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全くそんなつもりじゃないこと

私は正直なところ、公共性に関心の低い人間だと思うしボランティア精神も薄い方です。

けれどビーチクリーンの活動だけは、とても好きで積極的に参加しようとしています。

先日、SNSで写真がシェアされているのを見た知人から「えらいね」「行動に移してさすがですね」と言われました。全くそんなつもりで参加していませんでしたが、義務感を感じる人ほどそういう反応なのだなと思いました。

たしかに主催団体は意識の高い方たちで、「ゴミから見える社会」などのテーマで面白い取り組みがなされているとが多いです。先日も拾ったゴミを分類し、そこから社会構造をどう改革していくかディベートを行い、とても楽しい時間となりました。

でも、それは私にとっておまけみたいなものです。

私は単純に海の風に吹かれて空間の広がりを感じながら、ゴミを拾うという作業自体が好きです。本当に気持ちがよくて何時間でも続けられそうに思います。

だから「えらいね」と言われるのに違和感を感じました。

他人から真面目に何かに取り組んでいるように見えても、本人はただ好きで気持ちがよいから行なっていることも多いのです。

同じように仕事に関しても、「よくそんなに頑張れるな」「難しそうだな」「面倒臭いことやっているな」と思われるような事も、案外本人は楽しんでやれているのかもしれません。

そう考えると、もっと自発的に取り組めるようなことを仕事にできたら、どんなに毎日が充実するでしょうか。

たとえ他人から理解されなくても、本人だけが感じている充実感があれば十分です。

将来の安定や経済性から、うまくやれそうなことや効率が良いことを選びがちだけれど、この不確実性の高い時代には、個人の内的な好みや価値観を重視した方が、逆に安定する確率は高そうです。

人の気持ちや感情も変わってはいくものではあり、諸行無常に変わりはないけれど、自分を形作ってきた過去の経験やそれに基づく価値観というものの方が、変わらないものとして信頼できますを

「そんなに良いことでも悪いことでもないけれど、わたしはこれが好きなんです」がこれからは強いですよね。





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