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スキマスイッチ「奏(かなで)」 君の手を引く その役目が 僕の使命だなんて そう思ってた

言わずと知れた、スキマスイッチの代表曲「奏」。2004年3月10日にリリースされた2枚目のシングルなのだそうです。

最近、この曲を聴くと、全然ラブソングに聞こえません。

実際のところ、どうなんでしょう?

私にとっては「子どもを見送る親の歌」にしか、聞こえないんです。一部、「つなぐ手と手」あたりは親子では、なかなか手はつながないかあ・・・とか思ってはいるんですけどね。

「明るく見送るはずだったのに うまく笑えずに君を見ていた」
「君が大人になっていく その季節か
悲しい歌であふれないように 最後に何か君に伝えたくて
『さよなら』に代わる言葉を探してた」

大学進学で田舎を旅立つ娘。それを見送る父親としか感じられない。

「突然 ふいに 鳴り響くベルの音
焦る僕 ほどける手 離れてく君
夢中で呼び止めて 抱きしめたんだ 君がどこに行ったって僕の声で守るよ」

親子でこの情景は日本でははないかなあ・・・。外国ならまだしも、日本人の親子はこういうことはできそうにないかもなあ。
でも、実際に抱きしめたわけじゃなくてもさ、比喩としてそういう気持ちだとして、勝手に受け止めてます。

「君が僕の前に現れた日から
何もかもが違く見えたんだ
朝も光も涙も 歌う声も 君が輝きをくれたんだ」

この歌詞はまさに、子どもが生まれた瞬間のようにも思えない?聴く人の境遇によって、感じ方が違うのかもしれません。

この「奏」。普通は、同年代の男女の別れの歌と解釈するのが、一般的なのでしょうかね。

ただ、「違く」という表現。
若者がこの「違くて~」とか「違くない?」とかいう言葉を使用するのだけは、イラッとする。正直言って、頭悪いなあ・・・と思ってしまう側のジジイです。

まあ、そのことを差し引いたとしても、この曲はとっても好きな曲です。

うちの場合、息子が大学に進学したとき、船で旅立つ彼を夫婦で見送りました。とてもきれいな桜が咲き始めていたころ。この曲ほど感傷的ではありませんでしたが、それでも、涙が出そうになったことをよく覚えています。

2022年9月12日 トラジロウ

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