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ゴミの城〜017~石碑の前の照れた顔~実家の写真の処遇

これまでのお話

物心ついた時には家にカメラがあった。そのカメラは家族で旅行へ行くときや、僕たち兄弟が幼稚園や学校に入学する時などに父親が使っていた。
父は決まって「そこに立て」と、僕らを学校の入口やお寺の石碑の隣などに立たせるのだ。あらためてそんな写真をいま見てみると僕はいつも照れくさそうな顔をしていた。もちろん、ちゃんと理由がある。入り口というものは、たいてい人が入ってくるものだ。知らない人の視線を浴びながら大人のような背広を着させられた僕はいつも恥ずかしくて父が早くシャッターを押してくれるのを待っていたからだ。

先日、実家を掃除していて久しぶりに家族のアルバムや写真を見た。天袋の奥にしまってあったそれは、これまで様々な物を躊躇うことなく捨ててきた僕でもそれだけは捨てられなかった。

バラバラになった色んな年代の写真や、古ぼけたアルバムが多数ある。アルバムは表紙が外れていたり写真も所々アルバムから剥がれていたりと状態も良くはない。

父は死に、母は年末からずっと入院している。兄に「古いアルバムがあるよ」と声をかけたが、彼がアルバムを見たような形跡もない。この先、誰かがこれらの写真を見るということは、ほぼないだろう。それでもそれを捨てることはできなかった。

ちょうど写真が家にある世代なのだろう。調べたらカメラの普及は昭和40年以降とある。その頃に両親が結婚して僕たちが生まれている。冒頭に書いたように、かしこまったお出かけや入学式、運動会などのイベントは父親が必ず写真を撮ってくれていたし、学校の遠足などの行事は学校で雇ったカメラマンなのだろうか? いつも知らない人が遠足についてきて生徒をパシャパシャと何枚も写真を撮っていた。そんな日々を過ごしてきたからか

遠くに出かけたり記念の行事があった時は写真を撮る。

という意識が擦り込まれ、その当時はフィルムカメラからデジタルカメラへと変わっていたが、当たり前のように僕も自分の子供が生まれた時や、子供の運動会などはカメラを覗き込み写真をパシャパシャと撮っていた。それでもデジタルカメラになってからは写真を撮ってもパソコンなどに保存するだけで印刷することがなくなっていたので写真はそんなに家にはない。おそらくいまの五十代、六十代が一番印刷された写真を持っているのではないだろうか?

そんなこんなで実家には物凄い数の写真があったが、それを簡単に捨てられず実家から写真を自宅へと運んで、ゆっくりと時間をかけて多数の写真を整理した。何処だかわからない景色や、知らない人が写っていたり、同じような写真、写っていても顔が小さかったり、親戚でも付き合いがなくなった人などなど、かなりの数の写真を捨てて、古くて劣化が激しいアルバムは写真をアルバムから剥がして新しいアルバムに入れ直した。
フォトスキャン」というアプリでスマホに取り込んだりもしたのだが、これはかなり時間がかかるので数枚でやめてしまった。

昨年末に高齢の母親が家から一人でふらりと出ていってしまい、転倒して手術、そのまま入院。年明けに別の病院に転院したりと、そのまま三ヶ月が過ぎた。病院へ行っても面会はタブレットでオンライン。面会を許可されても会えるのは一人だけで兄貴が顔を出したりと、ずっと母親の顔を見てはいない。認知症気味だったので僕のことをいまも覚えているのだろうか?  アルバムの中には両親の卒業アルバムが数冊あった。初めて見る両親の子供の頃の姿は、現在の状況があるだけに心に重く残った。

人は歳を取り老いていく。所詮、老いるなら、生きる目的はなのなのだろうか? 

歳を重ね朝も早い時間に目を覚ます。起きれば身体のどこかが決まって痛む、爪を切るのでさえ眼鏡をかけなきゃ始まらない。ネットのニュースで数日おきに訃報を目にし、心に諦めを宿す。子供の頃に見ていた人が次々と亡くなっていく。

写真の中はいつだって若いままなのに……。

家の門だろうか? 整理したアルバムの中に制服姿の母親が何処かの家の門の前で一人で立っている写真があった。中学校か高校の入学の祝いなのだろうか? その写真の顔はどこか照れくさそうで笑ってしまった。きっと祖父が写真を撮ったのだろう。祖父の隣には祖母が居て、その門の奥の家の中には、まだ小さい子供姿の叔父さんや叔母さんが居るのだろう。家の中からとても楽しそうな声が聴こえてくる。

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続く 〜018~ 物を捨てたくて仕方がない


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