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ゴミの城〜016~子供と一緒に実家の掃除

これまでのお話

認知症気味の母親が兄の留守に一人で外に出ていってしまい、転んで硬膜下血腫というものができてしまった。その日のうちに手術、そしてそのまま入院してしまった。

母が退院する前に「母の部屋とベランダを掃除してしまおう!」と思い、実家へ行く準備をしていると、ちょうど部屋に息子が入ってきたので、息子に声をかけてみると「掃除を手伝ってくれる」と言うので、一緒に実家へと向かった。息子が実家へ行くのは久しぶりだ。彼が覚えているのは、まだ元気だった頃の母だ。家の中は入ったことがない。と言うのも実家は物だらけでくつろぐスペースがなく、母と会うのはもっぱら外だった。母は回転寿司やら買い物やらと僕と子供たちをよく連れて行ってくれたものだ。

実家に着くと、さっそく母の居ない部屋で使用していないベッドを壊す。そのベッドは僕が高校の頃に両親に買って貰ったものだ。鉄パイプで出来ていて下は空きスペースがあり、かなり上の位置に寝るところがあった。当時はインターネットでショッピングをするなどといった風習もなく、何日も前から通信販売のカタログを見て選び、数日後大きなダンボールに入った組み立て式のベッドが届き、嬉しくてワクワクしながら組み立てたことを今も覚えている。……そのベッドを30年以上も経った今、息子と一緒に壊していく。

ベッドを壊しながら記憶が蘇ってくる。
「この壁にはダーツの的があったな……」
「ここにはソファーがあった……」
「部屋に、いろんな友達が来たっけ……」
時が流れ、この部屋で暮らした時間の方が圧倒的に短くなってしまった。あの頃の物はかなり捨ててしまった。僕は父とは違い、物を取っておくのが嫌いだ。使わない物やゴミがあるのが嫌だ。だからこの部屋にも、あの頃の物は殆ど残ってはいない。それでも部屋には想いが残っている。それは儚く美しい。美しく見えるから困ってしまう。だから触れると悲しくなってしまう。

息子に手伝ってもらったおかげで、部屋とベランダがとても綺麗になった。父が屋根に水槽やプランターなどを一面に敷き詰めたせいか、かなり屋根が錆びている。そのうちに何か塗らないと……。

帰り道、子供とラーメン屋さんに寄ってきた。子供と食べるご飯はとても美味しかった。母親が退院してきたら一緒に御飯を食べようかな。いつも差し入れを兄に手渡すだけで、ずっと一緒に御飯を食べていないことに気がついた。

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続く 〜017~ 石碑の前の照れた顔~実家の写真の処遇


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