AIに「使われる」か、それとも「使う」か?
<日本経済新聞朝刊2021/5/17 「便利で不気味 AIの両義性」を受けて>
私たちの生活を快適にしてくれるAI。
一方で、AIにより、偏見や差別が加速するのではないかという考えもある。
AIは人間よりも公正な判断ができるという見方もあるにもかかわらず、
なぜこのような考えが出てくるのか?
①AIが学習するデータ、AIを動かすアルゴリズムには、「人間」が関わる。その人間に、無意識の偏見が多少なりとも存在した場合、AIの判断にも影響がでるはず。
②使用するデータは「過去」のもの。リアルタイムで入力すれば「現在」のデータも含まれるはずだが、それも一瞬のうちに「過去」となる。
適宜、データの修正が行われることがなければ、間違った分析・予測を招き、AIが暴走することもありえる。
以上のような理由から、AIへの不信感が起こるのではないかと考える。
いずれもAIへの絶対的な信頼から招かれているのではないだろうか。
AIが勝手に私たちの生活を快適にしてくれるという考えは間違いである。
AIは一つの道具にすぎない。
AIに使われるのではなく、「私たち」が主体となってAIを使う、ということを忘れてはならない。
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