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夫婦喧嘩は、お互いの誤解がもたらすもの。【旦那と原因を考察してみた】

今日は私と旦那との「夫婦喧嘩」について書こうと思います。

よその家の夫婦ケンカの話など、犬も食わぬものなんですが。

先日旦那と、過去におきた夫婦ケンカについて、「考察」してみたのです。

考察した事例①

年末に、旦那からまたタバコを始めた、というカミングアウトをされました。私は結構ショックだったわけなんですね。原因はいろいろありますが、そこは省略します。

で、その時は1ヶ月前から始めた、と聞かされたんですが、正直、「なんか怪しい」と思ったわけです。なんか出し切ってない感、というか、まだなんかあるな、という気がして仕方なかったんですね。

怪しいな〜と疑い始めると、何から何まで怪しくなってしまい、このままだと信用できなくなりそうだなと思い、確認してみると、やっぱり半年サバを読んでいた訳です。

まー、喧嘩はこの辺りで勃発しました。

「なんでそんな細かい嘘ついたのよ〜」的な問い詰めに対する、逆ギレ。
うちは、一通り言い合いをしないと、どうやら落ち着いた話にならない夫婦らしく、いつもそうです。今回も、一通り言葉の格闘技に疲れた後に、ようやく会話が始まりました。

旦那が言うには、ショックを受けて、私が壊れちゃうんじゃないかと思って言えなかった、(私は当時、長女の件でかなり精神的に厳しい状態だったと言う背景があります)だから、嘘をついた、と言う意識はなく、それは「配慮」だった、みたいなことを言われました。

でも、私にしてみれば、「事実と違うことを言う」= 「嘘をつく」

であって、そんな配慮は全くいらないのです。あくまで私にとっては、ですが。。

完全につき通してくれて、最後まで私が知らずに済むなら、それはそれで有りですが、どうせバレるか、隠し事をしている側が辛くなるか、です。そのタイミングで言われた方が何倍も嫌な気持ちになります。いつ言われても嫌なものは嫌だけど、いっそ一思いに「ごめん!」とズバっと言われた方が、まだマシです。

この件は旦那が「良かれと思って」やったことが完全に、裏目に出ました。

考察した事例②

それから、これはケンカではないですが、この前、私がメンタルのキャパを超えてダウンしてしまった時に、自分の部屋で寝込んでいた時のことです。風邪とかじゃなくて、とにかく心臓が痛くて、過呼吸になったり、なんか普段はならないような状況になっていた訳です。

リモートワーク中の旦那が、仕事が終わっても、声もかけにこないことに、ちょっと悲しくなってしまった訳なんですね。

「実は、あの時、ちょっと寂しかったと言うか、悲しかったんだよね。」

「え?そうなの?なんで?」

「え?だって、あんまりならない状況だったから、私もなんか不安だったし、心細かったんだよね。それに、なんか心配されていない感じもして。」

「具合悪い時って、完全に放っておいて欲しいものじゃないの?」

「いや、私は、声くらいかけて欲しいわ。うつる病気でもないんだし。」

「そうなの??俺は、放っておいて欲しいと思ってんのかと思った」

「いやいや、、そんな事ないよ。多少は気にかけて欲しいよ。」

と言うことで、この件に関してはケンカじゃないけど、旦那が「自分だったらこうして欲しい」と思うことと、私が「こうして欲しい」と思うことが完全に違っていた、と言うことなんですね。

配慮が誤解に。

この2つの件について、夫婦で話をした結果、お互い、

「良かれと思ってやっている事」は必ずしも、相手が望んでいることではない

ということだったんですね。だから、そういう状況に陥った時は、自分が何を望んでいるかを伝えるべきだね、と言うことになりました。ただ、ケンカ中は難しいから、こうやって余裕のある時に考察して、あの時はどう考えていたか、という話をするのは悪くないね、という意見になりました。

ベースにはお互いに思いがあっての事なので、きっと冷静に話せば、ケンカにはあまりならないのだろうと思います。ただ、思いがあるだけに、感情的になってしまい、表面上はケンカになってしまうのでしょうね😅

結婚して21年目になりますが、まだまだ謎は多いです。。。

ちなみに、夫婦ケンカの収束は・・・

夫婦ケンカを収束するのにかかる時間は、その内容の重さや、ムシの居処、タイミングとかでまちまちですが、正直、私がさっさと謝ることが多いです。

ただ、自分の沸点があまりに高いと、「ごめん」を発音する気にもならないため、沸点が下がってくるまで待ち、「この状態をとりあえず脱却せねば」と考えられるところまで冷静になれば、「ごめん」と言うことができます。ちなみに、本当にごめんなさいという気持ちを込めて毎回言っているかと言えば、そういう訳でもありません。

とりあえず、この「ごめん」は、終了のきっかけを作る、という役割だと思っています。
お互い収束に向けて、少しづつ会話を始め、わだかまりが取れれば、終わりです。
で、なんとなく日常に戻っていきます。

ただ、この時って、とりあえず「収束」はするけど、お互い「理解」できて収束しているか、というと微妙だな、と思いました。それは今回、初めて夫婦喧嘩のふり返りを行ってわかりました。

ただ、この考察は、自分の心の中に、まだ完全に消し終わっていない火種がある事案の場合は、ケンカの再燃を起こしかねないな、と感じました。今回は、熱くならず冷静に話ができたのでよかったです😊

よその家の夫婦喧嘩を聞かせてしまいすみません。最後までお付き合い頂きありがとうございます。

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