【Xmas】サンタさんからよい子のみなさんへ

以下は過去に書いた記事。

==================================
今日はクリスマスですね。
クリスマスといえば、まっさきにクリスマスプレゼントを思い出します。小さい頃、親からクリスマスプレゼントをもらうと、とてもうれしかったものです。そんなことを思い出しながら、文章を書きました。

「僕は君に何も与えられない」

小さい頃、友達がたくさんいた。
その頃、僕は多くの価値観を友達と共有していた。
だから、僕が喜ぶことは友達の喜ぶことであり、友達の喜ぶことは僕の喜ぶことだった。また、僕が欲しいものは友達が欲しいものであり、友達の欲しいものは僕の欲しいものだった。
だから、僕は彼らに何をしてあげればいいかよく分かっていた。

例えば、小さい頃、ウルトラマンの怪獣の消しゴムを集めることが流行った。
もし自分が同じ怪獣の消しゴムを2個持っていて、それを持っていない子にあげれば、その子をとても喜ばせることが出来た。

しかし、いつからだろう。僕は身近にいる人たちと価値観を共有できなくなった。

小学校の終わり頃から、音楽に興味を持ち始めた。最初は当時の流行の音楽をただ受動的に聞いていた。
しかし、たまたまラジオで聞いたビートルズに夢中になり、当時の音楽、つまり、’80年代の音楽はさっぱり聞かなくなってしまった。
ビートルズからストーンズ、ツェッペリン、Tレックスみたいな王道ものから始まって、バッファロースプリングフィールド、ジャックス、ウディ・ガスリー、ライ・クーダー、ケヴィン・エアーズ、ムーヴなどいろいろ聞き始めた。今となっては、いずれも"ただの古典"で、渋谷あたりの若い人たちにもよく知られているが、’80年代中期はこういった音楽が一番聴かれていなかった頃ではないかと思う。’70年代以前のようにリアルタイムで聞かれるわけでもなく、’90年代以降のように古典として、学究的に聞かれることも少なかった。それ以前に、当時、この手の音楽はほとんどが廃盤の状態で、市内の数少ない輸入レコード店や中古レコード店に行って、輸入再発盤や中古盤を買うしかなかった。
要するに、’80年代は、ちょうど、黄金期のロック音楽が、「流行」から「古典」に変わる瞬間的な停滞期だったのではないかと思う。
(なお、同じ頃、若者たちの間では、テレビゲームが流行り始めた。僕の小学校の終わり頃から、学校が終わるとゲームセンターに行き、うちに帰るとファミコンをしている子供が増えた。僕はテレビゲームにまったく興味がなかった。)

中学・高校時代、級友の間でカセットテープやCDを貸し借りすることがあった。僕も、当時の流行音楽を聴いていた頃は、お互いにいろんなものを貸し借りできた。貸し借りしたのは、一発屋みたいな流行歌手であったり、サザンのような根強い人気を持つ歌手たちだった。しかし、僕が古い音楽を聞き始めてから、周りの人達と感覚が合わなくなってきた。ときどき、ある種のセンスがある級友がいて、そういう人に貸すと、とても反応がよかったが、流行モノが好きな人に同じものを貸すと、たいてい、首をひねられた。そのうち、僕は一部の級友としか音楽の話をしなくなってしまった。

今になって考えてみると、例えば、こうして音楽CDを友人と貸し借りする目的には、次の2種類があると思う。

1.自分が知っていて、相手が知らない音楽を、お互いに紹介しあう。例えば、あるジャンルに詳しい人が、そのジャンルに詳しくない人に、自分のCDを貸して、お互いに教え合うような場合。
2.自分も相手もよく知っており、ともに大好きな歌手の音楽を一緒に聴きあう。例えば、お互いに好きな流行歌手の新譜をどちらかが買って、他方に貸すような場合。

この2者は一見似たような行為に見えても、その意義はかなり違う。
前者は、見聞を広めるという意味では有意義だが、必ずしも相手を喜ばせられるとは限らない。だから、お互いに共感できるとは限らない。
逆に、後者は、お互いの連帯感を深めるのにはよいだろうが、必ずしも文化的に有意義な進展は得られない。
その後、大学生になり、下宿にこもって、カントなどの哲学書や稲垣足穂などの文学作品を読み始めた。10代の頃から、在日の問題や朝鮮の南北分断の問題について考えごとをはじめていた僕は、大学時代になると、いつのまにか、こういった古典的な文学、哲学、宗教などに興味を持つようになっていた。
しかし、自分が通っていた学部が理学部の数学科だったこともあるのかもしれないが、僕の周りの知人には、こういうものに興味を持つ人が少なかった。学生運動が盛んだった頃まで、こういった文化的なものは、若者にとっても一種の教養であって、それらに興味を持つのは、当たり前のことだったのではないかと思う。しかし、いつの間にか、こういうものに興味を持つ人はとても少なくなってしまっていた。

最近、アジアでは、様々な社会問題、政治問題、歴史認識の問題が噴出しているが、それらの多くは、(日本側の事情だけを取り上げて言えば、)結局のところ、学生運動が沈静化した’80年代以降に、当時の若い世代の人達が、そういった問題を真剣に考えてこなかったツケなのではないかという気が僕にはしている。
(月並みなことを言えば、バブルによって、日本人の文化的な生活水準はずいぶん上がったが、知的水準はずいぶん下がってしまったと思う。)

僕は、今日まで20年以上そういうことについていろいろ考えてきたし、その間、たくさんの本も読んだ。今、僕はそういったことについて、自分なりに思うことや考えることを日記に書いている。僕はようやくしたいことが出来るようになってきた。ここで知り合った人たちが、僕の日記を読んで、いろんな意見を述べてくれるのが、とてもありがたく、うれしい。

しかし、その一方で、僕は自分の身近にいる人たちとお互いに価値観を共有し合うような会話がほとんど出来ないことを残念に思う。
僕が興味のあることに周囲の人は興味がなく、周囲の人が興味のあることに僕は興味がないのだ。

僕は決して豊かな人間ではないけれども、それでも何か他人に与えられるものはある。しかし、残念ながら、多くの知人にとってそれらは必要なものではないようだ。
そう感じるとき、僕は心の中でいつもこう思う。

「僕は君に何も与えられない。」

(以前に書いた文章の再録)

2006 (c) toraji.com All Right Reserved.

https://ameblo.jp/toraji-com/entry-10061956626.html

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?