いのちの煌めき
これは映画の撮影ではありません。
昨日、片瀬西浜海岸で藤沢ではじめての流鏑馬が執り行われました。
馬上から的を射るというシーンは、テレビでは見たことがあったけれど、実際に目にするのは初めての体験でした。
五人の騎手(?)武術家(?)が順に3つの的を狙いながら、馬を疾走させました。
騎手は、弓を引くために手綱はもたず脚だけで馬をコントロールします。
それだけでも難しそうなのに、さらに的を射るという行為も発生するのです。どれだけの修練が必要なのかは、想像に難くありません。
五人の求道者とも言える騎手の方々に中、特別に大きく見えた方がいました。
馬の疾走するスピードも、次の矢を抜くスピードも格段に速く、的もすべて命中させていらっしゃいました。
その集中力や気迫に並々ならぬものを感じたと同時に、命の煌めきというものを見たように思います。
毎日の訓練により磨き上げてきた技術と精神力が、その瞬間に発揮するためには、集中力が必要です。
外したら、どうしよう。うまくいくかなぁ。という不安はもちろんのこと、うまくいったときの報酬を考えるなどの邪念が混じる余地がありません。
ただただひたすらに黙々と重ねてきた修練の成果を、その瞬間に発揮するだけなのです。
その昔、流鏑馬が執り行われていた武士の世界では、的を外したら切腹をしたと聞きました。
なんと野蛮で、恐ろしいことなのだろう、と以前の私なら思ったことでしょう。けれど、実際に目の前でその勇姿を見た私は、別の印象を持ちました。
それほどの真剣勝負だからこそ、輝くのではないか。
死ぬかもしれない、死が迫ってきている、ぎりぎりのところで勝負するからこそ、儚くも散れるし、栄光も受け取れるのではないか。
翻って、人が生きる目的についても考えさせられました。
なんのために生きるのか、大義や社会正義、個人的な想い、愛など、人それぞれ胸に持っているものは違うけれど、意思を持って取り組むものであれば、どんなことでもいいのです。
それがオタク趣味だろうが、意味のなさそうなことでも、評価されないようなことでも、お金にならないようなことでも、
ひたすらに真剣に向き合って、命を尽くすように取り組めたら、それが命の充実であり喜びと輝きなのだとあらためて思ったのでした。
長生きは良いことだけれども、一瞬の煌めきを経験するために生きたいと感じました。
やりがい探しや自分探しで、あーでもないこーでもないと考えがちな場所から抜けて、今目の前にあることに精力を注ぐことで充実した生を味わっていきたいです。
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