱えている。
 砂川事件大法廷判決で、高度に政治的な事柄に関しては司法判断を避けることが明確となった。したがって、国防に関しては、国民の総意によって決めるべき事柄である。つまり、9条2項の裁判規範性はもはやないに等しい。もし具体的な事件が発生し、自衛隊や安保法制が憲法違反だと裁判所に訴えでても、相手にされないということだ。
 自称「護憲派」は論外である。護憲派ではなく、反憲派なのだ。改正を全否定し、何でも解釈で乗り切らなければならないような状況を作ることで、憲法の規範性を殺してしまう。日本国憲法の規範性を殺したのは、自称「護憲派」たる反憲派の怠慢である。
 そこで、提案したい。9条2項を丸ごと削除してしまえばどうか。守れないものは消してしまうということである。自衛隊が「戦力」じゃないという解釈はそもそも無理がある。だから、削除することで憲法違反の疑いを払しょくする。他方で、9条1項は残るから、平和主義は維持される。今、立憲民主党が立憲主義を回復させると言っている。立憲主義を回復したいなら、戦後のこれまでの解釈の変遷に終止符を打つべく、9条2項を削除するほかない。しかし、彼らは9条2項削除に反対するだろう。なぜなら、9条2項の文言を維持することだけが、立憲民主党の存在目的と化しているからだ。安倍政権の抵抗勢力を自負し、安倍改憲に反対するだけで、少数政党として生きていける。こんな政党が野党第一党のうちは、まともな憲法論議などできないのである。
 立憲主義とは、憲法の趣旨に沿った政治を行わせることで、政府の権力を抑制することである。憲法9条と自衛隊が並立している現状を良しとしている立憲民主党は、最も立憲主義を理解していない政党であると考える。なぜなら、主権国家であれば到底守れないルールを政府に課したまま、「これが立憲主義」だと胸を張っているからである。

憲法1条の問題点

 天皇の「地位は主権の存する国民の総意に基く」という文言がある。これについて、国民の多数が同意すれば、「天皇制」をなくせる、という見解が左派の憲法学会では主流となりつつある。しかし、この解釈は誤っていると言わざるを得ない。「国民の総意」というのは、過去から現在、そして未来へと一貫する「国民の総意」と考えるべきであって、一時の多数決という意味であると考えるべきではない。日本国民は、共産党など皇室に敵意をむき出しにする一部の変な人たちを除き、皇室や天皇と一体にあるということである。日本国民が総体としては、天皇の地位を支える責務があると考えるべきであるのだ。
 ところが、最近は「主権」を持っている「国民」の多数決で、「天皇制」を好きにいじっていいのだという不謹慎極まりない解釈を流す人がいる。そして、これを根拠に女系天皇導入まで突き進もうとしている。
 この現状に抗うために提案をしたい。1条後段を「天皇は、常に主権の存する国民と共にある。」とし、1条の2として、「天皇は、日本国の元首である。」と明記すべきである。そして、皇室典範を皇室にお返しし、皇室のことは皇室のご意向に沿って決めていただくべきである。

そもそも誤植がある

 これらの提案については、反対する人が多く、すぐにできる人がいないだろう。しかし、今すぐにでも打ち出せる改憲案がある。憲法7条4号には、誤植があるのをご存じだろうか。
 憲法7条4号に「国会議員の総選挙」という文言がある。しかし、参議院は3年ごとに半数改選なので、参議院には総選挙が無い。お気づきだろうか?つまり、「総」の一文字は誤植なのである。この誤植を消すことを最初の憲法改正の国民投票テーマとすればよい。これなら、中国武漢を発祥とする新型コロナウイルスが収束すれば、その翌日にでもできることである。
 もし7条だけでは税金の無駄だと、「護憲派」がおっしゃるのであれば、これと53条の臨時会開会までの日数限定を合わせた7・53改憲(しちごさんかいけん)を行えばよろしい。これさえできないのであれば、改憲派の国会議員は憲法改正など言わない方が良い。変に有権者を期待させるだけとなる。

自民党も頼りない

 先ほど、野党第一党の立憲民主党を批判した。しかし、自衛隊明記での改憲を狙う自民党も頼りない。「自衛隊明記だと、何も変わらないのではないか」という立憲民主党などの批判を、うまくかわせず、議論に負けることが多い。さらに、「緊急事態条項」も下手な条文を作った挙句、ずたずたに批判されることが多い。わざと負け役を買って出て、改憲か護憲を唱えていれば食っていける55年体制の維持に努めているのではないか、という疑惑の目すら向けたくなる。
 今、コロナ問題で国民が緊急事態法制の必要性に気付き始めている機会となっている。当面法律で対処するのは止むをえないにせよ、選挙の延長と経済的自由の制約と補償を内容とした緊急事態条項の議論を、コロナ収束後に行ってほしい。その前提として、あの出来の悪い平成24(2012)年改憲案は、公式的にひっこめるべきだ。変えることありきでなくてもよい。普段から、現行憲法でできることの限界を議論しておけば、自ずと改憲の必要性がどこにあるのか浮かび上がってきていたはずである。

「論憲」の姿勢を

 国会議員に、憲法について議論をする姿勢が足りない。鼻から議論する気のない、立憲民主党をはじめとする左派野党は論外として、自民党も今のスキルでは議論に耐えきれない。立憲民主党の言っていることなど支離滅裂なのだから、言い返せる人材を配置し、改憲草案などの体制を立て直すべきである。それすらやらないのであれば、自民党も憲法改正反対政党だとみなしてよいと考える。
 改革中道野党が素晴らしい。道州制などの未来志向のテーマについて、国民民主党や維新の会は議論に積極的だ。特に、維新の会は独自の憲法改正草案まで出している。「論憲」の姿勢で、どんどん憲法審査会で議論してほしい。
 私たち国民も、「論憲」の姿勢を後押しすべきである。私たちができることと言えば、おとなしくなりきった自民党や、はなから議論をする気のない立憲民主党に投票しないことだ。特に立憲民主党には選挙で投票しない。どうせ死票になるからと入れるべきですらない。なぜなら、死票も政党交付金算定の基礎となり、自民党にお灸をすえるために良かれと思って「護憲政党」に入れたら最後、「憲法改悪反対」のための活動資金となるからだ。自民党や安倍政権への批判票は、国民民主党や維新などの中道野党に集中させよう。自民対立憲共産の選挙区では、白票を入れれば良い。
 とにかく、今のままでは、真の意味で立憲主義がヤバい。国民投票すらできないのだから、国民主権がヤバい。ゴミの日に、ゴミの日(にできた)憲法について考えよう。

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