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漫画学とドラマ理論第17回

漫画学とドラマ理論第17回

「そもそも漫画市場は少数の天才漫画家と天才編集者が巨大化した」


①     「天才漫画家」

彼らが市場を引っ張ったということには異論はないだろう。ちばてつやや赤塚不二夫、石ノ森章太郎などの世代だ。1,960年代に彼らは若手として活躍したが、60年代後半には一気に花開いて劇的に市場を拡大している。漫画雑誌なんて当時、赤字になったり黒字になったり低空飛行であった。ところが60年代後半になると雑誌は100万部越えにマガジンはなっている。

この天才たちに(当時描いている最中は天才と思っていないだろう)、追いつこうとする二番手、三番手の漫画家も多くいる。そうでなくては雑誌なんて売れるわけがない。2,3人天才がいても、その他が全く面白くなければ雑誌全体の質は低くなるのだから売れるわけがない。雑誌は福袋に似ている。10個商品が入っていても欲しい商品が2,3個だったら買わないだろう。しかし残りの商品がまあまあほしい商品だったら売れる可能性大だと思う。残りが全くほしくない商品だったら福袋なんて買わないと思う。単品でほしいものを買う。例え、単品で買うと多少高くても買う。それの方が欲しくなものがたくさん入った福袋を買うより、満足度は高いでしょう。

雑誌だけではない。単行本市場もそうだと思う。60年代後半まで実は単行本市場は非常に小さかった。出版社も雑誌で儲けようとしていた。一度雑誌で読んだ人間が単行本を買う訳がないと出版社も思っていた。読者が単行本で「あの感覚をもう一度楽しみたい」という感覚があるとは思ってもいなかったのだ。よって単行本は作られていたが、主として貸し本屋用であった。私は千葉県生まれだが貸し本屋というものを見たことがない。多分東京や大阪などの大都市圏にあったのだろう。よって単行本は数万分しか売れなかった。

ところが「巨人の星」とか「あしたのジョー」が出てきたら激変している。雑誌もマガジンは200万部近く売れたが、みんながビックリしたのは単行本が1巻当たり何十万部も売れ始めた。ここで出版社の漫画のビジネスモデルも変わった。雑誌は赤字でなければいい。一種の宣伝媒体として考えて伸ばし、最終的に単行本で利益を得ようと変化した。いまだに外国人の新聞記者に言われるのだが、「何でこんなに漫画雑誌は安いのか?」と質問される。10ドル以上で売るべきだと言われる。仕方がないから歴史的経緯を説明すると納得する。

講談社の地下には図書館がある。雑誌は第1号から見ることができる。漫画家や他社の編集者にそれを見せるとだいたい感動する。1970年のマガジンを見せるとみんな同じことを言う。「これじゃあ、売れますよ」最終ページの目次を見ると漫画家、原作者がわかる。ちばてつや、さいとうたかお、白戸三平、横山光輝、水木しげるなどなど後の巨匠がずらりと並んでいる。「巨匠」と呼ばれるのは後々の話であって当時は面白いものをつくろうと必死で頑張っていた新人、または新人に近い作家だ。


②     「天才編集者」

 確かに漫画家が天才だったら編集者なんていらない。学生アルバイトに原稿運びさせていればいいのだから。しかし漫画家全員が天才なわけがない。「育てなくてはいけない」育てるにはそれなりの実力がなくては無理だ。つまり「作家」にならなくてはいけない。野球やサッカーの監督でも選手時代は一流ではなかった人は結構いる。しかし1度も選手でなかった人はいない。現在有名な監督モウリーニョだって選手時代は一流とは言えないが経験はある。サッカーを劇的に変えたサッキは元靴屋だ。しかしサッカーの選手経験はある

簡単に言うと原作ぐらいはかけなくては指導できるわけがない。原作を書くのも才能だがそれだけではダメだ。漫画の「演出」もしなくてはいけないし、漫画家が長期連載に耐えられるようにメンタルも鍛えなくてはいけない。

そういうことができた編集者がいたのだ。もちろん少数だ。黒澤明も言っていたが「才能は育てられない」私もそう思う。才能は、半分ぐらい天が与えたものだ。もちろん努力も必要だが。

そういう天才編集者は知られていない。昔の教育では編集者は「黒子に徹しろ」だからだ。さらに言うとそういう天才編集者はほとんど偉くなっていない。つまり重役だの地位を得ていない。しかもアル中や神経症になった人も多い。それを理由に昇進させないことも起こった。しかしそんなこと大した問題じゃない。一般企業だってトップに行けば行くほど、そんな経験した人は多いだろう。当たり前だ。社会で戦争しているのだから。むしろそのような経験を持ってもいない人がトップになったら部下の気持ちなんぞわからないから組織は崩壊する可能性は強いだろう。消費者の気持ちもわからない可能性もある。

 

③     「全盛期の時から崩壊が始まっている」

 ある大手出版社の漫画部門の重役候補が二人いた。一人は天才と言われた「つくれる編集者」、今一人はゴマすりで売れっ子漫画家を引っ張ってくることばかりしていた人。この出版社の社長はどちらを担当重役にするのだろうとみんな注目していた。何と後者を重役にした。これでマガジングループは勝ったと確信した。みんな偉くなりたいのだ。しかも楽して偉くなりたいのだ。「つくる編集者」は疲れる。

 子供は親の悪いところを真似する。予想通り前述の出版社は「つくる編集者」はいなくなった。人材育成をしないと、ジワジワ結果が悪くなる。1,2年では気が付かない。この会社は15年後、頻繁に赤字になった。漫画部門を持っていて赤字になるのは本来おかしい。電子書籍のほとんどは漫画だ。それが赤字になるということは漫画家育成がうまくいっていない証拠だ。それはさかのぼると「つくれる編集者」を育てていなかったということだ。

 その出版社に行っていて、私のところに来た漫画家が数人いる。みんな言うことは同じだった。「あそこの編集者はいい人なんですけど、アイディアが出ないんですよ」当たり前ですね。

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